Lynyrd Skynyrdで一番の思い出は、やはり1977年初来日の中野サンプラLive。
約50年前、まだ僕が20代、彼らの名曲の一つ「Free Bird」を生で聞きたく、足を運んだのが今や無き中野サンプラザ。
オープニングからメンバー全員がステージ上でビールらしきもの(?)、タバコらしきもの(?)をやりながら次から次にの迫力ある演奏。
大好きな曲「Free Bird」で最高潮を迎え、何時間でも演奏が続けば良いと思ったほどです。
この至福の一時の思い出が、9か月後に消えるなんて・・・・。
信じられない事故が発生し・・・・。
そう、1977年10月20日、Lynyrd Skynyrdツアー移動中、飛行機燃料切れにより墜落。
メインヴォーカルのロニー・ヴァン・ザント、ギタリストのスティーヴ・ゲインズ、バックボーカルのキャシー・ゲインズ等が死亡。
同乗のゲイリー・ロッシントンも両腕、両足、手首、足首、骨盤の骨折、胃と肝臓に穴が開くという重傷を負いましたが、運よく一命を取り留めたそうです。
この飛行機事故の前(同年1977年)に発表された5thアルバム「Street Survivors」 のジャケットが飛行機事故を想起させ「ショッキング過ぎる・不吉すぎる」ということで一時期発禁騒ぎとなりジャケットが差し替えられてしまいました。
飛行機事故で僕のLynyrd Skynyrdの思い出はこの時点で停止。
しかし、日本Liveが創設メンバーによる最後のLiveになってしまったとは・・・・。
そんな貴重なLiveを見ることが出来たのは、ある意味最高だったと思います。
資料によると事故後、ロニーの弟ドニー・ヴァン・ザントが「38スペシャル」を創設し、しばらくはレーナード・スキナードの後継を名乗り、コンサートでもレーナード・スキナードの曲を演奏していたそうです。
一命を取り留めたゲイリー・ロッシントンは、アレン・コリンズ、ビリー・パウエルらと1980年にロッシントン・コリンズ・バンドを結成し活動を続けたそうです。
しかし、アレン・コリンズは1986年に交通事故で下半身不随となり、その4年後に慢性肺炎により死去。
2009年には初期メンバーのビリー・パウエルが心臓麻痺で死去。
2015年には、初期メンバーのボブ・バーンズが交通事故で死去。
2018年8月22日、初期メンバーのエド・キングが癌にて死去。
そして、今年のゲイリー・ロッシントンが亡くなったことにより、創設メンバー全員鬼籍に入ったことになります。
トリプルリードギターでオールマン・ブラザーズ・バンドやアトランタ・リズム・セクションと並ぶサザン・ロックの旗手となったLiveバンドLynyrd Skynyrd。
2006年にロックの殿堂入りを果たし、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第95位に選定。
Lynyrd Skynyrd創設メンバーの皆、そしてゲイリー・ロッシントン。
ありがとうございました。
心より感謝!
● 「Lynyrd Skynyrd~Pronounced 'Lĕh-'nérd 'Skin-'nérd」
アル・クーパーに見いだされ1973年に発表したLynyrd Skynyrdの1stアルバム。
Lynyrd Skynyrdが好きになった「Free Bird」が収録されています。
この曲は、1971年に死去したデュアン・オールマンに捧げられた曲と言われており、シングル・カットされBillboard Hot 100の19位を記録。
ローリング・ストーン誌選出の「オールタイム・グレイテスト・ソング500」で193位に。
2009年にはVH1の企画「100 Greatest Hard Rock Songs」で26位。
この曲のギター・ソロは、「Guitar World」誌が2008年に選出した「100 Greatest Guitar Solos」で3位に、ギブソン公式サイトが2010年に発表した「Top 50 Guitar Solos of All Time」では6位にランク・イン。
音楽評論家達は「ロック史上初のパワー・バラードの1つ」と評している名曲です。
1974年に発表された2ndアルバム。
ニール・ヤングの「サザン・マン」へのアンサーソング「スウィート・ホーム・アラバマ」が収録されていることでも有名なアルバム。
メンバーのエド・キング、ゲイリー・ロッシントン、ロニー・ヴァン・ザント3人の共作である「スウィート・ホーム・アラバマ」は、アラバマ州を題材としており同州の非公式な州歌としても知られています。
発表当時、人種差別主義的な政策で知られるアラバマ州知事ジョージ・ウォレスを賛美した歌と思われたようですが、作詞者のロニー・ヴァン・ザントは完全否定!
