2017年
2月
28日
火
映画「ジャージー・ボーイズ/Jersey Boys」を見た方は、多いと思います。
素晴らしい映画でしたよね。
「ジャージー・ボーイズ」は、もともとボブ・ゴーディオ作曲、ボブ・クリュー作詞、マーシャル・ブリックマンおよびリック・エリス脚本によるジュークボックス・ミュージカル。
世界観客動員数2000万人を超え、演劇界の最高峰トニー賞で4部門を受賞した大ヒットミュージカル。
1960年代・70年代に世界的なヒット曲を持つFour Seasons の友情と夢、栄光と挫折そして再生の実話を、半世紀を経て今なお世界中で愛されている彼らの名曲と共に描いています。
音楽もグラミー賞最優秀ミュージカル・ショー・アルバム賞を受賞。
2014年には、クリント・イーストウッド監督により映画化。
同映画は、日本での評価も高く、第39回報知映画賞・海外作品賞、第88回 キネマ旬報ベスト・テン外国映画ベスト・ワンおよび外国映画監督賞、第38回日本アカデミー賞 優秀外国映画賞、第57回ブルーリボン賞・外国作品賞など多くの賞を獲得しています。
Four Seasonsは、60年代最高の都会派アメリカン・ポップス・グループなんです。
Four Seasonsの魅力は、フランキー・ヴァリ/Frankie Valliのパワフルなファルセット・ヴォイス、ボブ・ゴーディオ/Bob Gaudioのポップなメロディー、ボブ・クリューとアレンジャーのチャーリー・カレロが作り上げたリズミカルな手拍子によるアレンジ。
Beatles日本上陸前、Elvis Presley、Paul Anka、Neil Sedaka等で育った僕がのめり込んだ最初の洋楽アーチスト。
僕が中学1年の時、ラジオから流れてきた曲が「Sherry」。
変声期前だったので、地声で「Sherry」を歌っていました。
この「Sherry」は、1962年に発表されUSA.BillboardシングルチャートでNo.1に、R&BチャートでもNo.1に輝きます。
次の「Big Girls Don't Cry/邦題:恋はヤセがまん」、「Walk Like a Man/邦題:恋のハリキリ・ボーイ」も連続No.1に輝きます。
USA.Billboardシングル・チャート3曲連続第1位という記録は、Four Seasonsが世界で初めて成した快挙なんです。
以降、多数のミリオン・セールスを記録。
Four Seasonsは、ポップチャートだけでなくR&Bチャートでも大きな成功を収め、ライチャス・ブラザーズとともに、ブルー・アイド・ソウル(Blue-Eyed Soul)の草分けともいえる存在です。
その後台頭するBeatles等のブリティッシュ・インヴェイジョンに対抗できたのはFour Seasons、Beach Boys、Supremes、Monkeesだけと言っても過言ではありません。
初期メンバーは、フランキー・ヴァリ、ボブ・ゴーディオ、トミー・デヴィート、ニック・マッシですが、フランキー、ボブ以外のメンバーチェンジを繰り返しながら現在も活動しているそうです。
1990年に「ロックの殿堂」入り。
1999年に「ヴォーカル・グループの殿堂」入り。
世界中で1億枚以上の売り上げを誇り、現在でも最も売り上げの高い音楽グループの1つとされている。
フランキー・ヴァリは、ローリング・ストーンの選ぶ「歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第80位にランクイン。
◆「The Four Seasons Story」
1975発表。
「Sherry」が発売された当時、お小遣いが無く購入することができませんでしたので、このBest盤が発売された時には急いで買いに行ったのを思い出しました。
手にした時は嬉しかったな~。
で、同アルバムは、1962年から1970年のヒット曲を集約した2枚組みアルバム。
発表直後に100万枚以上を売り上げゴールドディスクに認定。
当時アメリカレコード協会は100万枚以上の売り上げに認定されるプラチナ・レコードをまだ設定していなかった時代です。
同アルバムには、USA.BillboardのHot 100のシングル・チャートで30位以内の曲が殆ど網羅されています。(フランキー・ヴァリのソロ・シングルは含まれません)
1962年: Sherryシェリー/第1位
1962年: Big Girls Don't Cry恋はヤセがまん/第1位
1963年: Walk Like a Man恋のハリキリ・ボーイ/第1位
1963年: Ain't That a Shame/第22位
1963年: Candy Girl/第3位・Marlena/第36位
1964年: Dawn (Go Away)悲しき朝やけ/第3位
1964年: Stay/第16位
1964年: Ronnie/第6位
1964年: Alone、第28位
1964年: Rag Doll悲しきラグ・ドール/第1位
1964年: Save It for Me、第10位
1964年: Big Man in Town、第20位
1965年: Bye, Bye, Baby (Baby Goodbye) バイ・バイ・ベイビー/第12位
1965年: Girl Come Running/第30位
1965年: Let's Hang On!、第3位
1965年: Don't Think Twice、第12位
1966年: Working My Way Back to You君のもとへ帰りたい/第9位
1966年: Opus 17 (Don't You Worry 'bout Me)、第13位
1966年: I've Got You Under My Skin君はしっかり僕のもの/第9位
1966年: Tell It to the Rain、第10位
1967年: Beggin'、第16位
1967年: C'mon Marianne、第9位
1967年: Watch the Flowers Grow、第30位
1968年: Will You Still Love Me Tomorrow、第24位 など収録。
◆「Frankie Valli Solo」
1975年発表のFrankie Valliの初ソロアルバム。
このアルバムからシングルカットされた「Can't Take My Eyes Off You/邦題:君の瞳に恋してる」は、USA.BillboardのHot 100で第2位を記録。
1967年USA.Billboardの年間ランキングでは第12位。
「My Eyes Adored You/邦題:瞳の面影」がUSA.BillboardのHot 100で第1位に、UKでもBest10に入った。
