2015年
4月
27日
月
日本でもビートルズ、ローリング・ストーンズに続いて人気のあるリバプール・サウンドといえばAnimalsですよね。
代表曲「朝日のあたる家」は、ひょっとしたら当時ラジオから流れてくるロックの中で一番多かったかもしれません。
Animalsは、イギリス・ニューキャッスル出身のアラン・プライス(オルガン、ピアノ)、エリック・バードン(ヴォーカル)、ヒルトン・ヴァレンタイン(ギター)、チャス・チャンドラー(ベース)、ジョン・スティール(ドラム)の5人で1963年に結成されました。
もともとはニューキャッスルで58年に結成されたアラン・プライスのコンボにエリック・バードンが参加してできたバンド。
このアニマルズの魅力は、何といってもイギリスで最も偉大な白人ブルース・シンガーの一人といわれているエリック・バードンの圧倒的な黒っぽい歌声とアラン・プライスの優れたアレンジ能力によるブルース・フィーリングに満ちたサウンドです。
1964年から65年にかけてヒット曲を量産するのですが、アラン・プライスが飛行機恐怖症のためツアーを拒否しバンドから脱退。
その後も次々とメンバーが脱退。
1966年にエリック・バードンは活動拠点をアメリカ・サンフランシスコに移し、新生アニマルズともいうべきエリック・バードン&ジ・アニマルズ名義で活動を再開。
グレイトフル・デッドやジェファーソンエアプレインなどとシスコ・サウンドの代表格になります。
その当時のヒット曲としては「サンフランシスコの夜」や「スカイ・パイロット」など。
しかし、1968年の2度目の日本公演中に解散。
その後はエリック・バードン&ウォーをはじめ、自身のバンドやソロで活動を続けますが、1975年、そして1983年にはオリジナル・メンバーで一時的にアニマルズを再結成。
そして1994年に「ロックの殿堂」入りを果たしています。
1998年頃からは再びエリック・バードン&ジ・アニマルズ名義で欧米を中心に精力的なライヴ活動を行っているそうです。
●Animalsの代表的な曲紹介
・1964年に発表されたデビュー1stシングル「Baby Let Me Take You Home」は、UK38位、USA19位に入るヒットとなりました。
・2ndシングルは、誰もが知っている「The House Of The Rising Sun/邦題:朝日のあたる家」。
もともとこの曲は、作者不明のアメリカのトラディショナル・ソングで、ボブ・ディランが1962年のデビューアルバムで取り上げています。
この当時、アニマルズはロックンロールの帝王 チャック・ベリーがイギリス公演する際の前座をやることになり、チャック・ベリーに対抗してフォークの名曲「朝日のあたる家」をブルース的な解釈にてスローでダークなアレンジで録音。
重くブルージーなエリック・バードンのシャウトと後半にボリュームを上げて盛り上がるアラン・プライスのオルガンが強烈な印象を残す名曲として誕生。
当時のシングルとしては異例の4分30秒という長さになったにもかかわらず、見事にUKチャート1位を獲得。
2ヶ月後には、USAチャートでも1位に輝きました。
・3rdシングル「I’m Cring」は、UKで8位、USAでは19位を記録。
・次の「Don’t let Me Be Misunderstood/邦題:悲しき願い」は、UKで3位 にUSAで15位を記録。
日本では尾藤イサオがカヴァーし、「♪ 誰のせいでもありゃしない、みんなオイラが悪いのさ♪」 で、大ヒットに・・・。
また、1977年サンタ・エスメラルダ ( Santa Esmeralda ) がラテン・ディスコ風にアレンジして世界的な大ヒットに!
このサンタ・エスメラルダ版は2003年の映画 「 キル・ビル vol.1 」 のサントラにも使用されています。
・「We’ve Gotta Get Out This Place/邦題:朝日のない街」は、UKで2位 にUSAで13位を記録。
この曲はヴァン・ヘイレンもカヴァーしているとか・・・・?
