2016年
7月
28日
木
まさかな~・・・、自分が白内障になるなんて夢にも思ってもいませんでした。
4月頃から急に視力が落ち始め、5月頃から景色が靄っとし白っぽく見え始めたので・・・・どうしたんだろう・・・・と心配になり、急遽病院へ。
診断結果が、白内障。
前期高齢者の自分が言うのもなんですが・・・・、白内障って老人がなるもんだと思っていたのに・・・・・。
白内障は、眼の中のレンズの役割をする水晶体が濁ってしまう病気。
一般的には加齢に伴って発生する場合が最も多いそうで、80歳を超えるとほとんど人が何等かの白内障の状態になるそうです。
早い人で40歳ぐらいから発症する例もあるそうです。
白内障の手術は日本国内で年間に約140万件ぐらい行われているとてもポピュラーな手術で、入院の必要が無く日帰り手術と言うことなので・・・・結局手術することにしました。
2週間火曜日を臨時休業にしたのは手術のため。
目の手術・・・、考えただけでも怖いよね~!
だって目に注射針やメスが入るのが見えるんですよ!
ウン、モ~・・・・・と覚悟を決め病院へ・・・・・。
麻酔はどこに打つのか心配していたら、何と目薬。
メスも強いライトで何も見えず。
全く痛みがありませんでした。
手術自体も20分程度で終了。
結局、8:20分に病院に入り、各種手続き・手術・会計を済ませ、12:00には自宅で煙草を吸うことができました。
しかし、健康保険からの「高額療養費」給付は助かります。
これからの病気を考えると「高額療養費」に感謝!!
でも、従来のメガネが合わず、レンズ交換代が・・・・。
白内障に関して40歳過ぎの方は次のような症状が出たらご注意ください。
目がかすむ、ぼやけて見えにくい、ものが二重三重にだぶって見える、光がまぶしく感じる、遠くが見えにくく感じるため近視が進んだように感じる、晴れた日の屋外がとてもまぶしく感じたり、車の対向車のライトがまぶしく感じたりする。
気をつけましょうね!
2016年
7月
25日
月
● STATUS QUO 「Best盤」
STATUS QUOは、イギリスのチャールズ公が若い頃ファンクラブに入っていたことでも有名なイギリスの国民的バンド。
1962年にフランシス・ロッシを中心に結成されスペクターズとして1966年にデビュー。1967年にバンド名をSTATUS QUOに改名。
初期はサイケデリック・ロック色の強い楽曲が主だったが、3枚目のアルバム「Ma Kelly's Greasy Spoon」からシンプルなハード・ブギ路線に変更したところファンが激増。
1972年に発表した5枚めのアルバム「Piledriver」がUKチャートにランクインし、次作1973年に発表した「Hello!」が遂にUKアルバム・チャート1位を獲得し人気を確固たるものにした。
その後毎年出されるアルバムは、英国で常に上位ランクインしています。
「ただ、俺達はロックン・ロールが大好きなだけ」という姿勢がいいですね!