アルバムもUSA.Billboardアルバムチャートで第2位を記録。
「Can't Take My Eyes Off You/邦題:君の瞳に恋してる」は、その後多くのアーチストがカヴァー。
アンディ・ウィリアムス、ペット・ショップ・ボーイズ、シーナ・イーストン、ミューズ、レターメン、ナンシー・ウィルソン、ダイアナ・ロス、グロリア・ゲイナー、テンプテーションズ等々。
特にボーイズ・タウン・ギャングのバージョンは、日本ではオリコン洋楽シングルチャートで1982年12月6日付から3週連続1位を獲得。
◆「Grease」
この映画に影響された方も多いようで・・・・。
「Grease」は、夏休みの避暑地で知り合った高校生のダニー(ジョン・トラボルタ)とサンディ(オリビア・ニュートン・ジョン)が繰り広げる1978年の学園ミュージカル映画。
Frankie Valliは、ビージーズのバリー・ギブ作曲の主題歌『Grease 』を歌い、ビルボード・シングルチャートでNo.1を獲得。
このサウンドトラック・アルバムも大ヒット。
1978 USA.Billboard 200でNo.1、UKアルバムチャートでNo.1、オーストラリアでNo.1、日本オリコン週間LPチャートでNo.1に輝いています。
1978年のUSA年間アルバムチャートで2位を記録。
2017年
2月
23日
木
Doobie Brothersが来日しますね。
何と、22年振りとか・・・・。
東京は、4/26(水)に武道館。
残念ながら、今回は平日公演なので行けないな~・・・。
僕が観たDoobie LIVEは、1979年2月の日本武道館LIVE。
今でも思い出します。
と言うことで、Doobie Brothersをご紹介しますね。
Doobie Brothersは、Eaglesと並ぶウエスト・コースト・サウンドの代表格。
1979年の「What A Fool Believes」でグラミー賞を受賞。
2004年にボーカル・グループの殿堂入りを果たしています。
Doobie Brothersは、カントリー・フォーク系のトリオPUDのメンバーだったトム・ジョンストン、ジョン・ハートマンが中心となり結成。
その後、メンバーチェンジを繰り返しながら現在も活動しています。
バンド名の"Doobie Brothers"というのは、元々「マリファナ仲間」を指すスラングだそうで、まだ彼らが倉庫で練習していた頃、よくマリファナの回し飲みをしていたのがバンド名となったそうです。
日本のDoobie Brothers ファンは、2つに分かれます。
初期のギター中心のストレートなアメリカン・ロックのDoobieと後期のあか抜けたジャージーなDoobie。
個人的には、初期の“これぞアメリカン・ロック”というDoobieの方が好きなんですが・・・・。
71年の1stアルバム「The Doobie Brothers」は全く売れなかったが、テッド・テンプルマン(*1)がプロデューサーになった2ndアルバム「Toulouse Street」(1972年発表)からシングルカットされた「Listen to the Music」が大ヒット。
以降、ギター中心のストレートなロックと力強いファンキーなリズムセクションが評判を呼び、名実ともにウェストコーストを代表する人気バンドなります。
1975年バンドの中心人物トム・ジョンストンの健康状態が悪化した際、Steely Danのツアー・メンバーだったマイケル・マクドナルド(Vo/key)が新たに加入。
キーボードを核とした洗練されたAOR路線へと変化し、78年のアルバム「Minute by Minute」とシングル「What A Fool Believes(ある愚か者の場合)」が全米1位に。
同年のグラミー賞を獲得し、高い人気と評価を確立。
80年代に入るとマイケル・マクドナルド色が強くなり、各人のソロ活動が活発化。
遂に82年のツアーを最後に解散。
87年にはベトナム帰還兵救済を目的としたチャリティー・コンサートのため再結成コンサート実施。
このLIVEは、Doobie Brothersに在籍した歴代メンバー12人が一堂に会し、同窓会的なステージだったそうです。
そして、このコンサートが引き金となり自然に再結成の話が持ち上がり、89年には初期メンバーを中心に再結成。
その後もメンバーチェンジを繰り返しながら、現在でも第一線で活動を続けています。
当店所有のDoobie Brothersのアナログレコードをご紹介しますね。
(*1)テッド・テンプルマンは、後にLittle Featの「セイリン・シューズ」、Van Morrisonの「テュペロ・ハニー」、Eric Claptonの「Behind The Sun」、Van Halen、サミー・ヘイガー、デヴィッド・リー・ロスらのアルバムを手がけるなど、70年代から80年代にかけて、ロック界を代表する大物プロデューサー。
◆「Toulouse Street」
1972年発表の2ndアルバム。
テッド・テンプルマンのプロデュースで、以降のDoobieサウンドの音楽スタイルを決定づけた出世作。
シングルカットされた「「Listen To the Music」が全米11位に、「Jesus is Just Alright/邦題:希望の炎」が全米35位と大ヒット。
アルバムは、全米21位を記録。
◆「The Captain And Me」
1973年発表の3rdアルバム。
このアルバムから採用されたツイン・ドラムスの分厚いリズムにアコースティックとエレクトリック・ギターの軽やかなリズムを重ねた初期の傑作アルバム。
シングルカットされた名曲「「Long Train Runnin」が全米8位に、「China Grove」が全米15位を記録し、一躍アメリカを代表するロックバンドへとのしあがる。
アルバムは、全米7位、UK30位を記録。
レコーディング時のゲストとして、Little Featのビル・ペイン、Steely Danのジェフ・バクスターらが参加しています。
「Long Train Runnin」は、アメリカ映画「コードネームはファルコン」(1985年公開)のサウンドトラックで使用されています。
また、日本ではトヨタ・チェイサーとトヨタ・ハリアーのCMソングに使用。
◆「What Were Once Vices Are Now Habits/邦題:ドゥービー天国」
1974年発表の第1次黄金期頂点の4枚目のアルバム。
当初、「Another Park, Another Sunday」(全米32位)がシングルカットされたが、そのB面の「Black Water」がバージニア州のラジオ局で流れたことを機に徐々に全米でブレイク。
B面だった「Black Water」は、ついにDoobie初の全米No,1位に輝く。
