2015年
6月
30日
火
大好きなプログレバンドの一つ~YESのベーシストChris Squireが6月27日に急性骨髄性白血病にてお亡くなりになりました。
享年67歳。
YESは、メンバー・チェンジの激しいバンドでしたが、1968年の結成時から唯一YESに在籍し続けていたオリジナル・メンバーです。
YESの良い時も悪いときも・・・、
YESの全てを知っているChris Squire・・・・。
本当に残念です。
YESの「Fragile/邦題:こわれもの 」、「Close to the Edge/邦題:危機 」、「YES SONG」が大好きでね・・・。
1988年の東京・国立代々木競技場と1992年の東京・日本武道館でのLIVEを観ています。
オリジナル・メンバーでの来日を期待していたのですが・・・・・、これで叶わず・・・・・。
お疲れ様でした。
心からご冥福をお祈りいたします。
合掌!!
● 当店所有のYESアナログレコード紹介
● 「The Yes Album/邦題:イエス・サード・アルバム」
1971年発表
ギターが、ピーター・バンクスからスティーヴ・ハウに交代した3rdアルバム。
収録曲は、LIVEでも演奏され続けている曲ばかりでスティーヴ・ハウの才能が爆発したようなアルバム。
UKアルバムチャートで7 位・USAビルボード・アルバムチャートで40位を記録。
Jon Anderson (Vo)
Chris Squire (B, Vo)
Tony Kaye (Org, P)
Bill Bruford (Ds)
Steve Howe (G)
● 「Fragile/邦題:こわれもの 」
1971年発表
名盤特集には、必ず入ってくるアルバム。
Jon Anderson (Vo)
Chris Squire (B, Vo)
Tony Kaye (Org, P)
Bill Bruford (Ds)
Steve Howe (G)
Rich Wakeman(Ky)
TVアニメ「ジョジョの奇妙な冒険」の後テーマ曲に「Roundabout/ラウンド・アバウト」が使用されてから、20代・30代のお客様からもリクエストが多いアルバムです。
UKアルバムチャートで7位、 USAビルボード・アルバムチャートで4位を記録。
● 「Close to the Edge/邦題:危機 」
1972年発表
メンバーは前作と同じ。
前作同様、名盤特集に入るアルバム。
このアルバムのレコーディング終了後、ビル・ブラッフォードはキング・クリムゾンに移籍。
後任としてジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドなどのセッションで活動していたアラン・ホワイトが加入。
UK
アルバムチャートで4位、 USAビルボード・アルバムチャートで3位を記録。
● 「Yessing’s/邦題:イエスソングス 」
1973年発表
1972年7月から4回にわたって実施されたアメリカ・ツアーをまとめた3枚組LIVE盤。
ドラムのほとんどをアラン・ホワイトが担当ですが、「遥かなる思い出〜ザ・フィッシュ」や、ドラム・ソロが含む「パーペチュアル・チェンジ」はビル・ブルーフォードのドラムスによる演奏が使用されています。
オープニングのストラヴィンスキー「火の鳥」から突然「Siberian Khatru」に入り、続けて「Heart Of The Sunrise」に・・・・。
もう~、鳥肌もんです・・・。
LIVE名盤のトップクラスといわれています。
UKアルバムチャートで7 位、USAビルボード・アルバムチャートで12位を記録。
● 「Tales from Topographic Oceans/邦題:海洋地形学の物語 」
1973年発表
Voのジョン・アンダーソンが読んでいたヒンドゥー教僧侶の著書に影響されて作られた作品といわれています。
2枚組のLPレコードで各面が1曲、計全4曲という大作。
1曲が長いのでお店ではなかなかかけられませんが、個人的には大好きなアルバムです。
Jon Anderson (Vo)
Chris Squire (B, Vo)
Tony Kaye (Org, P)
Steve Howe (G)
Rich Wakeman(Ky)
Alan White (Ds)
UKアルバムチャートでNo.1に輝きました。
USAビルボード・アルバムチャートで46位を記録。
● 「Going for the One/邦題:究極」
1977年発表
YES10枚目のアルバム。
Jon Anderson (Vo)