その他、当店所有のSTATUS QUOアルバム
・1973年に発表しUKアルバム・チャートNo,1に輝いた「Hello!」
・1974年に発表しUKアルバム・チャートNo,2に輝いた「Quo」
●Cactus(カクタス) 1st「Cactus」
Cactusは、1969年に結成されたUSAロックバンド。
アメリカン・ロックにとても重要な役割を果たしたバンドです。
60年代末期、アメリカン・バンドの中にあって都会的なセンスと完璧なリズムセクションで異彩を放ちイギリスからも注目されていたヴァニラ・ファッジのティム・ボガートとカーマイン・アピスは、ジェフ・ベックの誘いでバンドを組むことになっていたが、ベックが交通事故を起こしバンド結成の話は中断。
そこでボガートとアピスは、知り合いの元ミッチ・ライダー・アンド・デトロイト・ホイールズのジム・マッカーティーと元アンボイ・デュークス~元テッド・ニュージェントのラスティ・デイを誘いCactusを結成。
ボガート&アピスの生み出す超強力リズム+ラスティの持つワイルド&暴力性+マッカーティーのブルース感覚あふれるギターが相まって、荒削りだが骨太でごまかしのないサウンドは、ブリティッシュ・ハードの雄ツェッペリンなどと比較しても勝るとも劣らない “これぞアメリカン・ハード・ロックバンド”が誕生。
当時では、アメリカのバンドとしてはかなり異色なバンドでしたが、その後登場するエアロスミス、ヴァン・ヘイレン、38スペシャル、モントローズ、レーナード・スキナード等のバンドのよき指針となり、アメリカン・ハードの原型をつくりあげたバンドとして忘れてはならないバンドです。
「カクタス(1970年)」「ワン・ウェイ... オア・アナザー(1971年)」「リストリクションズ(1971年)」の3枚のアルバムを発表1972年に解散。
カクタスを高く評価していたロッド・スチュワートは[カクタス]の解散に反対し、「ベックと一緒に活動したら、潰されてしまう。こんないいバンドがあるのに・・・」と助言したそうです。
その後ボガートとアピスはベックと共にベック・ボガート & アピス(B,B&A)を結成しスタジオアルバム1枚およびライブアルバム1枚を発表した後解散。
余談ですが1st「Cactus」のアルバムのジャケットはリリース前にレコード会社から「そそり立つ1本のサボテンがまるで男の象徴のようだ」ということでリリース前にレコード会社から変更を要求されていたそうですが・・・。
● ZZTop「Fandango」
ZZ Topは、1969年にアメリカ合衆国テキサス州で結成され40年以上メンバーチェンジが一度もないスリーピース・ロック・バンド。
ビリー・ギボンズは、2011年に「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第32位にランク・インしています。
バンド結成当初はブルースに根ざしたサウンドで、黒人のブルースマン達(マディ・ウォーターズ等)と一緒にツアーで地方巡業をしていたそうです。
1973年に発表した3rdアルバム「Tres Hombres(Billboard 200で8位)」がゴールド・ディスクを獲得しましたが、絶え間ないツアーとレコーディングの連続にバンドは疲弊し1977年から2年間の活動停止となります。
この2年間の活動停止期間に、ビリーとダスティの髭が伸び、現在トレードマークになっているルックスになったとか・・・・。
ZZTop は何故かアメリカのトラック運転手達に特に好まれ、1983年発表の「Eliminator」1985年発表の「Afterburner」等は、レコードよりもテープの方が売れたそうです。
1990年には、マイケル・J・フォックス主演の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3」のエンディングテーマに「Doubleback」を提供。
湾岸戦争の際には、戦勝祈願コンサートを実施したとか。
2012年、9年振りに発表された新作アルバム「La Futura」は、「Greatest Hits」以来20年振りに全米トップ10(6位)入りを記録。
2004年にはロックの殿堂入りし、授賞式でのプレゼンターはキース・リチャーズが務めています。
●Fandango! (ファンタンゴ)
1975年発表の4thアルバム。
Billboard 200で10位を記録し、1975年にゴールドディスクに認定。
シングルカットされた「タッシュ」はBillboard Hot 100で20位を記録しバンドにとって初の全米トップ40シングルとなりました。
また、UKで初のアルバムチャート入りを果たしています。
冒頭のA面3曲はライヴ音源、残りB面6曲はスタジオ録音という変則的な内容です。
音楽評論家のデイヴ・ホワイトはAbout.comにおいて本作を「ライヴ・バンドとしての高い技量を披露している」と評しています。
写真左:1983年発表の「Eliminator」
写真右:1985年発表の「Afterburner」
2016年
7月
18日
月
「何を今更!」と笑われてしまいそうですが、映画ってやはり映画館で観るのが最高!
TVでDVDを見ているのも面白いけど、やはり映画は映画館まで足を運ばないとね・・・・。
久しぶりに妻と一緒に「インディペンデンス・デイ リサージェンス」を見てきました。
1996年に製作・公開され、世界中で大ヒットを記録したSFパニック超大作「インデペンデンス・デイ」の20年ぶりの続編になるのだけど、裏切らなかったな~。
最高に面白い映画でした。
前作から20年後のアメリカ合衆国が舞台なだけに、前作の重要人物たちも出演。
地球を救ったデビッド親子やトーマス・ホイットモア元大統領、ブラキッシュ・オークン博士たちがそのまま出演。
20年を経て公開される新章なだけに、破壊も爆発もスケールアップしていてとても面白い映画でした。
今回の映画で大統領が女性だったので・・・・・・、ヒラリーに決定?!