その他に「Eyes Of Silver」が52位、「Nobody」が58位を記録。
アルバムは、全米4位、UK19位を記録。
同アルバム制作後、ゲスト参加のジェフ・バクスターは、Steely Danを飛び出しDoobieへ正式加入。
◆「Stampede」
1975年発表の5枚目のアルバム。
予約だけでミリオン・セラーを記録したアルバム。
ジェフ・バクスター(g)加入によってトリプル・ギターになる。
ツイン・ドラムスとトリプル・ギターという、よりパワフルな構成のDoobieサウンドの総決算的作品。
シングルカットされたキム・ウェストンのカヴァー曲「Take Me In Your Arms (君の胸に抱かれたい)」は全米で11位を記録。
「Sweet Maxine」は全米40位、「I Cheat the Hangman」は全米60位を記録。
アルバムは、全米4位、ニュージーランドで5位、オランダで11位、UKで14位を記録。
予約だけでミリオン・セラーとなり、バンドはその後も順調に活動を続けていくように見えたが、このアルバムのツアー中にバンドのリーダー兼ヴォーカリストでもあり、ほとんどの曲の作者でもあったトム・ジョンストンが突然倒れてしまう。
そこで、急遽ヴォーカルのできるジェフ・バクスターと同じSteely Danのメンバーでキーボードと歌を担当していたマイケル・マクドナルドが参加。
この時、コンサート会場でのファン達はトム・ジョンストンが出演しないことにブーイングを浴びせたらしいが、マイケル・マクドナルドが唄い出すとピタリと止み、やがて歓声に変わっていったとか・・・。
唄・キーボード・作曲までできるマイケル・マクドナルドは、その後正式にメンバーに。
このことが良くも悪くもDoobieに大変革をもたらすことになる。
◆ 「Takin' To The Streets/邦題:ドゥービー・ストリート」
1976年発表の6枚目のアルバム。
トム・ジョンストンの体調不良により加入したマイケル・マクドナルド(vo,kb)によって、サウンド変化が起きた分岐点となる作品。
これまでのストレートでパワフルなロック路線から、R&Bやジャズのテイストを取り込んだ都会派のジャージーなロックへと変化。
同アルバムは、トム・ジョンストンが休んでいる間に発表され、マイケル・マクドナルドとジェフ・バクスターの元Steely Danコンビが織りなすジャズ・テイストのサウンドがかなり反映されたアルバム。
マイケル・マクドナルドが作曲した同名タイトル曲「Takin' To The Streets」が全米13位の大ヒットを記録。
その他に「It Keeps You Runnin'」が全米37位に、「Wheels Of Fortune」が87を記録。
アルバムは、全米で8位、ニュージーランドで7位、オランダで11位、UKで42位を記録。
このアルバムが制作された当時、1976年はAOR元年、フュージョン元年とも言われ、Boz Scaggs、Al Swewart、George Benson、Michael Franks、Al Jarrowなど「大人向けのAORロック・アルバム」が次々にヒットした年。
この時代の流れにDoobieも乗って行きます
◆「Best Of Doobies」
1976年発表の初期ベスト盤。
アルバムは、全米5位を記録。
Doobieの1stから「Takin' To The Streets/邦題:ドゥービーストリート」までの一世を風靡したヒット曲を収録。
ジュークボックスに収録曲の入れたジャケットがアメリカぽくって、とても好きです。
発売から売れ続け、セールスが1,000万枚以上とか・・・。
ウエストコーストの軽快なサウンドが堪能できます。
◆「Livin' On The Fault Line/邦題:運命の掟」
1977年発表の7枚目のアルバム。
シングルカットされた「Echoes of Love」が全米66位を記録。
その他にもマーヴィン・ゲイの1966年ヒット曲のカヴァー「Little Darlin' (I Need You)」、カーリー・サイモンとマイケル・マクドナルドの共作「You Belong to Me」も話題に。
アルバムは、全米で10位を記録。
前作以上にマイケル色が強くなり、ロック、ソウル、フュージョンがバランスよく盛り込まれた完成度の高い作品。
この作品を最後にトム・ジョンストンはDoobieを脱退。
◆「Munute By Minute」
1978年発表の8枚目のアルバム。
Doobie第2期黄金期を築いたアルバムで、名実共にアメリカン・ロックを代表するバンドとしての地位を確立した作品。
ケニー・ロギンスとマイケル・マクドナルドの共作「What A Fool Believes」が全米No,1に輝き、グラミー賞4部門を制覇。
シングルカットされた「Dependin' On You」は全米ポップ部門で25位、「Munute By Minute」は、全米R&B部門で74位、ポップ部門で14位、「What A Fool Believes」はR&B部門で72位、ポップ部門で1位を記録。
アルバムも全米No.1に輝きました。
この頃バンドには、一時メンバーをはずれていたトム・ジョンストンが復帰していましたが、新しい方向性に進んだバンドに彼の居場所はなく、トム・ジョンストンはソロ活動に。
また、あまりのマイケル・マクドナルド色の濃さにジョン・ハートマンとジェフ・バクスターも脱退。
◆「One Step Closer」
バンド存続の危機の中、1980年に発表された、解散前最後のオリジナル・アルバム。
同アルバムでは、メンバーに黒人を起用しジャズやラテン色がますます強くなり、マイケル・マクドナルドの個性全開のアルバム。
初期のDoobiesの面影はまったく有りません。
シングルカットされた「Real Love」は全米5位、R&Bチャートで40位を記録。
「One Step Closer」は、全米で24位、「Keep This Train A Rollin'」は、62位を記録。
アルバムは、全米3位、R&Bアルバム・チャートでは31位を記録。
その他にニュージーランド22位、ノルウェー32位、オランダ42位、UK53位を記録。
1980年11月にはRIAAによってプラチナ・ディスクに認定。
マイケル・マクドナルドについていけなくなったメンバー達の脱退が続き、ついには最後のオリジナル・メンバーであったパトリック・シモンズも脱退を決意。
これを機にメンバー達は協議の末、Doobie Brothersを解散させることに合意。
そして、82年最後に“Farewell Tour”と題し全米ツアーを実施。
◆ LIVE盤 「The Doobie Brothers Farewell Tour」
