2018年
4月
16日
月
・右端:物静かなBig BossのBrendonさん
・右から2番目:陽気で明るいBossのMattさん
当店のオーディオ機器がDENONなのは、ご存知ですよね。
先週、アメリカ及びヨーロッパからDENON関係の方々が十名程ご来店くださりました。
日本滞在期間は10日間とのことでしたが、何と10日の内当店の休日を挟んで4日もご来店くださったのです。
そして最後の日に、Big BossのBrendonさんからとても素敵なプレゼントを頂きました。
何と、とても高そうなヘッドホン!
理由としては、DENONの製品を愛しお店で使用してくれていること、好きな曲のリクエストを聞いてくださり、とても気持ち良い楽しい一時を過ごすことができたことへのお礼とのこと。
こんなことは人生の中で初めてなのでもう~ビックリ!!
定年退職後にロックバーをやると決めた時に、限られた予算の中で惚れたアンプ、プレイヤーがDENONだったというだけなのに・・・・・。
逆に本当に申し訳ない気がします。
でも、嬉しいですね~。
それにしても、頂いたヘッドホン、とても素晴らしい音です。
DENONの皆様、心より感謝申し上げます。
しかし、外国の方は本当にお酒が強いですね。
大好きだという山崎12年やバーボンのバッファロ・トレース等を水のように飲む。
アッと言う間にボトル1本が空いてしまう勢い。
また、曲のリクエストに関してもとても面白い反応が・・・・。
と言うのも、皆様のお国では、当店のようにリクエストに応えてくれるようなお店が無いそうです。
リクエスト曲がかかると「Wow!」と大合唱。
リクエスト曲が無いと、とても悲しい顔で「Oh No~!」。
アメリカ人のリクエストは、Little Feat、Lynyrd Skynyrd、Allman Brothers Band等のサザン・ロック系やEagles、Neil Young、CSN等々。
ちょっと驚いたのは、リクエストのMetallicaを物静かなBig BossのBrendonさんが一緒に歌っていたこと。
日本の会社では考えられませんよね。
ヨーロッパ系の方のリクエストは、Pink Floyd、YES、ELO等。
Beatlesの「Get Back」、Doorsの「LA Woman」、Bob Marleyの「No Woman,No Cry」は全員で大合唱。
特にDoorsとRUSHの反応は、素晴らしいものでした。
しかし、日本人が大好きな、Deep Purple、Rainbow、Michael Schenkerなどのリクエストはゼロだったのにも驚き。
ということで、本当にDENONのBig Bossはじめ皆様、本当にありがとうございました。
今度いつ来日されるか分かりませんが、来日の際にはお店に遊びに来てくださいね!
また、お会いできる日を楽しみにしております。
ありがとうございました。
2018年
4月
02日
月
先週水曜日(25日)23時頃に30代中頃の男性二人組がご来店。
お話を聞いていると、50年代60年代のPops&Rockやカントリー&ウエスタンが大好きとのこと。
当店の50’s~80’sの看板を見てご来店くださったわけです。
そのお二人が言うことには、「友達にカントリー&ウエスタンが大好きといっても、誰も反応してくれないし理解もしてくれない」。
当然でしょうね~・・・・。
だって、カントリー&ウエスタンが日本で大ヒットしたのは僕がご幼少の時、というか兄貴の時代なんですから。
いるんですね~、お若いのにオールデイズやカントリーが好きな人が・・・・・・。
でも、嬉しいですね~・・・・、涙もんですよ!
「マスター、もしレコードがあったら聞かせてくれない?」。
ありますよ、有りますよ。
だてに「50年代」を標榜しているわけではありませんよ!
ということで、ハンク・ウイリアムス、チェット・アトキンスの他に話に出たウォール・オブ・サウンド/フィル・スペクターも大好きとのこと故、ロネッツなどのレコードを。
お二人ともとても嬉しそうにお帰りになりました。
ありがとうございます。
また、遊びに来てくださいね!
