最高に素晴らしい映画。
是非見てください。
ご存知のように2019年度アカデミ-賞作品賞・助演男優賞・脚本賞、第76回ゴールデングローブ賞3部門受賞、BAFTA(英国アカデミー賞)4部門受賞、トロント国際映画祭観客賞受賞、他46受賞83ノミネート。
昨年末から上映されている驚異のロングラン映画「ボフェミアン・ラプソディ」と同様に素晴らしい映画です。
「グリーンブック」とは、黒人差別が色濃く残る南部等を旅行する黒人専用の旅行ガイドブック。
この二人、実在する人物。
ドクター・シャーリーは、本名ドナルド・ウォルブリッジ・シャーリーと言い、9歳でレニングラード音楽院の生徒となり、18歳でボストン・ポップス・オーケストラにてコンサートデビュー。
複数の博士号を取得し複数の言語を話し1955年にアルバム・デビュー。
エスクァイア誌は「おそらく業界で最も才能の有るピアニスト。他と比較するのが馬鹿げているほど上手い」と評し、同じ時代に生きた伝説のピアニストトであり日本では「火の鳥」等でも有名なイーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキーが「彼の技巧は神の域だ」と絶賛したほどの男。
一時期、カーネギーホールの上にある高級マンションで暮らしていたそうです。
ドクター・シャーリーの用心棒として雇われたトニー・バレロンガは、ニューヨーク・ブロンクス生れのイタリア系アメリカ人(マフィア)。
世界的に有名なニューヨークのナイトクラブ「コカパガーナ」に努め(用心棒として?)その間に培った人脈から1972年「ゴット・ファーザー」で俳優デビューしているそうです。
前述したように1960年代、アメリカ南部の州法(ジム・クロウ法)で公立学校、公衆トイレ、バス、レストラン、ホテル等すべて白人用と黒人用に分かれており、黒人は食事や宿泊、買い物する場所、座ったり歩いたりする場所まで制限されていたそうです。
また、南部のいくつかの街では、黒人が日没後に外出することさえ違法とされてたとか・・・。当時小学生だった僕は「日本人は黄色人種だから黒人と同様差別される」ということを聞いてビックリ。
映画の中でもおじさん二人がパトカーに車を止められ留置されてしまう場面があり、本当の事だったんだと改めて感じた次第です。
また、白人の前で初めて歌った黒人歌手で「月光値千金」「アン・フォーゲッタブル」「モナリザ」等で日本でも有名なナットキングコールが、故郷のアラバマの公演でステージから引きづり降ろされリンチを受けるという事件もあったそうです。
映画の中でもドクター・シャーリーが白人専用のBarでリンチをうける場面があります。
そんな時代背景の中、白人でもなく一般的な黒人とも違う~音楽・人種・セクシュアリティ等様々な面でマイノリティの黒人天才ピアニストドクター・シャーリーが用心棒として雇ったイタリア系アメリカ人でマフィアの生き証人というトニー・バレロンガと一緒に自分の居場所を探すために自分探しの旅に出た際生まれた友情を描いた映画なのです。
この映画を見ていて、いろいろな事が頭を過ります。
① 1962年という時代。
② 1962年にデビューしたフォー・シーズンズ。ミュージカルでトニー賞を獲得し2014年クリント・イーストウッド監督により映画化された「ジャージー・ボーイズ」。
③ J.Fケネディの娘~スィート・キャロライン/ニール・ダイアモンド
④ 人種差別。KKK
⑤ フライドチキンが黒人のソウル・フードだったとは・・・・、知らなかった。
⑥ Neil Young vs. Lynyrd Skynyrd。
⑦ ジョン・ウエイン主演の映画「リバティバランスを撃った男」
⑧ ナットキング・コールが1963年来日~東京・赤坂の高級キャバレー「ニューラテンクォーター」Live。
⑨ ドクター・シャーリーがフレディー・マーキュリー同様同性愛者であったこと、等々・・・・。
最期に黒人専門のバーでロックンロールを楽しそうに演奏し歌うドクター・シャーリー、ニューヨークに戻ってから用心棒トニー・バレロンガの家にクリスマスで招待され嬉しそうにしているドクター・シャーリーを見て涙が出ました。
因みに、人種隔離と戦っていたマーティン・ルーサー・キング牧師の非暴力闘争は国政を動かし、1964年に公民権法が成立し南部の人種隔離が憲法違反とされ撤廃。
1966年にグリーンブックも役割を終えたそうです。
しかし、現実にはまだまだ人種差別は残っており複雑な気持ちですが、映画は最高なのでまだ見ていない方は、是非是非!!
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