2014年
4月
28日
月
漫画家の“やなせたかし”さんを知らない人はいないよね!
2013年10月13日に94歳で他界された「アンパンマン」の作者なんだから・・・。
同書は、氏が死去される数ヶ月前のインタビューで残した個人的な戦争体験談です。
氏は、自伝などの中で簡単に戦争のことを語っているようですが、戦争体験だけをまとめて話すのは、これが初めてだそうです。
1915年 東京田辺製薬宣伝部に入社。
直後に徴兵され小倉の第12師団西部73部隊に入隊し野戦重砲隊に配属。
召集期間満了直前の16年12月8日の開戦により、召集延期に。
日本が太平洋戦争に突入した昭和16年12月8日、福岡県にあった陸軍の暗号班に配属。
その後、中国戦線に派遣され福建省の福州などを転戦し上海郊外で終戦をむかえる。
復員後、高知新聞に入社、雑誌を編集。
その後上京して三越宣伝部にグラフィックデザイナーとして勤務。
同書は、間違いなく戦争体験記なんですが、氏の性格なんだろうね~、昭和15年に赤紙により兵士となりますが、全体的に面倒くさいイデオロギー的な話は一切なく、のんびりしてほのぼのムードが漂ってくるんです。
人殺しも、団体生活も嫌だという氏にとって、軍隊はばかばかしいだけの世界。
だからといって、無視としているとピンタの嵐。
陸軍の情報不足、日本軍の戦力不足を感じながらも・・・、一番堪えたのは空腹だという。
辛い中にも何か楽しみを見出していく持ち前の性格で、戦争と軍隊を内部から風刺。
特攻に志願した弟との別れなど、辛く悲しい思い出にも持ち前のユーモアを交えながら語る笑いと涙の戦記。
「嫌いな戦争のことはあまり語りたくないと考えていた氏が90歳を超え、戦争体験、軍隊体験を語り継ぐことで、過去の戦争のことが未来を生きる世代の記憶に少しでも残ればいい」という氏のラストメッセージです。
1時間もあれば簡単に読めるので、是非読んでください。
最後に「ぼくは戦争は大きらい」のあとがきより。
集団的自衛権が叫ばれている昨今、「世の中全体が嫌なものはみんなやっつけてしまおう、というおかしな風潮になっている。「アンパンマン」の中で描こうとしたのは嫌な相手とでも一緒に暮らすことはできるということ。日頃からがんばって、みんなが戦争なんてしなくてすむ世の中にしよう。」
2014年
4月
27日
日
船戸版満州全史「満州国演義」は、幕末維新の戊辰戦争時に奇兵隊として活躍した長州出身の祖父をもつ東京府霊南坂の敷島四兄弟が主人公。
日本の傀儡国家 満州国日系官吏の太郎、大陸浪人となった次郎、陸軍機動第2連隊第一中隊長少佐となった三郎、満映を辞めさせられ関東軍嘱託となった四郎。
それぞれ異なった立場と生き方を持った4兄弟を時局の中で同時進行にとらえた「戦争と人間」を描き出しています。
八巻の「南冥の雫」では、昭和17年のドーリットル爆撃隊による東京初空襲から19年のインパール作戦までを4兄弟のそれぞれの視点で各地の出来事を語りながら枢軸国と連合国の戦略から日本国内の窮乏状況、政府軍部それぞれの内紛等が記されています。
昭和17年8月 米軍がガダルカナルガ島に上陸し、ソロモン海戦が開始され制空権は終始アメリカ軍の手中にあり補給が途絶。
しかし、早期撤退論は無視され、昭和18年2月の撤退までに日本軍の大半が餓死かマラリアによる病死という悲惨な戦況になった。
昭和18年5月、この時点では全く戦略的意義が無くなったアッツ島で守備隊2600人が全滅。
これを大本営は「玉砕」と呼んだ。
「玉砕」という言葉は、この時に初めて使われたとか・・・。
昭和19年、インド・インパール進攻では、援軍も無く、糧秣、武器弾薬は尽き、撤退の要請も拒否された、勝算なしの攻撃命令が下る。
飢えに苦しみ、蛭に血を吸われるがまま、赤痢、マラリアに罹患し昏倒する日本軍兵士。
生きたまま、眼から鼻から蛆虫がわいて、食い荒らされて、白骨化していく。
日本軍の退却路にはそういう埋葬されない死体が散乱していたという。
一説によれば86,000人の兵士のうち生き残ったのは12,000人だったという。
「南冥の雫」に描かれている日本軍兵士の死は、銃火に倒れたのでない。
インパール作戦に参加した将兵約10万のうち3万が戦死し、2万が病気に倒れたといわれています。
しかし、日本の兵士をこれほどまで残酷な死に追いやった戦争責任者はいったい誰なんだろうね・・・?
