2010年
9月
30日
木
最新版は、右側の10月分をクリックしてください!
ブログがうまく表示できず、皆様には大変ご迷惑をおかけしております。
先般、過去のブログ消失事件以来、ブログの表示がうまくいかず、現在も修復中です。
本当に悩んじゃってます。
現在もブログは随時更新しているのですが、ブログを開くと「9月分」が出てしまい、10月分が現れていません。
10月分は、右側の「2010年10月」をクリックしてください。
本当にご迷惑をおかけしすみません。
早く直るように頑張りま~す!!
今後とも宜しく願いしますね。
2010年
9月
30日
木
名酒 オールドパー。
斜めに傾けても絶対に倒れないのを知ってました?
昨日ご来店くださいましたN新聞社の方に教えていただきました。
オールドパーは、1871年(明治4年)、岩倉具視を特命全権大使とした欧米視察団が英国土産として持ち帰ったのが、日本上陸の最初と言われています。
吉田茂や田中角栄も同ウイスキーをこよなく愛したそうな。
それを真似て、多くの政財界の人たちが好んで飲んだそうです。
理由は、斜めにしても倒れないから。
オールドパーは ボトルが四角く底の部分の角が丸くなっているため、斜めにしても絶対に倒れないようにデザインされています。
それを「見てみろ。俺はこんな風に倒れそうになっても絶対に倒れんのだ」と、選挙や事業で決して転ばないと縁起を担いだからだそうです。
岩倉具視の話は知っていましたが、「ピサの斜塔」のように斜めに立つという事は知りませんでした。
今、この倒れないオールドパーが一番必要なのは我々庶民ですよね。
平均年収も20数万円へり、ますます冷え込んで来ている日本経済の中で、誰の助けも無く倒れずに頑張らなくちゃいけないですからね。
倒れちゃいけません、絶対にネ。
「シュプレヒコール!!我々は、オールドパーを飲んで現実を乗り切るぞ~! 倒れないぞ~~い!!」
オールドパーを飲むんでしたら、美味しく飲みたいですよね~!
オールドパーは、当店でも人気のウイスキー。
香りも良く、ほんのりと甘みを感じる味がたまらなく美味しいので、ウイスキー初心者には必ずお薦めしているウイスキーの一つです。
オールドパーを当店特性のクリスタルカットした氷のロックでご賞味ください。
ご注文くださった方に、もれなく「オールドパー斜めボトル」鑑賞がついてます!!
写真をご提供くださいましたuenoさん、ありがとうございます。
2010年
9月
28日
火
本日ご紹介するのは、イギリスのロック・バンド スペンサー・ディヴィス・グループ(以下SDG)です。
正式な活動期間は、1965年から1967年の約2年間。
2枚目のシングル「キープ・オン・ランニング」は、1966年1月14日号のニュー・ミュージックエクスプレス誌でビートルズの「デイ・トゥリッパー」に変わり1位になり、同じくビートルズの「ミッシェル」が1位になるまで3週間1位に君臨し、ミリオンセラーに。
続いて3枚目のシングル「サムバディ・ヘルプ・ミー」もNME誌トップ30で第1位に。
その他「ギミ・サム・ラヴィン」、「アイム・ア・マン」を全米TOP10ヒットに送り込んだ凄いバンドなんです。
と、淡々に書いてきたけど、このバンドの凄さは、こんなもんじゃない。
このバンドから天才を輩出したんです。
そうなんです。バンド名にもなっているスペンサー・デイヴィス!
じゃなくってスティーヴ・ウィンウッド。
SDGにあのスティーヴ・ウィンウッドがいたんです。
この時、彼は若干16歳。
そのヴォーカル、キーボード、ギター、ハープとすべてにおいて天才振りを発揮。
ソウルフルな歌声で天才の名をほしいままにしていました。
どのくらい凄いかというと・・・・
ビートルズのリンゴ・スターは「アメリカの黒人グループと勘違い」。
ツェッペリン以前のグループに在籍していたロバート・プラントは、「本当のホワイト・ブルース・シンガー」と賞賛。
ヤードバーズのエリック・クラプトンは「リード・ヴォーカルに熱望した」というから凄い!!