で、当店所有の「カントリー&ウエスタン」アナログ・レコードをご紹介しますね。
●チェット・アトキンス
Chester Burton Atkins
(1924年-2001年)
アメリカのカントリー・ミュージシャン&ギタリスト。
彼が編み出した「ギャロッピング奏法」は、後のロック・ギタリスト~ベンチャーズのドン・ウィルソン、ジョージ・ハリスン、スティーブ・ハウ等に大きな影響を与えたと聞いています。
僕が彼の名前を知ったのは、中学生の時。
当時はまっていたベンチャーズが、チェット・アトキンスの影響を受けていたことを知ってから。
当然、その頃はお小遣いも少なかったので、レコードを購入したのは大学に入ってからですが・・・・。
1954年に発表されたアルバム「A SESSION WITH CHET ATKINS」が高評価を得、1955年シングル「Mister Sandman」がカントリー・チャートの13位にランク・インされチェットは大きな名声を得る。
自己名義での活動以外にも、スタジオ・ミュージシャンとしてエルヴィス・プレスリーの大ヒット曲「ハートブレイク・ホテル」や「ハウンド・ドッグ」にリズム・ギターで、ハンク・ウィリアムズやエヴァリー・ブラザース等のセッションにも参加。
1970年にジェリー・リードとの共演作「ME & JERRY」でグラミー賞ベスト・カントリー・インストゥルメンタル部門受賞をはじめ、1977年チェットの憧れの存在 レス・ポールとの連名のアルバム「Chester and Lester」で最優秀カントリー演奏受賞、ダイヤ・ストレイトのマーク・ノップラーと共演したアルバム等、生涯において13作品(他アーティストとの連名も含む)でグラミー賞を受賞。
1973年にカントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイム・アンド・ミュージアムに登録。
1993年にはグラミー賞の生涯功労賞受賞。
2001年6月30日、癌のためナッシュビルで死去。
2002年、ロックの殿堂のサイドマン部門を受賞。
2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第21位に輝いています。
●ハンク・ウィリアムズ
Hank Williams
(1923年-1953年)
カントリー音楽の歴史において最も重要な人物のひとりと.
1947年から心臓発作で29歳に亡くなった1953年の最初の日までの短い間に「ビルボード」のカントリー&ウェスタン・チャートにおいて1位になったシングル盤が11枚、トップ10入りしたシングル盤が35枚もあります。
ハンク・ウィリアムズの影響を受けたアーティストとして、キース・リチャード、マーク・ノップラー、トム・ペティなどが有名。
また、ハンク・ウィリアムズの曲をカバーした歌手は、ウィリー・ネルソン、タウンズ・ヴァン・ザント、ボブ・ディラン、レナード・コーエン、ケニー・ランキン、ジョニー・キャッシュ、トニー・ベネット、レイ・チャールズ、ルイ・アームストロング、トム・ウェイツ等数えきれないアーティストがいます。
1987年にアーリー・インフルエンス部門で、ロックの殿堂入り。
1999年に「Native American Music Hall of Fame」 で殿堂入り。
2003年にカントリー・ミュージック・テレビジョン(CMT)が選定した「カントリー音楽で最も偉大な40人」で、この年に亡くなったジョニー・キャッシュに次いで第2位に。
2004年「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第74位。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第27位。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第59位。
2010年4月12日、ピューリッツァー賞委員会は、「普遍的感覚を心にしみる素朴さで表現したソングライターとしての職人技、カントリー音楽をアメリカ人の生活における大きな音楽的文化的存在に変貌させた大きな役割」に敬意を表し、ウィリアムズに没後の特別賞を追贈。
2011年、1949年にチャートNo.1に輝いた「Lovesick Blues」によりグラミーの殿堂入り。
●ジョニー・ホートン
Johnny Horton
(1925 - 1960)
日本でも大人気のカントリー歌手の一人ジョニー・ホートンは、不幸にもレコーディング期間はたったの5年と実に短命。
ジョニー・ホートンが文無しの歌手から一躍人気歌手となった最初のヒット曲は1956年に録音された「Honky-Tonk Man」。
しかし、彼が日本で有名になったのは、映画の西部劇の主題歌です。
1956年の映画「Davy Crockett, King of the Wild Frontie(鹿皮服の男)」のテーマ曲「The ballad of Davy Crockett/ディビー・クロケットの唄」が大ヒット。
1959年には、1800年初頭の英国との接戦を歌った「The Battle of New Orleans(ニュー・オーリンズの戦い)でカントリー&ウエスタン部門のグラミー賞受賞。
1960年には映画「Sink the Bismark/ビスマルク号を撃沈せよ」の主題歌が大ヒット。
また、同年1960年代にはゴールドラッシュをテーマにしジョン・ウエインが主演となった映画「North to Alaska(アラスカ魂)」のテーマソング「アラスカ魂」が大ヒット。
日本のヒットパレードでも上位を占めていましたが、この作品が遺作となってしまいました。
映画も主題歌も大ヒットを記録しジョニー・ホートンは人気絶頂でしたが、1960年に、テキサスの高速道路で酒気帯び運転の車と正面衝突して惜しくも35歳で亡くなりました。
あまりに若すぎる死ですね!