1982年の全米ツアー「Farewell Tour」の模様を収録したアルバム。
1983年に発表。
もう、ヒットパレード的なLIVE盤。
ラストのTom Johnston & Michael McDonaldのコラボによる「Long Train Runnin'」「China Grove」はたまりません。
Doobieの歴史を振り返れる一枚です。
LIVE盤からシングルカットされた「You Belong To Me」が、全米で79位を記録。
2017年
2月
17日
金
好きだな~、浅田次郎のこのシリーズ。
「天切り松闇がたり」とは、大正・昭和と激動の時代を生き抜いた伝説の義賊「目細の安吉一家」の一人「天切り松」が、留置所の小悪党や看守相手に夜盗の声音「闇がたり」で語り聞かせる、粋でいなせな闇の渡世の義賊列伝。
発刊されるたびに買ってしまいます。
語部の「天切り松」のべらんめぇ口調がたまりません。
上手い浪曲師が語るような流れる文章のリズムがとても心地よく、また登場人物の現在では無くなってしまった感がある義理人情、いなせで粋な生き様がとてもかっこいいんです。
義賊「目細の安吉一家」は、スリ・強盗・夜盗・詐欺のプロフェッショナル集団。
「天切り松」は幼名を松蔵といい、酒と博奕に身を持ち崩したあげく、妻を医者にも見せずに死なせ、娘は女郎屋に売り飛ばしたという父親に「抜弁天の安吉」の下に盗ッ人修行に出されたという現在では考えられないほどの最悪の家庭環境に育つ。
「天切りたァ、大江戸以来の夜盗の華。ケチな所帯にァ見向きもせず、忍び返しに見越しの松、長屋門に車寄せてえお屋敷ばかり、夜に紛れて屋根を抜く、富蔵、藤十郎、鼠小僧の昔から、一子相伝、親分から子分へと奥義を伝えられた荒技でえ。」という、伝説的な大泥棒。
9年ぶりに発表された「第五巻 ライムライト」は、五・一五事件の前日に来日した大スター、チャップリンの知られざる暗殺計画に江戸っ子の粋を体現した伝説の「目細の安吉一家」が昭和初期の東京で大活躍する物語。
表題作「ライムライト」ほか5編を収録。
「天切り松 闇がたり 5 ライムライト」
発行:集英社(文庫本)
値段:605円
2017年
2月
14日
火
妻と久しぶりの映画。
とても面白い映画でした。
しかし、原題が「The Accountant」なのに、何故「コンサルタント」なのか気になりましたが・・・・、映画の内容は、想像していたよりアクションシーンは少なめですが、物語の構成が非常に上手い。
とても良くできた面白いサスペンス・アクション映画。
回想シーンから少年時代の過去が徐々に明らかになっていき、クライマックスにかけて壮大なパズルが一気に解けていく。
面白かったな~。
会計士と殺し屋の二つの顔を持つ主人公ウルフ。
彼は、少年時代よりアスペルガー症候群という普通の人よりコミュニケーション能力が劣る病気を抱えている。
元軍人の父親は、そんな自閉症の彼の将来を心配し、社会に負けないように戦闘能力を彼に叩き込み・・・・、彼は超一流の殺し屋に。
また、彼は数学に特化した「自閉症患者」であったため、天才的な数学的能力により一流の会計士となる。
そして、世界中の危険人物の裏帳簿を仕切る裏社会の掃除屋となった彼は、アメリカ政府やマフィア、一流企業に追われながら危険な仕事に身を投じていく……。
ただのアクション映画だけでなく、自閉症等の発達障害や家族間の問題など考えさせる映画です。
自閉症患者の中には社会で「普通」に暮らしている人間以上の能力があり、「普通とは何か?」を考えさせられました。
自閉症患者施設には、会話もままならぬがあらゆる施設に簡単にハッキング出来るほど天才的なIT知識豊富な女性も登場します。
映画を見終わってから、「自閉症等の発達障害とは何か?」、「普通とは何か?」、「家族とは?」を感じた次第です。
面白い映画なので時間のある方はぜひ見てください。
2017年
2月
13日
月
Aerosmithは、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンからデビューしたハードロック・バンド。
デビューは、1973年。
メンバーの脱退や離脱などもありましたが、40年以上たった現在でもなおオリジナル・メンバーで活動しているグループで、2001年には「ロックの殿堂」入りを果たしています。
これまでに「グラミー賞」4回、「ビルボード・ミュージック・アワード」4回、「アメリカン・ミュージック・アワード」6回、「MTV Video Music Awards」10回など獲得。
ローリング・ストーン誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」においては第59位にランクイン。
スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーのソングライティング・コンビは、米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP)からポップ・ミュージックに多大な影響を与えたパイオニア的存在に贈られる「ファウンダーズ・アワード」を受賞。
ナショナル・アカデミー・オブ・ポピュラー・ミュージック(NAPM)設立による「ソングライターの殿堂」入りも果たしています。
日本では、1970年代後半からQueen、Kissとともに“3大バンド”の1つとして人気を博し、トータルセールスは、全世界で1億5,000万枚以上と言われています。
以上のような華々しい賞歴を持っていますが、Aerosmithの本当の魅力は何といってもドラッグとセックスの香りがプンプンする“猥雑で下品かつ野生味溢れる” ハード・ロックなのです。
極端な言い方をすれば、Queenの対極に位置するバンドなんですネ。
ブルース、ファンク、R&Bの要素をドロドロの状態で一度混ぜ合わた曲をハード・ロックへ昇華。
ジョー・ペリーのやる気なさげに響く不良テイストのギターとスティーヴン・タイラーの何を歌っているのかさっぱり意味不明なヴォーカルが上手く融合し聞く側には心地よいハードロックとなっています。
それが変わることなく40年以上も続いているんですから・・・・、凄いバンドなんですよ。
彼らの最大の魅力“猥雑で下品かつ野生味溢れるハード・ロック”が最大限に発揮されるのが、何といってもLIVE。
Aerosmithはテクニシャンがいるバンドではありませんが、「ド派手でゴージャスな、スタジアム型のロックロール」は、絶対に裏切りません。
あのBon Joviが「いつも、Aerosmithの半分くらいはカッコよくなりたい!と願ってた」という名言を残した程、カッコいいです。
最高です!