こんな天才が一つのグループにいられるわけが無い。
彼は1967年にグループを脱退し、あのトラフィックをディヴ・メイソン等とともにを結成します。
その後の活躍は皆さんがご存知のとおりです。
可哀相なのはSDGです。1967年にスティーヴとマフのをウィンウッド兄弟が脱退すると、バンドの活動は行き詰まってしまい、実質上解散。
写真は、スティーヴ・ウィンウッドが16歳の時に参加したブリティッシュR&B界を代表するSDGのベスト盤です。
メンバーはスペンサー・デイヴィス(G&Vo)、スティーヴィー・ウィンウッド(Vo,Key,G)、マフ・ウィンウッド(B)、ピート・ヨーク(Dr)。
ブルースの影響を受けた黒いグルーヴィ感は、当時、多くのバンドの手本となったそうです。
2010年
9月
27日
月
モ~、本当に参った、参りましたよ!!
過去のブログが消えたまま・・・・。
このHPの運営会社やいろいろとご教授願っている友人とやり取りしているんですが、遅々として進まず。
過去のブログ消失事件に翻弄されている間、早くも3日も経ってしまった。
ブログに乗せたいことが結構あるのに・・・・。
・133年前の9月24日、西郷隆盛が城山で自刃した日(西南の役)の事。数年前に鹿児島に行った時の話も含めて・・・。
・以前、このブログに登場したKISS大好き少女ご来店の事
・25歳の誕生日を友達と一緒に当店で迎えてくれた可愛い女の子の事
・バラードが大好きな中年カップル、特に女性のお客様が帰り際のスタイリスティックスで帰るのを嫌がったり・・・・・・等など
本当にいろいろと書きたいのに・・・・・・!
「なりませぬ、なりませぬ、焦ってはなりませんぬ」、と自分に言い聞かせながらも、過去のブログ消失に相当のショックを受け呆然自失している自分・・・。
西郷さんのように悠然と構えられるように、西郷さんの写真を乗せました(ヤケクソ?!)。
気を取り直して、また頑張りますので宜しくお願いしますね。
2010年
9月
24日
金
昨日の朝日新聞「青鉛筆」に「アナログレコード検定」開催のご案内が掲載されていましたね。
質問:ドーナツ盤の穴は、なぜ大きい?
答え:ジュークボックスに取り付けるため
この「アナログレコード検定」を主催しているのが、東洋化成という会社。
この東洋化成さんは、アジアで唯一のアナログレコードを製造している会社なんです。
工場が鶴見にあるということで、当店にも遊びに来てくださいます。
アナログレコードの音は、人の温もりが感じられ、温かく柔かく豊かさを感じることができ、本当に大好きです。
●正しいアナログレコードの聞き方。
まず、アルバイトで稼いだお金を握り締め、馴染みのレコード屋さんに直行。
レコード屋さんの店員さんとチョット与太話をしながらお目当てのレコードを見つけ、帰宅。
帰宅後お湯を沸かし、コーヒーをいれる。
コーヒーは、お気に入りのCHIP & DALEのマグカップにAGFマキシムインスタントコーヒー。
熱々のコーヒーを持って自室へ。
まず、おもむろに袋を開け、レコード盤を手にとりAB面を繰り返し眺める。
同様にジャケットも表裏を眺め、そのジャケットを壁に立てかける。
レコード盤をプレイヤーにセットし、慎重に針を落とす。
1曲目のイントロまでの空白・・・・ウ~ン、タマラン!!
1曲目が始まったら、コーヒーを一口飲み、煙草に火をつけジャケットを眺める。
2曲目からは、ライナーノーツを読みながら聞き込むと、大体A面が終了。
B面に裏返し、コーヒーとタバコを楽しみながらゆっくり聞き込む。
あ~、レコードって本当に素晴らしいですね!!
レコードの入手がどんどん難しくなっているけど、レコードがある限り当店はアナログレコードにこだわっていく所存です。
アナログレコード検定試験に興味のある方は、下記のアドレスへアクセスしてね。
2010年
9月
23日
木
過去のブログで悪戦苦闘していますが、いまだに解決できずに泣きそうです・・・・。
でも、9月分は大丈夫なので気を取り直して、ジーン・ピットニーをご紹介しますね。
●ジーン・ピットニー/Gene Francis Alan Pitney
先日のデル・シャノンのところで若干触れた飯田久彦のルイジアナ・ママ。
この曲の原曲が、ジーン・ピットニー。
ジーン・ピットニーとポール・アンカ、ニール・セダカで「オールディーズ御三家」というらしい。
日本にも御三家がいたね。
西郷、橋、舟木の御三家、西城、野口、郷の新御三家・・・・どうでもいいか!