Chris Squire (B, Vo)
Steve Howe (G)
Rich Wakeman(Ky)
Alan White (Ds)
リック・ウェイクマンの復帰により、これまでの構築された楽曲にハードでダイナミックな要素を積極的に取り入れたYESにとってターニング・ポイントとなった作品。
最大の目玉は、20分超の大作Awaken。
前半の激しさ、中盤の静けさ・・・・・。
ジョンが弾くハープの音にリックのキーボードが絡み、とても美しい曲となっています。
UKアルバムチャートでNo.1を獲得。
USAビルボード・アルバムチャートで8位を記録。
●「Tormato/邦題:トーマト 」
1978年発表
このアルバムは、問題作。
と言うのも、従来のプログレを離脱し、パンク・ムーヴメントへ殴り込みをかけたストレートな曲で占められた作品だから・・・。
クジラの捕鯨問題やUFOの到来など、より直接的になった歌詞となっています。
それ故、これまでのYESファンが離れてしまい、良い意味でも悪い意味でもバンドに変革をもたらせた作品。
しかし、セールス的にはプラチナディスクを獲得するほど売れました。
Jon Anderson (Vo)
Chris Squire (B, Vo)
Steve Howe (G)
Rich Wakeman(Ky)
Alan White (Ds)
UKアルバムチャートで8位を記録、USAビルボード・アルバムチャートで10位を記録。
● 「Drama/邦題:ドラマ」
1980年発表
「トーマト」発表後の結成10周年記念ツアー終了後、ジョン・アンダーソンとリック・ウェイクマンが脱退。
そこでYESと同じマネージメントに所属していたBuggles/バグルスのメンバーを吸収。
Buggles/バグルスは知ってますよね!
1979年にデビュー曲「Video Killed The Radio Star/邦題:ラジオ・スターの悲劇」が全英1位の大ヒットを記録したバンド。
クリス・スクワイア、スティーヴ・ハウ、アラン・ホワイトに加えトレヴァー・ホーン (ボーカル)、ジェフ・ダウンズ (キーボード) で「Drama」を発表。
「Drama」は、UKアルバムチャートで2位を記録、USAビルボード・アルバムチャートで18位を記録。
しかし、このアルバムを引っさげてのアメリカとヨーロッパでツアーは失敗し、ツアー後YESは活動を停止してしまいます。
因みに、活動停止後、スティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズはAsiaを結成。
Asiaも知ってますよね!
メンバーは、元キングクリムゾン・ロキシーミュージック・U.K等のジョン・ウェットン、元ELPのカール・パーマー、それにYESからスティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズが参加。
1982年の1stアルバム「Asia/邦題:詠時感〜時へのロマン」は9週間全米NO.1となり、全世界で1500万枚以上のセールスを達成。
シングル・カットされた「Heat Of the Moment」は、全米ロックチャート1位、全米ポップチャートでも4位を記録。
● 「90125/邦題:ロンリー・ハート」
1983年、南アフリカ共和国出身のハードロック・バンドRabbitt/ラビットに在籍していたTrevor Rabin/トレヴァー・ラビンを加えYESは再結成。
再結成時のメンバーは、スクワイア、ホワイト、ラビン、ケイ、アンダーソン。
原題の「90125」という数字は、ただの発売当時のレコードの品番で、深い意味はないそうですが、解散していたイエスの再結成アルバムとして話題になりました。
アルバムからシングル・カットされた「Owner of a Lonely Heart/邦題:ロンリー・ハート 」は、USAアメリカをはじめ多くの国で1位を獲得。
現在のところイエス唯一の全米Billboard Hot 100における1位獲得作品です。
日本でも日産・バサラ、三洋電機(パナソニック)eneloop、UCC上島珈琲「クリア」等のCMに使用されたりして大ヒットしましたよね。
このアルバムは、「80's Rock / Popsの名盤」、"Owner of a Lonely Heart"は、80'sを代表する1曲と言われています。
UKアルバムチャートで16位を記録、USAビルボード・アルバムチャートで5位を記録。
因みに、当店にはRabbitt/ラビットのアルバムもありますよ!!