同曲は、シングルカットされBillboard Hot 100で8位を記録。
ローリング・ストーン誌が選出した「オールタイム・グレイテスト・ソング500」では407位に。
また、ultimateclassicrock.comが選出した「トップ100クラシック・ロック・ソングス」では14位にランク・イン。
アルバムは、1974年に12位を記録し、マルチプラチナアルバムに。
また、同曲は、ロバート・ゼメキス監督、トム・ハンクス主演で199年公開の「フォレスト・ガンプ/一期一会」やトニー・スコット監督、デンゼル・ワシントン、ジーン・ハックマン出演の1995年公開の「クリムゾン・タイド/Crimson Tide」、ニコラス・ケイジ主演で1997年公開の「コン・エアー/Con Air」、2015年公開の「キングスマン」など等、多くの映画サウンドトラックで使用で使用。
更に嬉しいのは、大好きなミニオンズの「怪盗グルーの月泥棒」にも使用されています。
で、同曲は100万枚を超える売上を記録しRIAAのゴールドディスクに。
「Free Bird」の他にも「Simple Man」や「Gimme Three Steps」・・・等、Liveでお馴染みの曲が収録されています。
発売後、The Who「四重人格」Liveツアーの前座を務めたこと等により、バンド人気は1973年に急速に拡大。
● 「Gimme Back My Bullets」
1976年に発表された4thアルバム。
レイナード独特の泥臭さが消え、洗練された音に・・・。
専門家の評価は低いですが、個人的には好きなアルバム。
収録曲の「アイ・ガット・ザ・セイム・オールド・ブルース」はJ・J・ケイルのカヴァー。
J・J・ケイルと言えば、クラプトンの「コケイン」等のオリジナル曲多数う持つアーチスト。
アルバムは、Billboard 200で20位を記録。
全英アルバムチャートでは5週チャート圏内に入り、最高34位を記録。
シングル「ダブル・トラブル」はBillboard Hot 100で80位を記録。
● 「Street Survivors」
1977年発表の衝撃の5thアルバム。
前述したように、1977年10月20日、ツアー中の飛行機がミズーリ州マッカム近郊で燃料切れにより墜落。
ロニー・ヴァン・ザント、スティーヴ・ゲインズ、キャシー・ゲインズらが死亡。
事故前に発表された同アルバムの「火に包まれたジャケット」は、
あまりに不吉であるとし、その後ジャケット写真が差し替えられて発売。
この最初の「不吉な」ジャケットは、長らく入手困難になったのを覚えています。
このアルバムから「What's Your Name」、「That Smell」が大ヒット!
このアルバムで僕のLynyrd Skynyrdは停止してしまいます。
しかし飛行機墜落事故、Lynyrd Skynyrdの精神はロニーの弟であるドニー・ヴァン・ザント率いる38スペシャルに引き継がれて、しばらくはレーナード・スキナードの後継を名乗り、コンサートでもレーナード・スキナードの曲を演奏していたようです。
● Live盤「One More From The Road」
1976年発表のLynyrd Skynyrd初のLive盤。
1976年7月のアトランタ公演のライブ音源が収録され、2枚組LPとして発売。
Billboard 200では9位を記録し、自身2作目の全米トップ10アルバム。
全英アルバムチャートでも17位に達し、初の全英トップ20入りを果たした。
ギター・ワールド誌では、1970年発表のWho「Live At Leeds」、1971年発表のAllman Brothers Band「At Fillmore East」、1970年発表のJimi Hendrix「Band of Gypsys」、1976年発表のLed Zeppelin「The Song Remains the Same/邦題:永遠の詩 (狂熱のライヴ)」と並んで神殿入りに値する、最も偉大なロック・コンサート・アルバムの一つ」と評価。
また、収録曲「Saturday Night Special」は、銃規制を支持した内容の歌詞で、拳銃を「殺人以外の役に立たない」と批判しているそうです。
1974年公開のアメリカ映画「ロンゲスト・ヤード」のサウンドトラックで使用され、1975年にシングル・カットされてBillboard Hot 100で27位を記録。
● 「Skynyd's First And … Last」
1978年、事故後に発表されたコンピレーションアルバム(特定のテーマや一定のコンセプトに基づいて集められた楽曲によって構成された音楽アルバム)。
もともとは彼らのデビューアルバムになる予定だったそうですが、結果発表されまなかったアルバム。
アルバムには、1971年と1972年の初期の未発表曲やスタジオアルバム用に再録音される前のオリジナルバージョンが含まれています。
アメリカビルボード200で15位を記録し、1978年にRIAAによってプラチナに認定。
Lynyrd Skynyrd好きには、とても貴重なアルバムです。
因みにこのアルバム入手は困難ですが、1998年に名前が変更され発表されているようです。
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