2016年
7月
17日
日
また好きな人が逝ってしまいました。
永六輔が7月7日に亡くなりましたね。
1970年代、野坂昭如、小沢昭一とともに中年御三家を結成。
全員好きだったのに・・・・、全員亡くなってしまったな~。
あの軽妙洒脱な話術が聞けなくなるなんて・・・、とても寂しいですね・・・。
享年83歳。
お疲れさまでした。
合掌。
● 読んでほしい中年御三家の本。
・永六輔:「芸人その世界」、「大往生」
・小沢昭一「小沢昭一的こころ」
・野坂昭如は以前紹介しているので省略。
2016年
7月
11日
月
魅惑的なシェリーの甘い香りとデリケートなスモーキー・フレーバーが特徴。
「鉄の女」マーガレット・サッチャー元英国首相が好んだグレンファークラスの10年シングル・モルト。
グレンファークラス蒸留所は、創業当時から直火焚き蒸留と熟成樽にこだわっており、蒸留後アメリカ産ホワイトオーク樽で寝かせ、熟成にはスペインのオロロソ又はフィノシェリーの熟成に使われていたシェリー樽を使用しています。
輝きのある淡いゴールドカラーで魅惑的なシェリーの甘い香りとデリケートなスモーキー・フレーバーのバランスが良い深みのある味わいが特徴です。
女性にも是非お薦めしたいウイスキーです。
2006年 「The International Spirits Challenge」と「THE SINGLE MALT WORLDCUP」で金賞を受賞。
グレンファークラス10年 : 750円 (通常価格 : 900円)
無くなり次第終了します。
2016年
7月
11日
月
最後の「無頼派」、「「焼跡闇市派」と言われた野坂昭如。
同本は、2003年5月に脳梗塞発症から2015年12月9日に急逝するまでの約12年間の闘病生活を元タカラジェンヌの陽子夫人の口述筆記による公開日記とエッセイです。
急逝の数時間前まで取り組んだ日記「だまし庵日記」を主軸にいくつかのエッセイを加えた文字通りの「絶筆」。
この日記の根底に流れているのは、家族に対する愛情と自身の戦争体験からみた日本の現状が主となっています。
脳梗塞発症後、十年を超えるリハビリの記録だけに、毎日の食事や日常生活描写が多くなっているのは当然ですが、野坂の日常生活を支えている奥様、娘、孫達に対する感謝の気持ちが随所に記述されています。
また、敗戦前後の悲惨な実体験を意識しつつ、昨今の混迷する政治経済社会状況への批判、特に食や農業危機への警鐘が記述されています。
妹や義父の命を奪い取った戦争。
「70年前の今日、ぼくは神戸で焼け出された」という文章で始まっている2015年の6月5日のコラムではこの空襲で養父を失い、その数か月後には妹を栄養失調で失ったことに対する思い出が綴られています。
戦争は野坂自身の人生そのものであり失ったものの大きさを忘れることが出来なかった人生なのだろうと推測されます。
戦争を知っている世代、戦争で多くの物を失った世代であり、被害者ゆえの戦争否定の考えを貫いています。
「少しでも戦争を知る人間は戦争について語り伝える義務を持つ……戦争は醜い。僕の中に戦争の記憶は如何ともしがたく骨身に絡んでいる」と同時に、「かって国民より国家を重んじ、日本国民は戦争に巻き込まれた。……国民は自国のお上の下心を疑い、矛盾を追求した方がいい」と現在の政治状況、特に憲法改正と集団的自衛権については執拗に語り続けています。
新聞報道等から安倍政権の右寄り政策にはかなり危険なものを感じているようです。安保法案、沖縄基地問題、秘密保護法案などで、日本がまた戦争に突き進むのではないかと、安倍政権にはかなり批判的です。
野坂は、12月9日の日記で「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」としたためたのち自宅で倒れ急逝。
享年85才。
改めて、合掌。