次の最終巻(9巻)が楽しみです!
2014年
4月
22日
火
当店でも大人気のバンド BOSTONが10月に来日しますね!!
BOSTONは、トム・ショルツ(Tom Scholz)中心のアメリカン・プログレ・ハード・ロック バンド。
因みに、アメリカン・プログレ・ハード・ロックというジャンルに入るのは、KANSAS、JOURNEY、STYXなんだけど・・・、みんな大好きなバンドです。
このBOSTON、遥か昔1979年に一度来日しているんです。
この時武道館で観ているので今回の来日は何と35年ぶりとか・・・!
余談ですが、1979年の公演をお客様のMIHORIさんも高校時代に観ていたとか・・・。
35年前、MIHORIさんと同じ空気を吸っていたんですね・・・、感激です!!
トム・ショルツは、今や泣く子も黙るマサチューセッツ工科大学出身。
やはり学者肌なのか知らないけど・・・、とにかく寡作なんです。
BOSTONは35年間でスタジオ・アルバムが5枚しか発表していないバンドなんですよ。
どのバンドでもそうだけど、1枚聞くとやはり次のアルバムが気になるよね。
でも次のアルバムのことが忘れてしまうほど長い年月がかかっているんです、
でも、でも発表されたアルバムが全て素晴らしいんですよ!
当店で所有のBOSTONアナログ・レコードは3枚。
●1976年発表1stアルバム「Boston/邦題;幻想飛行」
ここからシングル・カットされた「More Than A Feeling/邦題:宇宙の彼方へ」がヒット・チャートを駆け上がり、アルバムはUSAビルボード・アルバムチャートで3位を記録。
●1978年発表2ndアルバム「Don't Look Back」
ここからシングル・カットされた「Don't Look Back」がビルボード・シングルチャートで4位に。
アルバムもUSAビルボード・アルバムチャートで1位を獲得。
●1986年発表「Third Stage」
シングル・カットされた「Amanda」が全米1位を獲得するとともにアルバムもUSAビルボード・アルバムチャートで1位に。
4枚目からCDのみみたいで、アナログ・レコードいくら探しても見つかりません。
●1994年発表「Walk On 」は、USAビルボード・アルバムチャートで7位。
●1997年「Greatest Hits」発表
●2002年「Corporate America」発表
●2013年「Life, Love & Hope」発表。
このアルバムではアナログ盤もでている(?)そうなので注文はしていますが・・・、未だに手にしていません・・・。
どうなっているのかな~・・・。
2014年
4月
22日
火
HIRATSUKAさんが先日のDeep Purple武道館公演の帰りに寄ってくださり、お土産として来日パンフをいただきました。
HIRATSUKAさんは、第1期からの熱烈なPurpleファン。
ご自信も学生時代にPurple中心のバンドを組んでおり、担当は尊敬するJon Lordと同じキーボードだったそうです。
Jon Lordは2012年に他界しているので今回の日本公演にはいませんが、Ian Gillan、Ian Paice、Roger Glover、Steve Morse、Don Aireyも元気に頑張っていたそうです。
HIRATSUKAさん、パンフレットありがとう!!