・1965年発表された「Bring it on home to me/邦題:悲しき叫び」は、当時、射殺されたばかりの偉大なR&Bシンガー サム・クックの名曲のカバーです。
・「Boom Boom/邦題:ブーン・ブーン」は、ジョン・リー・フッカーの曲をカヴァー。
・1968年発表「スカイパイロット」。
スカイパイロットの意味は、「従軍牧師」のことで、サイケ系の反戦歌と認識されている。この時期のメンバーとして、ザ・ポリスのギタリスト、アンディ・サマーズが在籍しています。
2015年
4月
23日
木
ア~ッ、モ~ゥ・・・・・、ショックです・・・・。
大好きな作家の一人 船戸与一先生が昨日22日に胸腺がんでお亡くなりになりました。
ブログでも書きましたが、先日「満州国演義」の完結編を読み終えたばかりなのに・・・・。
癌であることは知っていましたが・・・・・。
デビュー作「非合法員」に始まり、「満州国演義」まで相当数の本で楽しませていただきました。
享年71歳。
心よりお悔やみ申し上げます。
お疲れ様でした。
ア~アッ・・・・、山田風太郎先生始め、大好きな作家がどんどんお亡くなりになってしまいます・・・・。
2015年
4月
21日
火
Freddie and The Dreamersは、リーダー兼ボーカル担当のフレディ・ギャリティ (Freddie Garrity)を中心にメンバー全員がマンチェスター出身のバンド。
このグループは、1962年9月12日にキャバーン・クラブでデビュー前のザ・ビートルズと競演もしているんですって・・・・。
このバンドも凄いんですよ!
デビュー1stシングルから3曲連続UKトップ3に入るという快挙を達成してしまいます。
1963年6月に1stシングル「If You Gotta Make A Fool Of Somebody/邦題:恋の傷」を発表し、いきなりUKヒット・チャートで2位を記録。
続く2ndシングル「I'm Telling You Now/邦題:好きなんだ」も2位を記録。
日本でもお馴染みの曲だよね・・・・。
3rdシングル「You Were Made For Me/邦題:君は僕の君」が3位を記録。
そして、上記3曲を含む1stアルバム「Freddie And The Dreamers/邦題:フレディとドリーマーズ登場」を1963年に発表し、UKアルバム・チャートで5位を記録。
その後、映画などにも出演していましたが、1964年、民謡蛍の光をアレンジした「I Understand」がUKで5位にを記録したのを最後に、UKではヒットに恵まれず。
しかしながら、1965年頃リーダーFreddie Garrityの両手両足を振り上げたり、ジャンプして奇声を上げるステージアクトがアメリカで馬鹿受け!!
「エド・サリヴァン・ショー」からお声もかかり、番組出演を機に「ドゥ・ザ・フレディ」が18位、「好きなんだ」が1位を、それぞれ記録しちゃいます。
でも、アメリカでのブームも長く続かず、本国イギリスに戻り活動を続けるんですが、ヒット曲は出ず・・・・・、1968年に解散してしまいました。
その後、Freddie Garrityは、子供向けの番組に出演するなどし、1976年には、新たなメンバーで新ドリーマーズを再結成します。
オーストラリアやイギリス、アメリカを廻っていたそうですが、病気のため2001年2月のコンサートをもって引退したそうです。
2006年5月19日、肺気腫にて死去。
享年69歳。
改めて、合掌!!
●Freddie and The Dreamersの当店所有アナログレコードで聞ける代表曲
1963年 If You Got To Make A Fool Of Somebody Feel So Blue 3位 UKチャート
1963年 I'm Telling You Now What Have I Done To Now? 2位
1963年 You Were Made For Me Send A Letter To Me 3位
1964年 Over You Come Back When You're Ready 13位
1964年 I Love You, Baby Don't Make To Cry 16位
1964年 Just For You Don't Do That To Me 41位
1964年 I Understand I Will 5位
1965年 A Little You Things I'd Like To Say 26位
1965年 Thou Shalt Not Steal I Don't Know 44位
2015年
4月
20日
月
イヤ~、実に長かったな~・・・・、でも本当に面白い小説でしたね!
やっと「満州国演義」が完結。
新潮社の新刊案内に「~中毒読者続出~」とあるように、中毒患者になってしまいました。
でも・・・、でも・・・、本当に長かったです。
この「満州国演義」の第1巻が発売されたのは・・・、ナント2007年4月なんですよ・・・。
そして今年2015年2月に完結編が出版されたんですから・・・・。
完結まで8年ですよ・・・・、8年!