中尾ミエ、園まり、伊東ゆかりの三人娘・・・これもどうでもいいか!
で、ジーン・ピットニーなんですが、日本ではルイジアナ・ママ以外あまり知られていないけど、米国・英国では大スターなんです。
「ルイジアナ~」以外のヒット曲は、・・・・
・ ジョン・ウエイン、ジェームス・ステュアート(懐かしいね~!)の西部劇「He Man Who Shot Liberty Valance/邦題:リバティ・バランスを射った男」が全米4位
・ カーク・ダグラス主演のサスペンス映画「Town Without Pity/邦題:非情の町」が全米13位
・ 中東の雰囲気を醸しだしている「Macca/邦題:メッカ」が全米12位
・ 「Half Heaven-Half Heartache/邦題:恋は1/2」が全米12位
・ 「Only Love Can Break A Heart/邦題:恋の痛手」が全米2位
因みに、「Macca/邦題:メッカ」は、日本では克己茂が歌い40万枚の大ヒット。
「非情の町」は、ストレイ・キャッツもカヴァーしていましたよね。
もう一つ聞いた話では、1984年グラミー賞に輝いたThe Policeの「Every Breath You Take」はジーン・ピットニーの「Every Breath I Take」を基に作ったそうです。
ジーン・ピットニーは、アーチストとしてだけじゃなく作曲家としも大成功を収めています。
例えば、1961年Ricky Nelson(リッキー・ネルソン)が歌って全米No.1に輝いた「Hello Mary Lou(ハロー・メリールー)」やロイ・オービソンの 「 Today's Teardrop ( 今宵のなみだ )」、ボビー・ヴィーの 「 Rubber Ball 」、クリスタルズの「 He's a Rebel 」等のヒット曲をつくりました。
1964年以降、ビートルズを中心とするロックの新勢力に押され、彼は低迷するんだけど、 1989年にマーク・アーモンドとのデュオで1967年の自身のヒット曲「Something's Gotten Hold Of My Heart」が、英国チャートで1位を獲得。
その後も現役として活躍していましたが、2006年4月5日 イギリスでのツアー中にお亡くなりになったそうです。
享年65歳。
確かにジーン・ピットニーは、アメリカン・ポップスの全盛期を支えたアーチストの一人ですよね。
改めて、合掌!!
2010年
9月
21日
火
ブログが、月別・年別に分けること知らなかったので、気が付いたらすっご~~く長くなってしまいました。
「長いものに巻かれる」のが結構好きなんですが、ブログはいけません!
友人のS君にご指導いただきながら、月別に分類しているのですが、やっぱりいけません。
悪銭苦闘しながら、やっと2010年3月まで来ました。
今週中にすべて分類できると思います。
そうすれば、見やすくなるよね・・・・きっと!!
連休中に初めて中古レコード店に行ってきました。
懐かしいレコードを少し入手しましたよ。
例えば、カントリー・ウエスタンのハンク・ウイリアムスやジョニー・ホートン、ロックン・ロールのジェリー・リー・ルイス等です。
ブログの整理がつき次第、順次ご紹介していきますからね~~!!
それにしても、PCは難しいな~~・・・頑張るぞ~!
2010年
9月
15日
水
久しぶりにデル・シャノンが大好きなIさんがご来店。
Iさん、シメの曲は大体デルシャノン。
デル・シャノンは、1961年「Run Away/邦題:悲しき街角」でデビュー。
このデビュー・シングルがいきなり全米1位になった60年代初頭の大スター。
1961年というと、僕は中学1年生で勉強もせずに毎夜ラジオばっかり・・・・。
でも、この「悲しき街角」はラジオと言うよりはTVの「ヒット・パレード」で飯田久彦が甘いマスクで歌っているほうが記憶に残っている。
当時、洋楽ポップスに日本語の詞をつけた曲が全盛。
前述の飯田久彦は、「悲しき街角」、デルシャノン第二弾「花咲く街角」やジーン・ピットニーの「ルイジアナ・ママ」を、
コニーフランシスの「可愛いベイビー」を中尾ミエが、「ヴァケーション」を弘田三枝子が、
ジミー・ジョーンズの「ステキなタイミング」を坂本九が、
ポール&ポーラの「ヘイ。ポーラ」を九重佑美子・田邉靖雄が、
ダニー飯田とパラダイスキングがフォー・シーズンズの「シェリー」を、
パラキンの一員だった田代みどりがアネット・ファニセの「パイナップル・プリンセス」を、
克己茂がジョン・レイトンの「霧の中のジョニー」を・・・・・。
あの頃は、アメリカ、イギリスのヒット曲を日本語で歌ったたんだな~!!