余談ですが、ジョン・ウェイン主演の映画「アラスカ魂」の前作である映画「アラモ」もいい映画でしたね。
観た映画館は、旧東劇。
現在の東劇と違い、入り口から中まで靴が半分めり込む程の赤絨毯が敷いてあること、また映画の内容でジョン・ウェインがディビー・クロケット役、リチャード・ウイッドマークがナイフの名人ジム・ボーイ役で出演しており、初めての東京での映画で本当に興奮したのを覚えています。
因みに、映画「アラモ」の主題歌は、ブラザース・フォーですが・・・。
●ジョニー・キャッシュ
John R. "Johnny" Cash
(1932年 - 2003年)
ジョニー・キャッシュは、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、俳優、カントリー、ロック、ロカビリー歌手・作曲家であり20世紀の多くのミュージシャンに影響を与えています。
彼はカントリー歌手として知られていますが、曲やサウンドのジャンルがとても広く、ロック、ロカビリー、ブルース、ロック、ゴスペルと多岐に亘っています。
そんもため、カントリー・ミュージックの殿堂、ロックの殿堂、ゴスペル・ミュージックの殿堂と複数の殿堂入りを果たしています。
2003年に死去するまでに放ったヒット曲数は140曲以上。
ヒット曲最多売上曲数の世界記録保持者エルヴィス・プレスリーの151曲に迫る数字です。
レコードとCDの累計売上がこれまでに5,000万枚を記録しており、グラミー賞11回受賞の他、数々の受賞歴を持っています。
ジョニー・キャッシュの特徴は、「ロックの反逆性とカントリーの哀愁、フォークの語り口」といわれる独自の世界感を持つ歌が多くのアーチストから尊敬されています。
例えば、クリス・クリストファーソンやU2のボノ、ボブ・ディラン、ウィリー・ネルソン等。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第21位。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第31位。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第14位。
●フランキー・レイン
Frankie Laine
(1913年- 2007年)
フランキー・レインは、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の歌手・俳優。
イタリアのシシリー島の移民で若い頃ナイトクラブなどで活動。
1952年、ゲイリー・クーパー主演の映画「真昼の決闘」のテーマ曲「ハイ・ヌーン」が大ヒット。
この映画は、保安官1人で殺し屋4人と立ち向かわざるを得ないという内容で、主演のゲイリー・クーパーは歳を重ねて渋味のある中年男の孤独と苦悩を演じてアカデミー賞の主演男優賞を獲得。
因みに妻を演じたのが後にモナコ公妃となったグレイス・ケリーです。
1955年から1966年まで11年間続いたCBSテレビで放送された西部劇「ローハイド」のテーマ曲「Rawhide」が大ヒット。
2007年2月6日カリフォルニア州サンディエゴで心血管疾患のため亡くなります。
フランキー・レインは、子供の頃に西部劇映画で知った歌手で正式にはC&Wの歌手ではありませんが、西部劇=フランキー・レインの歌はいつも片隅に生きています。
●「カントリー&ウエスタン」とは?