北方謙三の「水滸伝」も長かったけど、水滸伝は中村敦夫主演のTVドラマ、吉川英治の「新・水滸伝」、横山光輝の漫画などでストーリーがわかっているので楽だったんですが・・・・。
満州国演義の時代背景は理解しているものの、ストーリー的には未知の世界・・・・。
1巻ごとにちょっと難儀しました。
「満州国演義」の<演義>〉とは、歴史の事実を面白く脚色し俗話(「白話」)を交えて平易に述べた小説のこと。
実に・・・実に大作です。
張作霖(ちょう・さくりん)爆殺事件が発生した昭和3(1928)年に始まり、敗戦直後の昭和21年5月広島までの18年間の昭和史です。
この18年間の膨大な資料を基に、主人公 敷島四兄弟の視点を通して、当時の状況や事実を分析・推測し描いています。
この小説を通して当時の断片的な知識が一つの線になり全体像を把握することができたことが最大の収穫ですね・・・。
とても面白い小説なので、時間がありましたら読んでみては・・・・。
最後に今年(平成27年度)の今上天皇の年頭所感から・・・・。
「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」。
近い将来、全9巻通して再読の予定です。
2015年
4月
19日
日
世界で一番飲まれているシングルモルトは、何だか知ってますか?
答えは、「グレンフィディック」。
そのグレンフィディック蒸留所から数量限定で発売された「グレンフィディック15年 ディスティラリー(※1)エディション」を入手することができました!!
この「グレンフィディック15年 ディスティラリーエディション」は、アメリカンオーク樽とヨーロピアンオーク樽で15年以上熟成したモルト原酒をヴァッティングしているため、とてもバランスの良いモルトです。。
花なような香り、程好いスパイシーさと辛さが感じられる口当たりが特長。
アルコール度数は、若干高めの51%ですが、ノンチル・フィルタード(冷却ろ過をしない)で仕上げているので、原酒本来の繊細な味わいが楽しめる逸品です。
数量限定ですから・・・・、入手本数が2本だけ!
早い者勝ちですよ!!
料金:シングル 850円
※1/ディスティラリー:蒸留所の意
ご参考 : シングルモルト売上げ Best 3
1位: グレンフィディック
2位: グレンリベット
3位: マッカラ
2015年
4月
14日
火
Beatlesを世に出したジョージ・マーティンとブライアン・エプスタイン。
この最強コンビがBeatlesに続いて世に出したのが、やはりリヴァプール出身のジェリー&ザ・ペースメイカーズ。
このコンビは、誰が見ても天下無敵ですよね!
この二人のコンビにより、ジェリー&ザ・ペースメイカーズは1963年のデビューシングル「恋のテクニック」から3作連続でUKチャート1位を獲得してしまうのですから・・・・。
ジェリー&ザ・ペースメイカーズは、ジェリー・マースデン(ボーカル、ギター)を中心にジェリーの兄のフレディ・マースデン(ドラムス)やレス・チャドウィック(ベース)らが加わり、地元のリヴァプールを拠点にバンド活動を行う。
その後、ビートルズやザ・サーチャーズ等と同時期にキャバーン・クラブや西ドイツのハンブルクのクラブで実力を磨き、Beatles同様大人気のバンドに・・・。
特にジェリー・マースデンの明るい笑顔と田端義夫(バタやん)風のギターを高く構えて弾くスタイルがとても評判が良かった(?)そうですよ・・・・・・。
それで、ブライアン・エプスタインがBeatlesに続いてマネージメント契約を交わし、ジョージ・マーティンがプロデューサーを担当したそうです。
1963年のデビューシングル「恋のテクニック」は、4月11日付けから3周連続で全英チャート1位となります。
この曲は、最初ビートルズ用に作られたそうですが、Beatlesが拒んだために彼らに回ってきたとか・・・・・。
その後5月にBeatlesの「From Me To You」に抜かれてしまいますが、2ndシングル「I Like It」で「From Me To You」を抜き、再び1位に上がるなど、ヒット・チャートでBeatlesと競い合う状態が続きました。
3rdシングル「You’ll Never Walk Alone/邦題:淋しくはないはず」も10月31日付けから4週連続で1位を獲得。
この曲は、元々はミュージカル「回転木馬」用に作られたようですが、この曲が地元のサッカークラブ「リヴァプールFC」の愛唱歌となり、そこから世界中のサッカーファンに知られるようになったとか・・・・。
そして、Beatlesの勢いに乗ってアメリカに進出。
「恋のテクニック」がアメリカで再発売され、ビルボードのシングルチャートで9位まで上昇。
