先週水曜日(25日)23時頃に30代中頃の男性二人組がご来店。
お話を聞いていると、50年代60年代のPops&Rockやカントリー&ウエスタンが大好きとのこと。
当店の50’s~80’sの看板を見てご来店くださったわけです。
そのお二人が言うことには、「友達にカントリー&ウエスタンが大好きといっても、誰も反応してくれないし理解もしてくれない」。
当然でしょうね~・・・・。
だって、カントリー&ウエスタンが日本で大ヒットしたのは僕がご幼少の時、というか兄貴の時代なんですから。
いるんですね~、お若いのにオールデイズやカントリーが好きな人が・・・・・・。
でも、嬉しいですね~・・・・、涙もんですよ!
「マスター、もしレコードがあったら聞かせてくれない?」。
ありますよ、有りますよ。
だてに「50年代」を標榜しているわけではありませんよ!
ということで、ハンク・ウイリアムス、チェット・アトキンスの他に話に出たウォール・オブ・サウンド/フィル・スペクターも大好きとのこと故、ロネッツなどのレコードを。
お二人ともとても嬉しそうにお帰りになりました。
ありがとうございます。
また、遊びに来てくださいね!
で、当店所有の「カントリー&ウエスタン」アナログ・レコードをご紹介しますね。
●チェット・アトキンス
Chester Burton Atkins
(1924年-2001年)
アメリカのカントリー・ミュージシャン&ギタリスト。
彼が編み出した「ギャロッピング奏法」は、後のロック・ギタリスト~ベンチャーズのドン・ウィルソン、ジョージ・ハリスン、スティーブ・ハウ等に大きな影響を与えたと聞いています。
僕が彼の名前を知ったのは、中学生の時。
当時はまっていたベンチャーズが、チェット・アトキンスの影響を受けていたことを知ってから。
当然、その頃はお小遣いも少なかったので、レコードを購入したのは大学に入ってからですが・・・・。
1954年に発表されたアルバム「A SESSION WITH CHET ATKINS」が高評価を得、1955年シングル「Mister Sandman」がカントリー・チャートの13位にランク・インされチェットは大きな名声を得る。
自己名義での活動以外にも、スタジオ・ミュージシャンとしてエルヴィス・プレスリーの大ヒット曲「ハートブレイク・ホテル」や「ハウンド・ドッグ」にリズム・ギターで、ハンク・ウィリアムズやエヴァリー・ブラザース等のセッションにも参加。
1970年にジェリー・リードとの共演作「ME & JERRY」でグラミー賞ベスト・カントリー・インストゥルメンタル部門受賞をはじめ、1977年チェットの憧れの存在 レス・ポールとの連名のアルバム「Chester and Lester」で最優秀カントリー演奏受賞、ダイヤ・ストレイトのマーク・ノップラーと共演したアルバム等、生涯において13作品(他アーティストとの連名も含む)でグラミー賞を受賞。
1973年にカントリー・ミュージック・ホール・オブ・フェイム・アンド・ミュージアムに登録。
1993年にはグラミー賞の生涯功労賞受賞。
2001年6月30日、癌のためナッシュビルで死去。
2002年、ロックの殿堂のサイドマン部門を受賞。
2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第21位に輝いています。
●ハンク・ウィリアムズ
Hank Williams
(1923年-1953年)
カントリー音楽の歴史において最も重要な人物のひとりと.