メンバー。
・スティーヴン・タイラー(Vo):1951/3/26 ニューヨーク生まれ
・ジョー・ペリー(g):1952/9/10 マサチューセッツ州ボストン生まれ
・ジョーイ・クレイマー(Ds):1950/6/22 ニューヨーク生まれ
・トム・ハミルトン(b):1951/12/31 コロラド州コロラド・スプリングス生まれ
・ブラッド・ウイットフォード(g):1952/2/23 マサチューセッツ州ウインチェスター生まれ
当店所有のAerosmithのアナログレコードをご紹介しますね。
◆1st 「Aerosmith/邦題:野獣生誕」
1973年発表の1stアルバム。
同アルバムは、地元ボストンで若干話題にはなりましたが、「ストーンズのコピーバンド」と酷評。
しかし、収録曲は全曲シンプルなロックン・ロールで、かっこいいです。
中でも「Dream On」と「Mama Kin」は、当店でもリクエストの多く、40年以上経った現在でも彼らはLIVEで演奏しています。
シングル・カットされた「Dream On」は、最高60位。
しかし、同曲はラジオ局などで徐々に人気を集め、後にリクエストが殺到。
3年後の1976年に再発され、ビルボード誌で6位になる大ヒットとなり、アルバム自体も21位を記録。
収録曲の「Mama Kin」は、Guns N' Rosesがメジャー・デビュー前のLIVEでカヴァー。
同じく収録曲でルーファス・トーマスの曲「Walkin The Dog」は、Rolling Stonesが1stアルバムで、RATも1stアルバムでカヴァーしています。
◆「Get Your Wings/邦題:飛べ!エアロスミス」
1974年発表の2ndアルバム。
発表当初は日本の一部マスコミに”飛びたくても飛べない駄作”と酷評され、セールス的に悪くUSAアルバムチャートでも最高ランク100位にも届きませんでした。
でも「Mama Kin」同様イントロがカッコいい「Same Old Songs And Dance/邦題:エアロスミス離陸のテーマ」や「これぞロック!」という感じの「S.O.S」、ヤードバーズ往年の名曲を彼等らしくカヴァーした「Train Kept A Rollin」など、聴きどころ満載の曲が収録されています。
特に「Train Kept A Rollin」は、2009年のロックの殿堂入り授賞式恒例のオールスター・フィナーレで、Jimmy Page、Ron Wood、Metallica、Freeとセッション。
この頃、AerosmithはMott the HoopleやBlack Sabbath、Deep Purple等のLIVEで前座をしており、地味ながらも徐々に全米へと浸透していきます。
そして次作「Toys in the Attic/邦題:闇夜のヘヴィ・ロック」の大ヒットとともに、同アルバムはビルボード・アルバムチャートで74位まで上昇。
◆「Toys in the Attic/邦題:闇夜のヘヴィ・ロック」
1975年発表の3rdアルバム。
Aerosmith出世作として位置付けられています。
シングル・カットされLIVEでも演奏する「Walk This Way/邦題:お説教」は、ビルボード・シングルチャートで10位、「Sweet Emotion」は36位を記録。
アルバム自体もビルボード・アルバムチャートで11位の大ヒットに。
「ローリングストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500」で229位。
「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」で収録曲「Walk This Way」が336位、「Sweet Emotion」は416位にランクインしています。
「Walk This Way」は、1986年にRUN D.M.Cがラップでカヴァーし、ビルボードで4位の大ヒットとなり、日本テレビ系列のバラエティ番組『踊る!さんま御殿!!』メインテーマとして使用されました。
しっとり聞かせるバラード「You See Me Crying」も良いです。
この時期メンバーはドラッグ漬けとなり、些細な出来事からバンド内で大喧嘩が頻繁に起こり解散寸前の状況だそうです。
結果、1979年7月のロック・フェスティバル「ワールド・シリーズ・オブ・ロック」出演後、ジョー・ペリーがバンドを脱退する事態に発展します。
◆「Rocks」
1976年発表の4thアルバム。
1970年代のAerosmith最大のヒット・アルバムです。
シングル・カットされた「Last Child」がビルボード・シングルチャートで21位、「Home Tonight」が71位、「Back In The Saddle」が38位を記録。
アルバムもチャート3位を記録する大ヒットに。
ローリング・ストーン誌の「オールタイム・ベストアルバム500」で176位にランクインしています。
このアルバムのヒットがきっかけとなり1・2作目も触発されるようにチャートを上昇し、1作目かこの「ROCKS」まで全てのアルバムがプラチナ&ゴールドディスクに輝く事に。
この後、彼等はヨーロッパ・全米をまわり、翌年の1月に待望の初来日となります。
◆「Draw the Line」
1977年発表の5thアルバム。
メンバー全員がドラッグ漬けという状況の中で製作されたアルバムですが、これまでで一番早くプラチナ・レコードを獲得しています。
再発シングル「Draw The Line」が42位、「Kings And Queens」が70位を記録。
アルバムは、ビルボード・アルバムチャートで11位を記録。
日本のオリコンチャートで初のトップ10入りを果たしています。
「ドロー・ザ・ライン(線を引く)」は、吸入する前のコカイン粉で線を引くという意味の謎掛けだったのではないか?との逸話がありました。
この当時の問題はドラッグだけでなくスティーヴンとジョーの確執が段々と表面化してきた時期でもありました。
◆「Night in the Ruts」
1979年発表の6thアルバム。
収録曲9曲のうち3曲はカヴァー曲。