アメリカでも大ヒットし、順風万帆にいくように見えましたが・・・・。
1964年「I'm The One」がUKチャート2位に留まり、これ以降1位になることはなくなると、バンドの勢いは弱まり、1966年10月にグループは解散してしまいます。
解散後、ジェリーは子供向け番組などの出演やザ・クラウドというバンドをくんだりしていました。
1989年にシェフィールドのヒルズボロ・スタジアムで発生した群集事故(ヒルズボロの悲劇)の際には被災者支援のために「マージー河のフェリーボート」を再レコーディングして発表。
これが、UKチャートで3週連続1位を獲得しました。。
●Gerry and the Pacemakersの代表曲
・1963年3月 How Do You Do It? / 恋のテクニック UK: 1位 / USA:9位
・1963年5月 I Like It It's Happened To Me UK:1位 / USA:17位
・1963年10月 You'll Never Walk Alone It's Alright UK:1位
・1964年1月 I'm The One You've Got What I Like UK:2位
・1964年4月 Don't Let the Sun Catch You Crying UK:6位 / USA:4位
・1964年12月 Ferry Cross the Mersey / マージー河のフェリーボート UK:8位
※1989年に再発し UK:1位
2015年
4月
13日
月
●TOTO XIV/邦題:TOTO XIV〜聖剣の絆〜
ナント、ナント・・・・、今年2015年3月にTOTOが14枚目のスタジオアルバムを発売。
それもアナログ・レコードで・・・・・、思わず・・・購入!!
2006年発表の「Falling In Between」以来、約9年ぶりとなるオリジナル・スタジオ・アルバムです。
メンバーは、と言うと・・・・・・・
ギターは当然、スティーヴ・ルカサー。
1989年の脱退からの復帰したジョセフ・ウィリアムス。
全作品にサポートとして参加してはいたが正式メンバーとしては「ファーレンハイト」以来約30年振りに復帰したスティーヴ・ポーカロ。
「TOTO IV 〜聖なる剣〜」を最後に脱退したオリジナル・ベーシストのデヴィッド・ハンゲイト。楽曲によってスティーヴ・ルカサーも演奏している。
ドラムは、ティーリー・ダンなどでプレイしているキース・カーロック。
TOTOが結成されたのが1979年。
もう、36年も経っているんですね~・・・・・。
でも、上記のメンバーで作った今回のアルバムの音は、全く古臭さを感じませんし、色褪せてもいません。
心に染みるメロディーと重厚なコーラスワーク・・・・・。
もう、何百回と聞いて体に沁み込んだTOTOサウンドは、もう・・・・本当に不変ですね。
如何にもTOTOらしいサウンド、2015年のTOTOサウンドを是非、ご一聴を!!
で、前のブログでもお知らせしたようにマイク・ポーカロの死去は、このアルバム発表の3日前だったんです。
改めて、心からご冥福をお祈りします。
● Yngwie Malmsteen/イングヴェイ・マルムスティーン 「Trial By Fire: Live In Leningrad
スウェーデン出身の早挽きギタリスト イングヴェイが1989に実施したロシア・レニングラードでのLIVEを収録したアルバム。
この当時、西側と国交が断絶していた共産主義国ソビエトでコンサートツアーを実施するなんて不可能に近かったらしいけど、このLIVEが実現したのはイングヴェイの父親が外交官だったからだとか・・・・・。
それにしても、イングヴェイのアナログ・レコードは少ないな~!!
LIVE時のメンバー
・イングヴェイ・マルムスティーン: ギター。
・ジョー・リン・ターナー : リードヴォーカル。
・イェンス・ヨハンソン : キーボード
・バリー・ダナウェイ : エレクトリックベース
・アンダース・ヨハンソン : ドラムス
2015年
4月
11日
土
当店で「Free Bird」や「Simple Man」などのリクエストが多いLYNYRD SKYNYRDのオリジナル・メンバーでドラマーのボブ・バーンズ(Bob Burns)が4月3日、自動車事故を起こし死去。
ボブはデビューアルバム「Lĕh-'nérd 'Skin-'nérd」と2ndアルバム「Second Helping」に参加。
1974年にバンドを脱退しますが、その後は脱退・再加入を繰り返していたそうです。
LYNYRD SKYNYRD が、2006年にロックの殿堂入りを果たした時には、ドラムで参加しています。
享年64歳。
合掌!!