● 「BBCセッション1969-1970 サムシングズ・カミング」
1997年発表
初期イエスの魅力を探る貴重な一枚。
イエスの第1期のラインナップである69~70年の2年間、つまり「Yes/邦題:1stアルバム」から「Time And A Word/邦題:時間と言葉」までのオリジナル・メンバー編成による英国BBC放送に残された音源を集めたライヴ・セッション集。
監修は初代ギタリストのピーター・バンクス。
バンクスの荒々しさが魅力のギター・プレイと初期のイエスの魅力の一つである元曲を逸脱したカヴァー曲のアレンジを存分に楽しめます。
Jon Anderson (Vo)
Chris Squire (B, Vo)
Peter Banks (G)
Tony Kaye (Org, P)
Bill Bruford (Ds)
2015年
6月
29日
月
観てきましたよMad Maxの新作「怒りのデス・ロード」。
もう~、凄い迫力です。
最初から最後まで・・・・、ノンストップ、アクセル全開の映画。
久々に圧倒されました!!
「Mad Max」は裏切らないな~・・・。
メル・ギブソン主演のMad Maxもすべて見ています。
1979年公開の「マッドマックス」
1981年公開の「マッドマックス2」
1985年公開でティナ・ターナも出演していた「マッドマックス/サンダードーム」
で、今回の27年ぶりに製作された4作目にもメル・ギブソン出演でいて欲しかったけど・・・・、良く考えれば・・・・もう70歳近くですからね・・・。
仕方ないか・・・。
メル・ギブソンはいないけど、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」は裏切りませんでした。
映画の内容は、説明はしません。
とにかく映画館で観るべし!!
因みに、今回の映画のなかで「緑の地」を目指し逃亡した女性人の中にレニー・グラビッツの娘も登場していました。
2015年
6月
23日
火
1962年、サリー州のウェイブリッジという街で結成されたNashville Teens。
日本では1曲、世界的には2曲の大ヒット曲をもつイギリスのグループ。
1964年発表のデビュー・シングル「Tobacco Road」は、UKで6位に、USAでも中ヒットを記録。
同1964年暮れに発表した2ndシングル「Google Eye」もUKトップ10ヒットを記録。
翌年公開の映画「トップ・ギア」にも出演。
通常、1曲でも世界的な大ヒット曲があれば、いろいろな種類の資料が残っているものですが、どういう訳か残念なことにこのバンドに関する資料はとても少ないんです。
Nashville Teensは、アメリカ黒人のブルースに影響を受けたロック/ブルース、R&Bを演奏。
2人の専任ボーカリストがツイン・ボーカルと鍵盤を叩きつけるような荒々しいピアノでR&Bサウンドを聴かせるバンドだったようです。
結成後の1963年には、当時のデビュー前のUKバンドの定番ともいえる、ドイツ・ハンブルクのスター・クラブでの巡業や現地でライブ・レコーディングを行ったジェリー・リー・ルイスのバック、ボ・ディドリーのツアーのサポート等で注目を浴びたようです。
その後、イギリス本国に戻りチャック・ベリーやカール・パ-キンスのバックバンドを勤めさらに脚光を浴びます。
そんなNashville Teensに目をつけたのが、アニマルズ、ハーマンズ・ハーミッツを育て上げたあの有名なミッキー・モスト。
ミッキー・モストは、1964年発表のデビュー曲と2ndシングル曲をヒットさせ、映画「トップ・ギア」にも出演させたのですが・・・・、ここからNashville Teensの悲劇が始まります。
当時のミッキー・モストは2大バンドを抱えて超多忙の毎日。
そのため、折角2曲の大ヒットを出したNashville Teensのプロモートまで手が回らず、2年目からはほとんどノン・プロモート状態。
マリアンヌ・フェイスフルとの競演シングルとなった「The Little Bird」を発表しますが、マリアンヌの方だけが大ヒット。
この曲日本でもヒットしましたよね!