2014年
4月
10日
木
SAWADAさんが、貴重なLive盤を2枚持って来てくださいました。
心から感謝です。
● Bob Dylan & The Band
「Before the Flood/邦題:偉大なる復活」
このアルバムは、1974年に発表されたBob Dylan とThe Bandのコンサート・ツアーを記録したLive盤。
当時、このコンサート・ツアーは、史上最大のロックコンサート・ツアーと言われていたんです。
同年1月3日から2月14日まで21都市で40回のコンサートが行われたそうですが、
そのコンサートへの応募が何と1800万通を越し、実際にLiveを見ることができた観客数は65万8千人だったそうです。
この史上最大のロックコンサート・ツアーLiveアルバムは、USAビルボード・アルバムチャートで3位、UKアルバム・チャートで8位を記録しました。
● Rolling Stones 「Got Live If You Want It!」
このLive盤は、1966年に発表されたRolling Stonesの記念すべき貴重なファーストLiveアルバムなんだけどね・・・、StonesのメンバーはLive盤の出来に不満で、このアルバムの存在を完全否定しているという曰く付のアルバムなんです。
因みにStonesが公式ライブ・アルバムと言っているのは、1970年に発表された『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト』だそうです。
で、このアルバム曰く付ではありますが、針を落した1曲目から凄まじい迫力で始まり、怒涛の如くスピード感にあふれた、とにかく若々しいストーンズのエネルギッシュなLive盤なんです。
初期ストーンズの疾走感溢れる演奏、凄まじいファンの熱狂が詰め込まれた、歴史的価値の高い作品だと思います。
このLive盤はアメリカでのみ発売され、チャートでは6位となり、ゴールド・アルバムを獲得。
とにかく最高のLive盤だと思いますよ!
2014年
4月
02日
水
Bob Dylanの「Hurricane/ハリケーン」という曲は、知ってますよね。
現在報道されている袴田事件とこの曲が重なります。
ご存じのように袴田事件は、1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で発生した強盗殺人放火事件で、犯人とされた袴田 巖さんは裁判で死刑が確定。
しかし、袴田さんは冤罪であることを訴え続け、つい先日(3月27日)死刑及び拘置の執行停止並びに裁判の再審が決定した事件。
この袴田さんは、プロのプロのボクサーだったので元世界スーパーウェルター級のチャンピオン輪島功一さんや日本プロボクシング協会(JPBA)の原田政彦会長(=ファイティング原田)等が、支援していました。
Bob Dylanの「Hurricane」もプロのプロのボクサー。
ボクサー、殺人事件、冤罪・・・。
だから、袴田事件とHurricaneが重なるんです。
Hurricaneとは、元世界ミドル級1位であったルービン・ハリケーン・カーター氏のこと。
彼は、米ニュージャージー州で起きた殺人事件の犯人とされ「トリプル終身刑」の判決を受け投獄。
しかし、幸運にもニューヨークタイムズが証人の偽証を暴いたので、冤罪事件であることが判明。
紆余曲折を経て、19年後に晴れて自由の身に・・・。
この事件の背景には根強い人種的偏見があり、最初から冤罪の可能性が高いことが指摘されていたそうです。
Dylanは本人とも面会した上で、この事件の真相を自分なりに解釈し、彼の無実を訴えたるプロテストソングとして「Hurricane」作ったそうです。
「Hurricane」は, 1976年に発表されたDylan17作目のスタジオ・アルバム「Desire/欲望」に収録されています。
このアルバムは、USAビルボードで5週連続1位、UKアルバム・チャートで最高3位を記録した、Dylanのスタジオ・アルバムの中でもベスト・セラーとなったアルバムである。
「ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500」で174位になっています。
ルービン・ハリケーン・カーター氏の奇跡の生還ドラマは「ザ・ハリケーン」の題名で映画化(1999年公開)されDylanの曲がサウンドトラックで使用されています。
2014年
4月
01日
火
いや~、参りました。
今冬は大した風邪もひかず、順調に乗り切ったと思っていたんですが・・・・。
桜の開花宣言を聞いたとたんに・・・・、やられてしまいました。
寝るのが怖いと思ったことあります?
体力を消耗しているので、ウトウトするんですが・・・、体が熱くなり始めると咳の線が動き始め・・・、猛烈な咳き込み。
また普段は腹筋なんか使わないのに・・・、咳き込むだけで腹筋が痛くなります。
寝込むのが本当に怖くなります。
やっぱり、年に1回は酷い風邪にやられるな~。
本当に申し訳ないのですが、本日もお休みさせていただきます。
明日水曜日からは、ちゃんとやりますからね!!