サザン・ロックは知っているよね。
サザン・ロック/Southern Rockは、カントリーやブギー(ブギウギ)、ブルース、R&Bなど、アメリカ南部の泥臭い音楽を前面に押し出したロック。
Allman Brothers Band、Atlanta Rhythm Section、Marshall Tucker Band、Wet Willie、Band、Dixie Dregs、Sea Level、BlackOak Arkansas・・・・等のバンドが有名ですよね。
LYNYRD SKYNYRDは、そのサザン・ロックの代表格の一つです。
1964年の夏にフロリダ州ジャクソンビルで、ロニー・ヴァン・ザント、ゲイリー・ロッシントン、ボブ・バーンズ、アレン・コリンズ、ラリー・ヤンストロムの5名により結成。
10年にわたる下積み生活が続きますが、アル・クーパーに見出され、1973年にMCAレコードから1stアルバム「Pronounced Leh-Nerd Skin-Nerd/邦題:レーナード・スキナード」を発表。
1974年に2ndアルバム「Second Helping/邦題:セカンド・ヘルピング」を発表。
このアルバムからシングル・カットされた「Sweet Home Alabama/邦題:スウィート・ホーム・アラバマ 」がUSAビルボード・シングルチャートで8位を記録する大ヒットに。
この「Sweet Home Alabama」は、ニール・ヤングの「サザン・マン」へのアンサーソングとして有名ですよね!!
同年には1stアルバムから「Free Bird」が2枚目のシングル盤として発表され、これまた大ヒットに!!
こうして、LIVEでは多数の観客を動員できる人気バンドとなり、Allman Brothers Band、Atlanta Rhythm Section等と並ぶサザン・ロックの旗手となり、1976年に南部で行われたLIVEでは、あのSantanaが前座を務めたそうです。
しかし・・・・、しかしながら人生絶頂期は長く続くものでは無いんですね。
1977年10月20日、ツアーの移動で乗っていた飛行機がミズーリ州マッカム近郊で燃料切れにより墜落。
メンバーのロニー・ヴァン・ザント、スティーヴ・ゲインズ、バックコーラスのメンバーだったキャシー・ゲインズら主要メンバーが死亡。
この飛行機事故により、バンドは解散してしまいました。
LYNYRD SKYNYRDは、この事故が起こる前、1977年 1月に来日。
中野サンプでLIVEをやっています。
このLIVEに僕は行っているんですよ!!
もう・・・、メンバー全員がステージ上で●●●●を吸っていてね・・・・、でも、でも・・・、「Free Bird」が最高で・・・・。
このブログ書きながら・・・・、若干・・・涙・・・。
で、LYNYRD SKYNYRDは、2006年にはロックの殿堂入りを果たしています。
また、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第95位に入っています。
余談ですが、この痛ましい飛行機事故後、ロニー・ヴァン・ザントの弟ドニー・ヴァン・ザントは「38 Special」を結成し、3枚連続のプラチナ・ディスクを獲得。
「38 Special」は、好きなバンドなので、また機会を見つけてご紹介しますね!
1987年、ロニーのもう一人の弟であるジョニー・ヴァン・ザントは、ゲイリー・ロッシントン、ビリー・パウエル等とともに「LYNYRD SKYNYRD」を再結成しています。
当店所有のLYNYRD SKYNYRDのアナログ・レコードをご紹介しますね。
●「Pronounced'leh-Nerd'skin-'nerd」
1973年発表の1stアルバム。
彼らを見出したアル・クーパーが、プロデュースを担当。
「Simple Man」やギター少年が涙する2枚目のシングル「Free Bird」など、名曲揃い。
1974年12月にはRIAAによってゴールドディスクに認定。
1975年にはBillboard 200で最高27位を記録。
1987年7月にはダブル・プラチナに認定。
シングル・カットされた「Free Bird」は、1975年にBillboard Hot 100で最高19位を記録しています。
ローリング・ストーン誌が2003年に選出した「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」では401位。
また、同誌が選出した「オールタイム・ベスト・デビュー・アルバム100」に於いて39位にランクインしています。
●「Second Helping」
1974年発表の2ndアルバム。
シングル・カットされた「Sweet Home Alabama」が、USA8位の大ヒットし、アルバム自体は、Billboard 200で12位を記録。
1974年9月にはRIAAによってゴールドディスクに認定。
1987年7月にはダブル・プラチナに認定。
●「LIVE/One More from the Road」
1976年の夏にアトランタで行なわれたLIVEを収録。
絶頂期を迎える直前のLIVEだけに、勢いは最高です。