で、デル・シャノンの「悲しき街を角」お飯田久彦が歌って大ヒットしたのが1962年。
小生、14歳で中学2年生。
学校からの帰宅途中、必ず金沢八景の弁天島で遊んでたのを思い出しました。
でも、遊んでいたのは男ばっかり・・・・、もてなかったな~!!
で、デル・シャノンですが、その後も街角シリーズを中心にヒットを連発しましたが、1990年2月8日に自宅で猟銃自殺をしてしまいます。
享年56歳。
大スターになると色々なことを考えてしまうんだろうな~!
才能の無い、タダの人で良かったかも・・・・?!
写真は、デル・シャノンのBest盤。
収録曲は、・・・
・ RUNAWAY / 邦題:悲しき街角
・ HATS OFF TO LARRY / 邦題:花咲く街角
・ KEEP SEARCHIN' / 太陽を探せ 等
2010年
9月
11日
土
サム・クックがゴスペルの世界からメジャーになったのは、1960年前後だったと思います。
その頃の僕はまだ中学1年ぐらい。
小学5年生ぐらいから僕は、もう洋楽漬け!
兄が帰省の際に持ってきたカントリー、ハワイアンやプレスリー、ポール・アンカ、ニール・セダカ、パット・ブーン・・・・。
ラジオからビーチ・ボーイズ、フォー・シーズンズやビートルズ、ローリング・ストーンズを始めとするリバプール・サウンドを深夜まで・・
これじゃ、勉強できなかったのは当然ですよね!
こんな調子でモータウン以外は白人のロックばかり追いかけえいたので、サム・クック等は聴く暇が無かった?!
で、初めて彼を聞いたのが20歳を過ぎてから・・・。
もっと早く聴いとけばよかった・・・後悔先に立たず!!
さて、サム・クックですが、ゴスペルの世界からソロに転向し1957年に「You Send Me」を発表。
この曲、いきなりR&B、Popの両チャートの全米No.1に輝いてしまう。
その後、「Only Sixteen(59年)」や「Wonderful World(60年)」、「Teenage Sonata(60年)」などのヒットを飛ばします。
61年に発表した「Cupid」は、R&BチャートでNo.1に輝きました。
61年っていうと、前述の通り僕は中学1年ですよ。リアルタイムで聴けるわけが無いよね。
1962年に発表されポップス部門13位、R&B部門2位を記録した『Bring It On Home To Me』は、アニマルズやジョン・レノンもカバーしヒットしましたよね。
で、彼は1964年12月11日、ロスアンジェルスの宿泊先でモーテルの女性オーナーに射殺されるという悲劇的な最後を遂げてしまう。
享年33歳。
ブルースやゴスペルが中心だった黒人音楽に新風を吹き込みソウル・R&B にまで高めたサム・クックの功績は大きいよね。
でも、でも・・・天才は早死にしちゃうね!
僕は、長生きかも・・・?