ノン・プロモート状態でバンドは試行錯誤しながら頑張っていましたが、1969年サウンドの要ともいえるピアノのジョン・ホウクンが脱退し、事実上バンドは解散状態となってしまいましたそうです。
因みに、ピアノのジョン・ホウクンは、元Yardbirds/ヤードバーズのキース・レルフが結成したプログレ・バンド「Renaissance/ルネッサンス」に加入しています。
「Tobacco Road」は、元Van HalenのDavid Lee Roth がソロ・アルバム「 Eat 'Em And Smile」でカヴァーしています。
本当に実力あるバンドでもノン・プロモートじゃ売れないのですね!!
Nashville Teensを聞くたびに、何か淋しさを感じます・・・・。
2015年
6月
15日
月
ある年齢以上の方にしか通じないジョークですが・・・、「バス ストップといえば平浩二」と言うぐらいに日本でも大ヒットしたHolliesの「Bus Stop」。
Holliesは、あのGraham Nash/グラハム・ナッシュが中心のグループ。
バンド名は、メンバーが好きだったBuddy Holly/バディ・ホリーから付けたと言われています。
1963年に発表された1stシングル「(Ain't That) Just Like Me」がUKで25位を記録。
3rdシングル「ステイ」が初のUKトップ10入りに。
翌64年1月に発売した1stアルバム「ステイ・ウィズ・ザ・ホリーズ」は、UK2位の大ヒットを記録。
イギリスでは順調にヒットを飛ばしていましたが、何故かブリティッシュ・インヴェイジョンの波に乗れず、一番遅咲きのグループとなってしまったのがHollies。
しかし、1966年に発表された12枚目のシングル「Bus Stop」がついにアメリカでも認められ、USAビルボード・シングルチャートで5位を記録し世界的な大ヒットに。
12弦アコースティック・ギターを使用したサウンドが、当時流行のフォーク・ロックとみなされたのが成功の要因とされています。
当然、日本でも大ヒット。
当時日本の洋楽状況はアメリカ経由で入ってくるので、この「Bus Stop」がHolliesが1stシングルだと思っていたので、「偉大なる1発屋」のグループ認識しかありませんでした。
でも、この曲が大好きでね・・・、学生時代にBEST盤購入し、「偉大なる1発屋」の認識は、日本だけだということを知りました。
66年10月発売の「Stop! Stop! Stop」がUKで2位、USAで7位を記録し世界での人気も不動のものとなりました。
しかし、次のアルバムで揉め、グラハム・ナッシュは1968年にHolliesを脱退。
その後、グラハム・ナッシュは訪米中に知り合ったByrdsのDavid Crosby/デビッド・クロスビー、Buffalo Springfield/バッファロー・スプリングフィールドのStephen Stills/スティーブン・スティルスと共にC・S・N/クロスビー、スティルス&ナッシュを結成したのは有名ですよね!!
一方のHolliesは、1969年にグラハム・ナッシュと揉めたアルバム「ホリーズ・シング・ディラン」を完成させ、 1968年に来日公演を果たしています。
Holliesは、1974年に「Air That I Breathe/邦題:安らぎの世界へ」が世界的ヒットを記録しますが、が、これが最後のヒット曲となり解散。
2010年、ロックの殿堂入りを果たしています。
余談ですが、冒頭の「バス ストップといえば平浩二」ですが・・・・・、平浩二のバスストップがリリースされたのはHollies「Bus Stop」の7年後なんですよ!
キャンディーズも「Bus
Stop」をカヴァーしているとか・・・・?