「I Ain't The One 」「Saturday Night Special 」 「Simple Man」「Sweet Home Alabama」 「Free Bird 」と涙々の選曲である
ギター好き・ギター少年必携のアルバムだと思います。
●「Street Survivors」
1977年発表の因縁のアルバム。
このアルバムが発表された3日後に、あの悲劇の飛行機事故に・・・・。
本国アメリカでは、飛行機事故でなくなった二人の顔が炎に包まれているのが不吉だという理由でジャケットが差し替えられたと聞いてます。
シングルカットされた「What's Your Name」や映画「ブロウ」で使用された「That's
smell」など、南部的な要素を色濃く打ち出した傑作ロックナンバー多数収録されています。
●「SKynyrd's First & ・・・Last」
1978年発表の6枚目のアルバム。
彼らのデビュー以前に録音された文字通りのファーストアルバムであり、事故により解散を余儀なくされた事実上のラストアルバムでもあります。
デビュー以前の曲なので、全体的に荒削りだと思いますが、南部魂入魂の曲ばかりです。
2015年
4月
08日
水
Beatlesの弟分としてデビューしたピーター&ゴードン。
1964年に発表されたデビュー・シングル「A World Without Love/邦題:愛なき世界」がUK及びUSAでNo.1になる大ヒットに・・・・。
ピーター&ゴードンは、ロンドン出身のPeter Asher/ピーター・アッシャーとスコットランド出身のGordon Waller/ゴードン・ウォーラーのデュオ。
二人の出会いは、イギリスのロンドンにあるウェストミンスター・スクール。
地元のLIVEハウスでレコード会社にスカウト。
この当時、Beatlesのポールが交際していたのが・・・、ナント・・・ピーターの妹で女優のジェーン・アッシャーだったんです。
妹よ、素晴らしい!!
こんな素晴らしいコネを使わない手は無い・・・。
“コネも実力のうち” と言うことで早速作ってもらったのが「A World Without Love/邦題:愛なき世界」。
これが、全米No.1曲になってしまうのですから・・・・・。
皆さんも人生の中で使えるコネがあったら全部使った方が良いですよ!!
と言うことで、デビューから3作品連続で「Lennon & McCartney」名義の作品をリリースし、トップ・アーチストになりました。
余談ですが・・・、ポールのあの名曲「イエスタディ」もジェーン・アッシャーの部屋で作ったんですって・・・・。
下世話な話で申し訳ないけど・・・・、これ有名な話です!!
ピーター&ゴードンがアメリカで受けた理由は、単にBeatlesのお陰だけではないんです。
2人の曲とコーラスが、当時アメリカのトップデュオのエヴァリー・ブラザーズ風だったの良かったようで・・・・。
そのため、アメリカの有名曲のカヴァーや他のライターの楽曲でヒットを連発します。
しかし、1967年に発表した「Lady Godiva」と「Sunday for Tea」が不発に終わり、1968年に解散してしまいます。
解散後、ピーターは、アップル・レコードのA&Rとしてアーティストマネージメントなどを行なっていたが、活動の場をアメリカのカリフォルニア州に移します。
そこで、プロデューサーとして大成功を収めます。
リンダ・ロンシュタット、ジェームス・テイラー、シェールなど70年代に多数のヒットを世に送り出し、グラミー賞も受賞。
ソニーミュージック・エンターテインメントの副社長になったとか・・・・?
一方、ゴードンはソロとして活動を続けて行きましたが、ついに表舞台に返り咲くことは無く、2009年7月17日に心臓発作でお亡くなりになります。
享年64歳。
解散後のゴードンは、あまり芳しくなかったけど・・・・、ヴァーティゴ・レーベルに残した彼のソロアルバムは最もレアで入手しづらく、現在は大変な高値で取引されているとか・・・・?
●Peter & Gordonの主なヒット曲
・「A World Without Love/邦題:愛なき世界」 1964年 UK1位 USA1位
・「Noboby I Know」(バディ・ホリーのカヴァー) USA12位/UK10位
・「True Love Ways(二人の恋は)」(バディ・ホリーのカヴァー)USA14位/UK2位
・「I Go To Pieces」(デル・シャノン作) USA9位
・「I Don't Want To See You Again(逢いたくないさ)」 USA15位
・「Woman」(ポール・マッカートニー作)
・「To Know You Is To Love You(つのる想い)」(テディ・ベアーズのカヴァー)USA24位/UK5位)、
・「Baby I'm Yours」(バーバラ・ルイスのカヴァー) UK19位
2015年
4月
06日
月
米国のTV番組「エド・サリバン・ショー」に出演し大成功を収めたBeatles。
本国UKチャートにおいても「I Want to Hold Your Hand/邦題:抱きしめたい」が5週連続1位を驀進中!!