お若い方達はご存じないかもしれませんが、「カントリー&ウエスタン」の起源は簡単に言うとヨーロッパの伝統的な民謡やケルト音楽などがスピリチュアルやゴスペルなど霊歌・賛美歌の影響を受けて1930年代に成立した白人労働者階級のフォーク・ミュージックで、類似したルーツを持つウエスタン・ミュージックを包括し1940年代、「カントリー・ミュージック」という言葉で定着。
1950年代には、ビル・モンロー、チェット・アトキンス、ポール・コウエン、オウエン・ブラッドリーなどが活躍。
1960年代後期は、ブリティッシュ・インヴェイジョン(Beatles等)の影響によりナッシュビルで生産されるカントリーへの熱狂も薄れたが、新たにカントリー・ロックというジャンルが生まれます。
1970年代にはBirsのジーン・クラーク、C.C.R.ニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セイジ、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド等が活躍。
その後、カントリーとロックが融合しポコ、バッファロー・スプリングフィールド、グレイトフル・デッド、イーグルス等が誕生。
また、カントリーとハード・ロックが融合し、オールマン・ブラザーズ・バンド、レイナード・スキナード、マーシャル・タッカー・バンド等のサザン・ロック全盛期となります。
ローリング・ストーンズも「カントリー・ホンク」や「ホンキー・トンク・ウィメン」等でカントリー・ロックを取り上げていますよね。
日本でブームになったのは、第二次世界大戦終戦後にアメリカ兵が持ち込んだカントリー・ミュージックが最初。
1940年代から1950年代に全盛期となり、ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ、小坂一也とワゴン・マスターズ、ウイリー沖山が在籍したカントリーボーイズなどが活躍。
僕が「カントリー&ウエスタン」を知ったのが、兄が持ち込んだ1950年代後半。
かなり大雑把に書いてしまいましたが、本当に面白いな~。
この辺の音楽史、近い内にもう一度まとめてみたいです。
2018年
4月
01日
日
若い頃、新宿ゴールデン街で何回かお見かけしたことがある田中小実昌氏のイメージと言えば、TVでハチャメチャなコメントをする酔っぱらいの直木賞作家。
でも、このエッセイを読んで初めて田中小実昌氏の人物像を理解することができました。
氏は、19歳(1944年)で出征し山口県の連隊に入営。
中国で粤漢線鉄道警備の部隊に編入。
中国での苦しい行軍の中でマラリア、コレラに罹り、敗戦直前にアメーバ赤痢の疑いで野戦病院に移送となり終戦。
1946年に呉市に戻り旧制福岡高校を繰上げ卒業し同年無試験で東京大学文学部哲学科に入学。
大学在学中からストリップ劇場での演出助手、進駐軍用将校クラブでのバーテンダー、啖呵売、易者などの職を渡り歩き1952年に東京大学を除籍。
1954年より米軍の医学研究所で化学実験の仕事をし、その傍ら翻訳家として多くのハードボイルド作品を翻訳。
その後、アルバイト時代の経験を活かし本格的な作家活動に。
1979年、「ミミのこと」「浪曲師朝日丸の話」の2作品で直木賞を受賞。
同年、戦争体験や父の姿に題材を取った短編集「ポロポロ」で谷崎潤一郎賞を受賞。
その後は、往年の深夜番組「11PM」をはじめとして、テレビドラマ、映画、CMといった様々な場面で活躍。
新宿ゴールデン街(東京都)の常連で、毎日ゴールデン街で10軒は飲み歩いたらしい。
僕が氏を何回かゴールデン街でお見かけしたのはこの頃(1980年初頃)。
いつも酔っているのでしょうが、飄々とした感じが印象的でした。
今回読了した大庭萱朗(編)「田中小実昌ベスト・エッセイ」には、氏の戦争体験(「勤労奉仕から動員へ」、「父と特高」、「昭和19年」等)、敗戦後進駐軍でのアルバイト他(「やくざアルバイト」、「横田基地のバンブダンプ」、「不動産屋、そして医学研究所」他)、作家活動に入ってからの新宿ゴールデン街での話(「路地に潜む陽気な人々」等)などが収録されています。
クソ真面目な牧師の父を持つ少年の気持ち、戦争体験、敗戦後の進駐軍のこと朝鮮戦争時の日本の状況等々、とても面白いエッセイが満載ですよ。
お勧め本です。
●大庭萱朗(編)「田中小実昌ベスト・エッセイ」
出版社:筑摩書房(文庫本)
値 段:950円+消費税