2015年
6月
08日
月
大好評の「シリーズ ~もっとウイスキーを知って欲しくって!」フェア の第3回目は、代表作「1984年」のジョージ・オーウェルがこよなく愛した「アイル・オブ・ジュラ」です。
ジュラ島はアイラ島の北東に位置し、全島人口約160人に対し野生アカシカが約5000頭生息している「鹿の島」。
「アイル・オブ・ジュラ」は、1810年操業の「鹿の島」唯一のジュラ蒸留所で造られています。
現在は、ホワイト&マッカイ社が運営しています。
ホワイト&マッカイ社の参入により、「アイル・オブ・ジュラ」はこれまでのコアなウイスキー・ファンだけでなく新たなシングルモルト愛好家も急増!!
特徴は、ピート層を通って柔らかくなった水とノンピートの麦芽で仕込まれ、熟成樽にファーストフィルのバーボン樽とマッサレムシェリー(長期熟成シェリー)樽を贅沢に使用していることです。
オイリーさや塩辛さを少し感じますが、全体的にはライトでバランスのとれた非常に口当たりが良く飲みやすいモルトに仕上がっており、女性や初心者にも気軽に楽しめる素晴らしいシングルモルトです。
今宵は、鹿だらけの小さな島で「アイル・オブ・ジュラ」を飲みながら「1984年」を出筆したジョージ・オーエルやジュラ島の人々に思いを馳せながら、グラスを傾けては・・・・。
●「アイル・オブ・ジュラ10年」
通常料金シングル 900 円 ⇒ シングル700円
2015年
6月
07日
日
日本でのヒット曲は2曲しかないけど・・・、当時、結構好きなバンドの一つでした。
Honeycombsは、ロンドン出身のバンド。
ドラムとボーカル担当で紅一点のハニー・ラントリーとアメリカの野生牛・バイソンの角をイメージしたBurns のギターが特徴のバンド。
現在では、女性のロックは珍しくないけど、当時の日本人感覚からすると、女性がドラムを叩いているなんて・・・・、本当にビックリしたもんです。
また当時、見たことが無い珍しいギターの形とそのギターが出す金属的な音にはまってしまいました。
1964年、ジョー・ミーク(※1)のプロデュースによる「Have I The Right/ハヴ・アイ・ザ・ライト」が、イギリスで1位を獲得。
その他にカナダとオーストラリアで1位、オランダで2位、アメリカで5位、ドイツで21位と世界中で大ヒット。
その勢いで世界ツアーを実施し、1965年には日本にも来ていたようです。
帰国してから日本での思い出を歌った「ラヴ・イン・トーキョー」という曲をしているんですって・・・・。
しかし、1965年「That’s The Way/ザッツ・ザ・ウェイ」がイギリスで12位を記録して以後、ヒット曲に恵まれず、1967年2月3日、プロデューサーだったミークの猟銃自殺により、ハニーカムズは新曲のレコーディングを止め、解散したようです。
※ジョー・ミーク/JOE MEEK
イギリスの音楽プロデューサー。
1962年にThe Tornados(ザ・トルネイドース)の「テルスター」やJOHN LEYTONの「霧の中のジョニー/Johnny Remember Me」などを大ヒットさせた名プロデューサー。
イギリスのフィル・スペクターとも形容され世界中から注目されていましたが、1967年2月3日にショット・ガンで自らを撃ち抜き自殺。
この2月3日はバディ・ホリーの命日でもあります・・・・。
2015年
6月
01日
月
毎週月曜日の夜は、自宅でTVを見ながら食事をします。
見る番組はいつも同じで、テレビ東京(TX-TV)「YOUは何しに日本へ?」。
本日の番組内の1コーナーで新宿ゴールデンが取り上げられていました。
現在、新宿ゴールデン街が外国人観光客の人気スポットになっており、外国のTOKYOガイドブックにはディ―プな東京を味わえる場所として紹介されているようです
で、番組を見ていたら・・・・、ナント、ビックリ!!