日本でも大ヒットでしたよね!!
当時、中学生だった僕は・・・・・、もう大興奮!!
ところが・・・、ところがです・・・、そんな凄いBeatlesの曲を蹴落としたバンドがいることを知ってびっくり・・・・・・。
ナッ、なんと言うバンドなんだ・・・・、と親に内緒で聴いていたラジオから流れてきたの
が1963年デビューしたDave Clark Fiveの「Glad All Over/邦題:グラッド・オール・オーバー」なんです・・・・。
Dave Clark Fiveは、ロンドン出身のバンド。
ドラムのデイヴ・クラークを中心に、キボード マイク・スミス、ギター レニー・デビッドソン、ベース リック・ハクスレー、 テナーサックス デニス・ペイトンのメンバーでロンドン北部の下町トッテナムで1962年に結成。
黒人音楽の影響が濃い同時代のロンドン一派とは一味違う洗練されたサウンド。
「Glad All Over」、「Do You Love Me」、「Anyway You Want It」等々大好きデ~ス!!
そんな洗練されたサウンドが、地元英国以上に米国で受け入れられ、1964年から1967年夏までは本国よりもアメリカでの人気が高かったようです。
前述のようにBeatlesの「抱きしめたい」を抜き、『Glad All Over』がUK1位に、続いて「Bits And Pieces」がUK2位になり・・・・・、ナント、ナント・・・、彼らはBeatlesより先に全米ツアーを実施しちゃっているんです・・・。
その甲斐あり1965年に「Over & Over/オーバー・アンド・オーバー」がビルボード・シングルチャートでNo.1を獲得。
ビートルズに続いて、「エド・サリバン・ショー」に出演したり、Beatlesに続いてカーネギーホールでコンサートを開くなど、アメリカでの人気が高まるばかりでした。
しかし、下記のようなヒット曲を連発していましたが・・・・・、Dave Clark Fiveの音楽性が徐々に変化しアメリカではアイドル・ポップ・バンドみたいなイメージが定着。
ビートルズの最大のライバルなんて云われた彼らも、遂に1970年に解散となってしまいました。
The Dave Clark Five は、2008年にロックの殿堂入りを果たしました。
授賞式でのプレゼンターはトム・ハンクスが務め、締めくくりとしてジョーン・ジェットが「Bits and Pieces」をカヴァーしたそうです・・・・。
●The Dave Clark 5の代表的な曲
・「Glad All Over」 / 1964年1月発表 UK1位 USA 6位
・「Bits & Pieces」 / 1964年3月発表 UK 2位 USA 4位
・「Do You Love Me」 /1964年発表 USA 11位
・Can’t You See That She‘s Mine/1964年発表 USA 4位
・「Anyway You Want It」 / 1964年発表 USA 14位
・「I Like It That」 / 1965年発表 USA 7位
・「Reelinn And Rockin’」/ 1965年3月発表 USA 7位
・「Because」 / 1965年発表 USA 3位
・「Catch Us If You Can/邦題:若さをつかもう」/1965年発表 USA 4位
・「Overe & Over」 / 1965年12月 UK 1位 USA 1位
・「Everbody Knows/邦題:青空が知っている」 / 1967年 USA 23位
・「Try Too Hard」 / 1967年発表 USA 12位
余談:
・「Glad All Over」は、Suzi Quatro、Bon Jovi、Quiet Riot等がカバーしています。
・「青空の恋」は、アイドル・グループのフォーリーブスが日本語でカヴァーしていたとか・・・・。
2015年
4月
05日
日
音楽(洋楽Rock & Pops)の話をする時、絶対に外す事ができないキーワードが「リヴァプール・サウンド」だよね。
いまさら説明の必要は無いかもしれないけど・・・・、「リヴァプール・サウンド」とは、Beatlesを中心に1960年代前半イギリスに興った音楽のジャンル。
ロックンロールやドゥー・ワップ、R&B、ソウル・ミュージックなど様々な既成の音楽が融合し進化してできた音楽です。
何故、「リヴァプール」なのかというか、このムームベントの中心にいたBeatlesの出身がリヴァプールだから・・・。
でも、この「リヴァプール・サウンド」と言う言葉は、日本独自の呼称で、本国イギリスでは、「マージー・ビート」や「ブリティッシュビート」などと呼んでいます。