「Remember」はShangri-lasの1964年のヒット曲、「Reefer Head Woman」はブルース歌手ジャズ・ジラムが1938年に発表した楽曲、「Think About It」はYardbirdsが1968年に発表した楽曲のカヴァー。
シングル・カットされた「Remember」は、ビルボードで67位。
アルバムは、ビルボード・アルバムチャートで14位を記録。
この頃、彼等のドラッグ中毒は絶頂期。
特に酷かったジョーがドラッグ過多で病院にかつぎこまれたり、スティーヴンがステージ上で過度のトリップ状態に陥りステージ進行に支障をきたしてしまったりとバンドの内情はメチャクチャだったようです。
さらにジョーとスティーヴンの確執はますます深くなり、このアルバム完成前にジョーはグループを脱退。
ジョーの代わりとなるギタリストをあちこちから引っ張ってきてどうにかこのアルバムを完成させたそうで。
この後任候補の中にはかのMichael Schenkerも含まれていたそうですが、プロデューサーのゲイリーがマイケルの黒づくめな格好が気に入らなかったらしく幻に終わってしまったという逸話も。
◆「Permanent Vacation」
1987年発表の9thアルバム。
プロデュースは、ボン・ジョヴィ等を手掛けたブルース・フェアバーンが担当。
第二期黄金期のきっかけとなったオリジナルアルバムで、ビルボード・アルバムチャート第11位を記録。
UKで初のアルバム・チャート入り。
シングル・カットされた「DUDE」はUSA14位・UK45位、「ANGEL」はUSAで3位・UK69位、「Rag Doll」はUSA17位を記録。
この後、彼等はGuns N' Rosesを前座に従えて久々のツアーに出る事に。
「ANGEL」は後に、日本のTVドラマ「エンジン」のオープニング・テーマに使用されています。
「I,M DOWN」はBeatlesのカヴァー。
◆「Pump」
1989年 に発表した10thアルバム。
プロデューサーは、前作「Permanent Vacation」と同じくブルース・フェアバーン。
シングルカットされた「Love In An Elevator」は5位、「Janie,s Got A Gun」が4位、「What It Takes」が9位、「The Other Side」が22位と連続してヒット。
アルバムもUSAチャートで5位を記録し、1990年年間チャート4位の大ベストセラーとなる。
児童虐待や銃社会を扱った「Janie,s Got A Gun」は、グラミー賞のベスト・ロック・パフォーマンス部門を受賞。
この「PUMP」により、Aerosmithは完全に全盛期の頃の勢いが戻っていると思います。
スピード感溢れる「Young Last」、児童虐待を扱った「Janie,s Got A Gun」、お祭りロック「The Other Side」等々素晴らしいの一言に尽きる一枚。
◆「Get a Grip」
1993年発表の11枚目のアルバム。
Aerosmith初の全米アルバム・チャートNo.1を獲得。
年間チャートでも1993年14位、1994年21位と2年にわたるロングセラーを記録。
シングルカットされた「Amazing」が24位、「Cryin」が12位、「Livin, On The Edge」が18位、「Crazy」が17位と、立て続けにヒット。
「Livin, On The Edge」で、グラミー賞を受賞。
ゲスト・ミュージシャンにレニー・クラヴィッツやドン・ヘンリー等が参加しているのも魅力的。
下品かつ野卑な魅力たっぷな曲、気持ちまンまを叩きつけるようなバラード曲、カントリーっぽいノリのお祭りロック、悲哀全開というべき曲等々、アルバム全体に捨て曲は全くありません。
◆「Live! Bootleg」
1978年発表の2枚組LIVE盤。
1977年から1978年にかけて行われたアメリカ・ツアー(インディアナポリス公演、シカゴ公演、ボストン公演、デトロイト公演、インディアナポリス公演、サンタモニカ公演)等の音源を中心に収録。
エアロは全部で4枚のライブ・アルバムを出していますが、初期の頃のライヴとしてはこのアルバムが完成度という点で一番良いと思います。
シングル・カットされたBeatlesのカヴァー「Come Together」は、全米23位を記録。
アルバムもビルボードで13位を記録。
「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」において173位にランクイン。
LIVE盤「Dream On」は、映画『ラスト・アクション・ヒーロー』サウンドトラックに提供。
ロニー・ジェイムズ・ディオは、イングヴェイ・マルムスティーンとともに「Dream On」をAerosmithのトリビュート・アルバムでカバー。
◆シングル盤「I Don't Want to Miss a Thing」
1998年発表の映画「アルマゲドン」主題歌。
Aerosmithとしては、史上初となる全米シングルチャート1位(Billboard Hot 100)を獲得(4週連続)した曲。
また、オーストラリア、ドイツ、アイルランド、オーストリア、ノルウェー、イタリア、オランダ、スイスなど各国で1位を記録。
第71回アカデミー賞「歌曲賞」部門にノミネートされ、MTV Video Music Awardsの「ベスト・ビデオ・フロム・ア・フィルム」を受賞。
アメリカの番組で「アメリカ人が選ぶ名曲ベスト100」にて6時間に渡る生放送でマイケルジャクソンを抜き第1位に選出。
ミュージック・ビデオでは映画の映像が所々で使用されており、映画と同様にスティーヴンの娘であるリヴ・タイラーも出演しています。
2001年、日産・エルグランド(E50型)のCMソングに使用されています。
2017年
2月
06日
月
昨年に続き、今年もまた大物逝去の報が・・・・。
イギリス出身のミュージシャン(歌手、ベーシスト)John Wettonが、1月31日癌で逝去。
享年67歳。
同年代の好きなアーチストが亡くなるのは、本当に悲しく寂しいですね。
改めて、合掌!