20代の頃から通っていた「あるぱか」が、それもマスターの青木さんが映っているではありませんか!
も~、本当にビックリです。
定年退職後はご無沙汰しており、TVに映っている青木さんを見て嬉し涙が出てしまいました。
妻も青木さんにはお世話になっているので、食後直ぐに電話してしまいました。
青木さんは、もう70歳過ぎており、新宿ゴールデン街の主のようなマスター。
青木さん、近々伺いますからね!
お体大事に頑張ってください!
新宿及び新宿ゴールデン街に行かれる方は、是非「あるぱか」に寄ってください。
「あるぱか」の電話番号:03-3200-7159
2015年
6月
01日
月
古川ロッパを知っている人は・・・・、現在では本当に少ないと思います。
彼について若干説明しますね。
古川ロッパは、1930年代の日本を代表するコメディアンで編集者やエッセイストとしても活躍した人なんです。
1903年(明治36年)に元東京帝国大学総長加藤弘之男爵の長男にあたる加藤照麿男爵の六男として誕生。
家訓により、義理の叔父(父の妹の婿)で満鉄役員の古川武太郎(元陸軍中将の古川宣誉の長男)の養子に・・・。
1921年早稲田第一高等学院に進学しキネマ旬報編集同人になります。
1922年早稲田大学文学部英文科在学中に映画初出演した際、文藝春秋社社長 菊池寛に招かれ雑誌「映画時代」の編集者として入社。
その後、親交のあった活動弁士徳川夢声とナヤマシ会を結成し演芸活動を開始。
素人なのにとても芸達者だったロッパは、菊池寛や小林一三に認められて喜劇役者に転向。
1933年には浅草で徳川夢声・大辻司郎・三益愛子・山野一郎らと劇団・笑の王国を旗揚げ。
同時期に活躍した喜劇役者「エノケン」こと榎本健一と「エノケン・ロッパ」と並び称されるほどの人気者に。
「弥次喜多道中膝栗毛」では、榎本健一一座と合同公演を行い大好評に!!
とま~、1930年代ではとても有名な喜劇役者だったんです。
この古川ロッパは筆まめな人でね・・・・、いろいろな事柄について文章を残しているんです、
特に彼の「古川ロッパ昭和日記」というのがあってね・・・・。
この本は、
「戦前篇/昭和9年-昭和15年」、「戦中篇/昭和16年-昭和20年」、「戦後篇/昭和20年-昭和27年」、「晩年篇/昭和28年-昭和35年」
の4冊に分かれているんですが・・・・、この本が欲しくってね・・・・。
でも非常に高価なんです・・・・、1冊1万円×4冊=4万円!!
購入するのに躊躇していたら・・・・、ナッ、ナッ、ナント・・・昔、妻が誕生日にプレゼントしてくれたんです。
もう~~、嬉しくって、嬉しくって・・・・、子犬のように尻尾がブルブル・・・どころではなくグルグル回ってしまったくらい・・・・。
この日記は、ロッパ自身の日常生活はもちろん、美食の記録、映画や演劇、読書の感想、時勢に対する批判など多くの事柄を細かく記述しており、昭和戦前期から戦後にかけての時代風俗を知る貴重な記録としても
嬉しかったな~、そして面白かったな~!!
心から妻に感謝!!
で、本題「ロッパ随筆 苦笑風呂」について・・・。
終戦後、都会派のインテリ喜劇王ロッパがさまざまな雑誌などに寄稿した痛快無比の名エッセイ集。
食談や「非常酒談」などの酒話、活キチならではの映画や様々のエッセイ、大好物のはずのお風呂の一本まいった話、浅草・丸の内・京都についての小咄、文芸時評、演劇批評家に対する反駁等々、一冊まるごとロッパ・ワールドがあります。
ロッパの生きた時代背景を知らなくっても面白く読めるのではないかと思います。
河出文庫 740円+税