当ブログでは、「リヴァプール・サウンド」で行きたいと思います。
1964年にBeatlesが、米国のTV番組「エド・サリバン・ショー」に出演し大成功を収めたのが始まり。
Beatlesの成功を機に、イギリス各地のバンドが次々とアメリカのミュージック界に進出。
1964年~1965年にかけて、ビルボード・ヒットチャートの約半分がイギリスのバンドで占められるという現象が起きました。
この現象をアメリカの音楽業界は、ブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)と呼んでいます。
ブリティッシュ・インヴェイジョンは、その後のアメリカのフォーク・ロックやガレージ・ロック、パンクなどに大きな影響を与えていきます。
何故このような状況が生まれたかというと・・・・・・、アメリカではこれまで活躍してきたロックンロールのスター達が事故死や麻薬等のスキャンダルで姿を消していき、新しいスターの登場を待ち望んでいたから・・・。
アメリカのトップスターだったエルヴィス・プレスリーは徴兵後以前の輝きを失い、リッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)やバディ・ホリー(Buddy Holly)、ビッグ・ボッパー(Big Bopper)の乗ったチャーター機がアイオワ州で墜落死亡等々。
上記の状況をドン・マクリーンが1971年に発表した「American Pie」で歌っているのは有名な話ですよね。
歌詞中の「February made me shiver」とは、1959年2月3日未明にアイオワ州で墜落した飛行機事故のこと。
曲中でこの日のことを「音楽(ロックン・ロール)が死んだ日/The Day the Music Died」と繰り返して歌っています。
この曲は、演奏時間が8分36秒にもかかわらず、ビルボード.シングルチャートで1972年1月15日より4週間No,1の座に・・・・、1972年年間ランキングでは第3位を記録しています。
2000年3月にマドンナがカバーしていますので、若いお客様からのリクエストも増えています
とにかくBeatlesは凄かった・・・・、その影響力は世界中に波及。
世界各地で熱狂的なバンドブームが起き、日本でもいくつかのGS(グループサウンズ)が生まれましたよね。
しかし、このブリティッシュ・インヴェイジョンも1966年頃には勢いをなくしていきます。
このムーブメントで生き残ったバンドは、サイケやプログレ、またブルース・ロック等独自の方向へ進化していき、1967年頃にはブリティッシュ・インヴェイジョンも終焉を迎えます。
ロックを語る上でこの2年間のブリティッシュ・インヴェイジョンは避けて通ることができませんよね!
この2年間は、とても熱い時代でした。
この熱い時代をリアルタイムにイギリスのロックを体で感じられたのは本当に幸せだと思っています。
団塊世代にこの2年間を語らせると・・・・・チョット、うるさいですよ!!(笑)
この後の世代は、日本のGSにうるさいです・・・・。
冗談はさておき、この「リヴァプール・サウンド」を担ったバンドをどんどんご紹介していきますね。
BeatlesとRolling Stonesは、後日改めてご紹介します。
第1回は個人的に大好きなバンドです。
このバンドは、UKチャートにおいて5週連続1位だったBeatlesの「I Want to Hold Your Hand/邦題:抱きしめたい」を蹴落としNo,1に躍り出たバンド。
また、Beatlesに続いてアメリカのカーネギーホールでコンサートを開いた実力在るバンドです。
お楽しみに!!
● Rolling Stone誌が2012年に実施した「読者が選ぶ~キミ達の好きなブリティッシュ・インヴェイジョン・ソングBest10」
1位 |
Rolling Stones |
( I Can't Get No) Satisfaction |
2位 |
Beatles |
I Want to Hold Your Hand |
3位 |
Who |
My Generation |
4位 |
Kinks |
You Really Got Me |
5位 |
Beatles |
She Loves You |
6位 |
Animals |
The House of the Rising Sun |
7位 |
Rolling Stones |
Paint It Black |
8位 |
Kinks |
All Day and All of the Night |
9位 |
Zombies |
She's Not There |
10位 |
Who |
I Can See For Miles |