John Wettonは、技巧的なベース演奏と歌声でプログレやハード・ロックの分野だけでなく、様々な音楽ジャンルで活動。
特にプログレ分野での活躍は有名ですよね。
僕がJohn Wettonを知ったのは、King Crimson1973年発表「太陽と戦慄」と1974年発表「Red」を聞いた時。
それ以来、頭の片隅にいつもJohn Wettonが・・・・。
以来、John Wetton参加バンドやプロデュース作品は極力聞くようにしていました。
Uriah Heep、U.K.、Asia・・・・・etc。
コージー・パウエル同様、才能豊かな人間はどこからでもお声がかかるんですね。
羨ましい。
と言うことで、John Wettonが楽しめる当店所有のアナログレコードをご紹介しますね。
◆King Crimson 「Larks' Tongues in Aspic/邦題:太陽と戦慄」
Crimsonのロバート・フリップがYESのドラマーだったビル・ブラッフォードを引き抜き、旧友ジョン・ウェットンら新メンバーを集めてKing Crimsonを再結成。
「太陽と戦慄」は、1973年に発表したKing Crimson6枚目のアルバム。
UKアルバム・チャート20位、USAアルバム・チャート61位を記録。
この時のメンバー。
ロバート・フリップ - Guitar, Mellotron & Devices & Electric piano
ジョン・ウェットン - Vocal, Bass & Piano
ビル・ブラッフォード - Drums
デヴィッド・クロス - Violin, Viola, Flute
ジェイミー・ミューア - Percussions, Drums
強烈だった1stのイメージを完全に払拭し、新生King Crimsonとして明確な個性を打ち出した代表作の一つ。
13分あまりの大作「太陽と戦慄Part.I」にはメンバー5人が繰り広げるCrimsonのダイナミックな世界。
即興的演奏ように聴こえるけど、実は綿密に計算され組み立てられた繊細さ、棘とげした不機嫌さ、感情の爆発など、およそすべての心象表現が網羅されている作品。
このスタイルは、以降の多くのプログレ・バンドに影響を与えています。
◆King Crimson 「Red」
ロバート・フリップ、ジョン・ウェットン、ビル・ブラッフォードの3人が核となりイアン・マクドナルドやマイケル・ジャイルズら元メンバーを加え1974年9月27日に発表されたKing Crimson 7枚目のアルバム。
メンバー及びゲスト参加アーチスト。
ロバート・フリップ - Guitar & Mellotron
ジョン・ウェットン - Bass & Vocal
ビル・ブラッフォード - Drums & Percussions
デヴィッド・クロス – Violin
メル・コリンズ - Soprano Sax
イアン・マクドナルド - Alto Sax
ロビン・ミラー - Oboe
マーク・チャリグ - Cornet
重厚なインスト曲「Red」から始まり「Starless」まで、全編に凄まじい気迫と緊張感が漂っているアルバムです。
「Starless」は、初期の「エピタフ」や「クリムゾン・キングの宮殿」を彷彿とさせるメロディアスで叙情的な前半部と、サックスとギターによる激しい即興的演奏の応酬を聴かせる後半部からなる大作。
もう~、落涙です。
Nirvanaのカート・コバーンは、最も影響されたレコードの一枚としてこの「Red」を挙げています。
しかし、同アルバムを以て第2期キング・クリムゾンは解散となります。
◆Uriah Heep 「RETURN TO FANTASY/邦題:幻想への回帰」
LIVE中に感電事故を起こしたゲイリー・セインに変わり、John Wettonが参加し1975年発表したUriah Heep 8作目のアルバム。
イギリスでは 1975年にUKアルバム・チャートの第7位を記録し、Uriah Heep最大のヒット作。
この時のメンバー。
David Byron – Lead vocals
Mick Box – Guitar
Ken Hensley – Keyboards, synthesizer, guitars, vocals
Lee Kerslake – Drums, percussion, vocals
John Wetton – Bass guitar, mellotron, vocals
Ken Hensley の幻想的なムーグ、David Byron の語るようなヴォーカル、淡々とベースを弾きまくる John Wetton、Mick Box のワウ・ギター・・・・・、もう最高!
壮厳なイントロから展開される代表曲の一つ「Return To Fantasy」、David Byron のヴォーカルが蝶のように舞い蜂のように刺すシングルになった曲「Prima Donna」、スローバラード「忘却への道 」、Ken Hensley の静かなハモンドに David Byron がしんみり歌い、そして激しい慟哭と共にイッキに盛り上がる「A Year Or A Day」・・・・。
とても好きなアルバムです!