2010年
9月
09日
木
久しぶりにNTV「今日は何の日」を見ました。
今日9月9日はケンタッキーフライドチキンの創業者 カーネル・サンダース氏の誕生日だそうです。
ケンタッキーフライドチキンをはじめて食べたのは社会人になってから。
当時、かけ蕎麦・ウドンが40円ぐらいのときで、ケンタッキーは100円で凄く高価な食べ物だった記憶があります。
ところで、カーネルおじさんといえば、1985年の阪神タイガース優勝の歳、熱狂した阪神ファンの胴上げにより道頓堀川に投げ込まれ、行方不明になってしまいましたね。
それ以降、阪神が勝てず「カーネル・サンダースの呪い」という都市伝説が生まれました。
でも昨年(2009年3月10日)同川で発見されたため、今年の阪神は好調ですよね。
ところで、カーネルおじさんは、凄い苦労人だったんですね。
6歳の時に父親が亡くなり、幼い弟妹の世話をしてきたそうです。
そのため、若い頃から様々な職業を転々。
路面電車の車掌を皮切りに、軍隊、消防士、保険外交員、船の仕事、タイヤ売り、ガソリンスタンド・・・・などを経験した。
40歳の時にガソリンスタンドを経営。その一角で食堂コーナーを始めるも火事で全焼。
65才の時に経営難により店は閉店してしまいほとんどの資産を失ってしまいます。
仕方なくワゴン車でフライドチキン片手に、片端から色々な会社を回り、「フライドチキンの調理法を教えるから、かわりに売り上げの一部をくれ。」とまわったという。
それが、世界初の「フランチャイズ・ビジネス」といわれ、今では世界の大企業になっています。
還暦を過ぎてから事業に成功したカーネルおじさんは、いろいろな名言を残しています。
・「人生は自分でつくるもの遅いということはない」。
・「人間は働きすぎてだめになるより、休みすぎてサビ付き、だめになる方がずっと多い」
・「他の人に一生懸命サービスする人が最も利益を得る人間である」
さすがに年齢・経験を積んだ含蓄あるお言葉ですね。
どんなに年を取っても、どんな環境でも、どんな境遇であろうとも「諦めたらダメ」という事ですね。
人生、前向きに焦らず諦めずコツコツとやれば、いつかは日の目を見ることができるかも・・・・。
2010年
9月
05日
日
「この1冊」、猛暑でなかなか進まず、本日になってしまいました。
今回は、別役実 「当世病気道楽」をご紹介します。
別役実といえば、サミュエル・ベケットの影響を受け、日本の不条理演劇を確立した第一人者。
小生が別役実と出会ったのは学生の時。
新宿紀伊国屋で別役実戯曲集「マッチ売りの少女 像」を偶然手にしたのがきっかけ。
「マッチ売りの少女」が抱える深い闇と狂気、被爆によるケロイドの背中を見せ物にしたいと思っている病人が主人公の『象』など、絶望的な孤独に耐えようとする人間の姿を描いた作品に慄いたのを覚えています。
でも、今回は別役実のもう一つの顔~生物学の常識を覆す奇書のふりをしたジョークエッセイ「~づくし」作品群から「当世病気道楽」の紹介です。
この本、とにかく面白いんです。
抱腹絶倒!!
病気を趣味にしてポジティブな人生を送ろうという本なんです。
何時の頃からかは忘れてしまいましたが、挨拶代わりに病気の話をしている自分に気づいた事はありません?
それも自慢げに・・・・・。
そう、病気はある年齢になってから結構会話のネタになり、病気が多い人ほど日常会話がスムーズになるようです。
こうなると同じ趣味を持っている者同士の会話と同じですよね。
別役実先生曰く・・「趣味の中でも病気を趣味にすることこそ究極の愉しみといえるだろう。病気を敵視し、憎み、戦うばかりでなく、冷静に観察し、究極には病気を愉しむ。ヒトの進化はここまで来たのだ!!水虫も腹痛も脱毛症もガンだって愉しめる!?」。
別役流病気を趣味にする方法・・それが別役実の「当世病気道楽」です。
病気でクヨクヨしていても始りませんよ。
病気も味方にしてポジティブに人生を送りましょう!!
で、暑さに弱いのも「病気」かな~?
2010年
9月
04日
土
毎回、衝撃的なアルバムジャケットで注目を浴びているドイツを代表するヘヴィメタバンド スコーピオンズ。
そのスコーピオンズが1984年3月に発表した9作目のアルバムが「Love At First Sting /邦題:禁断の刺青(写真)」。
このアルバムからシングルカットされた「ハリケーン」が全米25位を記録。
2枚目のシングル「スティル・ラヴィング・ユー」は、本国ドイツで14位、アメリカで64位を記録し、世界的なヒット・アルバムとなりました。
聞くところによると「ハリケーン」は、1999年公開の映画「ハード・キャンディ」、2000年公開の映画「リトル★ニッキー」や、音楽ゲーム「ギターヒーロー3 レジェンド オブ ロック」に使用されたとか。
ところで、このスコーピオンズを知ったのがⅤ社時代、転勤で名古屋に行っていた時。
同じグループのR社から頂いたのが3枚目の「In Trance(1975年発表)」。
それ以来、ファンになってしまった。
名古屋か~、懐かしいな~。
結局、名古屋には1年半しかいなかったけど、東海地区のマスコミの皆さんには大変お世話になりました。
CBCのKさん、SFのAさん、C新聞のAさん、Mさん・・・・皆さんもう定年だと思うけど御元気でお暮らしかな~。
多分お会いすることが無いと思いますが、皆さんお元気で!!