◆UK 「1st/邦題:憂国の四士」
UKは、John Wettonとビル・ブラッフォードがRoxy Musicのエディ・ジョブソン(kbd,vln)とTempest、Soft Machine、Gong等のアラン・ホールズワース(g)を迎え入れて結成されたプログレ・バンド。
メンバー。
ジョン・ウェットン(John Wetton) - vocal/bass guitar/moog pedal bass
ビル・ブラッフォード(Bill Bruford) - drums/percussion
エディ・ジョブソン(Eddie Jobson) - organ/CP-80/CS-80/minimoog/electric violin/backing vocal
アラン・ホールズワース(Allan Holdsworth) - guitar/backing vocal
同アルバムは、1978年発表の1st。
プログレ衰退期の1978年に発表されましたが、ビル・ブラッフォードとアラン・ホールスワースのジャズロックとウェットンとジョブソンのプログレ魂がみごとに融合。
静と動が織り成す見事な曲構成で、プログレファン必聴の一枚だと思います。
しかし、音楽性の不一致によりホールズワースとビル・ブラッフォードが脱退。
◆UK 「Danger Money」
ジョブソン、ウェットンは、後任のドラマーとして、ジョブソンの知り合いでFrank ZappaのThe Mothers of Inventionで活動していたテリー・ボジオを誘い、キーボード・トリオ編成でバンドを再スタート。
メンバー。
ジョン・ウェットン(John Wetton) - vocal/bass guitar/moog pedal bass/guitar
エディ・ジョブソン(Eddie Jobson) - organ/minimoog/pianos/electric violin
テリー・ボジオ(Terry Bozzio) - drums/percussion/backing vocal
キーボード・トリオでヘビーなサウンドや変拍子といったプログレ的要素を織り込みながらロック色を強めたアルバム。
前作に勝るとも劣らない超絶のテクニックが炸裂するアルバムです。
このUKは、何度かCLUB CITTA' でLIVEをやっているんですね。
観たかったな~・・・・。
◆Asia 「1st/邦題:詠時感〜時へのロマン」
Asiaは、プログレの分野などから多くのアーティスト達が参加してできた「スーパーグループ」で、デビュー当初から注目を集めていました。
メンバー。
元King Crimson、Roxy Music、U.K.のジョン・ウェットン(vo.b)、
元Tomorrow、YESのスティーヴ・ハウ(g.vo)、
元Atomic Rooster、ELP(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)のカール・パーマー(ds)、
元Buggles、YESのジェフ・ダウンズ(kbd)
Asiaは、「プログレッシヴ・ロックのエッセンスをポップスとして鏤めた3分半の楽曲」というスタイルを確立。
そのスタイルに沿いロジャー・ディーンのイラストをジャケットに使った1stアルバムは、全米NO.1を9週キープ、全世界で1500万枚のセールスを達成。
シングルカットされた「Heat Of the Moment」は、USAロックチャート1位、USAポップチャートで4位。
◆Asia 「ALPHA」
1983年に発表されたAsiaの2ndアルバム。
メンバーはデビュー時と変わらず、音楽性も前作の成功を踏襲。
よりポップでキャッチーな作風が展開され、ほとんどプログレの面影はありません。
シングル・カットされた「Don’t Cry」と「偽りの微笑み」が大ヒット。
「Don’t Cry」は、USAシングル・チャートでNo.1を獲得し、80年代を代表するヒット曲になってます。
アルバムは、USAビルボードチャートで6位、UKオフィシャルチャートで5位、日本・オリコンチャートで4位を記録。
しかし、エイジアにとっては本作が最後のヒットになり、その後はメンバー・チェンジなどが激しくなり、バンドは不安定な状態に。
◆Asia 「Astra」
1985年に発表の3rdアルバム。
1984年にJohn Wettonが復帰したが、ウェットンとハウとの仲がうまくいかず。
スティーヴ・ハウは同アルバム制作中に脱退し、ハウの後任のギタリストとしてマンディ・メイヤーが参加。
メンバー。
カール・パーマー - ドラムス
マンディ・メイヤー - ギター
ジェフリー・ダウンズ - キーボード、ヴォーカル
ジョン・ウェットン - ヴォーカル、ベース
シングル・カットされた「Go」は、USAロックチャートで7位、USAポップチャート46位に。
アルバムは、USAビルボードチャートで67位、UKオフィシャルチャートで68位、日本・オリコンチャートで15位を記録。
これまでのように巨大な成功とはならなかった。
◆Duncan Mackay 「Score」
ダンカン・マッケイ、生まれはイギリスですが、17歳の時に父の仕事の関係で南アフリカ大学に入学。
南アフリカでは、クラブを中心にジャズを演奏。
ロンドンに戻ってからSteve Harleyに出会い、Cockney Rebel再結成時に参加。
その後、後期10CC、CAMEL等でその辣腕を発揮した隠れた名key奏者で、プログレ史の中で決して無視できない存在。
「Score」は、1977年発表。
プロデューサーにJohn Wettonを迎え、バックには錚々たるメンバーが参加しています。
元Jeff Beck Group、Hummingbird等のClive Chaman (b)、
元Manfred Mann、King Crimson、GreensladeのAndrew McCulloch (dr/per)、
元Steve Harley&Cockney Rebelのスティーブ・ハリー等実力派ミュージシャン。
ダンカン・マッケイ自身のマルチkeyを核にしたテクニカルかつシャープなサウンドと英国でのキャリアを反映したメロディアスでポップなセンスがバランス良く融合。
カラフルな音色、バック陣とのスリリングなアンサンブル、インストを軸に要所にvoを交えた絶妙な構成力が光る作品に仕上がっています。
鍵盤プログレ作品としての価値ある作品。
John Wettonは、プロデュースのみならず「Pillow Schmillow」と「No Return」の2曲でリードヴォーカルも務めています。
その事だけでウェットン・ファンにとっては外せない逸品ですが、これまで40年近くもCD化されなかった故、幻の名盤・レア盤扱いとなっていました。
CD化されなかったのは理由として、マスターテープが消失したからとの噂あり・・・?
◆Phil Manzanera「Diamond Head」
フィル・マンザネラは、イギリスのロックミュージシャンで職人的なギタリスト。
Roxy Musicのレギュラー・メンバーとして活動の他レコード・プロデューサーとしても有名。
「Diamond Head」は、1975年発表のフィル・マンザネラ初ソロ・アルバム。
メンバー。
・フィル・マンザネラ - ギター、Tiple、シンセサイザー、ベースギター、オルガン、ピアノ、ボーカル
・ジョン・ウェットン - ベースギター、メロトロン、ボーカル
・バート・ワイアット - ティンバレス、カバサ、ボーカル
・ブライアン・イーノ - electronic treatments、ギター、ボーカル
・ポール・トンプソン(Paul Thompson) - ドラムス
・エディ・ジョブソン - 弦楽器、クラビネット、シンセサイザー
豪華ゲスト陣をバックに、フィル・マンザネラのギターによる独特の味のあるフレージング、歯切れのよいカッティングなどが堪能できます。
ロバート・ワイアットの渋いヴォーカル、Roxy Musicのライブでも定番だったギター・インストゥルメンタル曲「ダイアモンド・ヘッド」、アンディ・マッケイ大活躍のかっこいいインストゥルメンタル曲、ブライアン・イーノが大活躍する曲などが愉しめます。
特にB面のラスト3曲は、本当に涙が出るくらい感動する名曲です。
John Wettonがヴォーカルの「Same Time Next Week」も良いですよ。