1947年から心臓発作で29歳に亡くなった1953年の最初の日までの短い間に「ビルボード」のカントリー&ウェスタン・チャートにおいて1位になったシングル盤が11枚、トップ10入りしたシングル盤が35枚もあります。
ハンク・ウィリアムズの影響を受けたアーティストとして、キース・リチャード、マーク・ノップラー、トム・ペティなどが有名。
また、ハンク・ウィリアムズの曲をカバーした歌手は、ウィリー・ネルソン、タウンズ・ヴァン・ザント、ボブ・ディラン、レナード・コーエン、ケニー・ランキン、ジョニー・キャッシュ、トニー・ベネット、レイ・チャールズ、ルイ・アームストロング、トム・ウェイツ等数えきれないアーティストがいます。
1987年にアーリー・インフルエンス部門で、ロックの殿堂入り。
1999年に「Native American Music Hall of Fame」 で殿堂入り。
2003年にカントリー・ミュージック・テレビジョン(CMT)が選定した「カントリー音楽で最も偉大な40人」で、この年に亡くなったジョニー・キャッシュに次いで第2位に。
2004年「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第74位。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第27位。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第59位。
2010年4月12日、ピューリッツァー賞委員会は、「普遍的感覚を心にしみる素朴さで表現したソングライターとしての職人技、カントリー音楽をアメリカ人の生活における大きな音楽的文化的存在に変貌させた大きな役割」に敬意を表し、ウィリアムズに没後の特別賞を追贈。
2011年、1949年にチャートNo.1に輝いた「Lovesick Blues」によりグラミーの殿堂入り。
●ジョニー・ホートン
Johnny Horton
(1925 - 1960)
日本でも大人気のカントリー歌手の一人ジョニー・ホートンは、不幸にもレコーディング期間はたったの5年と実に短命。
ジョニー・ホートンが文無しの歌手から一躍人気歌手となった最初のヒット曲は1956年に録音された「Honky-Tonk Man」。
しかし、彼が日本で有名になったのは、映画の西部劇の主題歌です。
1956年の映画「Davy Crockett, King of the Wild Frontie(鹿皮服の男)」のテーマ曲「The ballad of Davy Crockett/ディビー・クロケットの唄」が大ヒット。
1959年には、1800年初頭の英国との接戦を歌った「The Battle of New Orleans(ニュー・オーリンズの戦い)でカントリー&ウエスタン部門のグラミー賞受賞。
1960年には映画「Sink the Bismark/ビスマルク号を撃沈せよ」の主題歌が大ヒット。
また、同年1960年代にはゴールドラッシュをテーマにしジョン・ウエインが主演となった映画「North to Alaska(アラスカ魂)」のテーマソング「アラスカ魂」が大ヒット。
日本のヒットパレードでも上位を占めていましたが、この作品が遺作となってしまいました。
映画も主題歌も大ヒットを記録しジョニー・ホートンは人気絶頂でしたが、1960年に、テキサスの高速道路で酒気帯び運転の車と正面衝突して惜しくも35歳で亡くなりました。
あまりに若すぎる死ですね!
余談ですが、ジョン・ウェイン主演の映画「アラスカ魂」の前作である映画「アラモ」もいい映画でしたね。
観た映画館は、旧東劇。
現在の東劇と違い、入り口から中まで靴が半分めり込む程の赤絨毯が敷いてあること、また映画の内容でジョン・ウェインがディビー・クロケット役、リチャード・ウイッドマークがナイフの名人ジム・ボーイ役で出演しており、初めての東京での映画で本当に興奮したのを覚えています。
因みに、映画「アラモ」の主題歌は、ブラザース・フォーですが・・・。
●ジョニー・キャッシュ
John R. "Johnny" Cash
(1932年 - 2003年)
ジョニー・キャッシュは、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、俳優、カントリー、ロック、ロカビリー歌手・作曲家であり20世紀の多くのミュージシャンに影響を与えています。
彼はカントリー歌手として知られていますが、曲やサウンドのジャンルがとても広く、ロック、ロカビリー、ブルース、ロック、ゴスペルと多岐に亘っています。
そんもため、カントリー・ミュージックの殿堂、ロックの殿堂、ゴスペル・ミュージックの殿堂と複数の殿堂入りを果たしています。
2003年に死去するまでに放ったヒット曲数は140曲以上。
ヒット曲最多売上曲数の世界記録保持者エルヴィス・プレスリーの151曲に迫る数字です。
レコードとCDの累計売上がこれまでに5,000万枚を記録しており、グラミー賞11回受賞の他、数々の受賞歴を持っています。
ジョニー・キャッシュの特徴は、「ロックの反逆性とカントリーの哀愁、フォークの語り口」といわれる独自の世界感を持つ歌が多くのアーチストから尊敬されています。
例えば、クリス・クリストファーソンやU2のボノ、ボブ・ディラン、ウィリー・ネルソン等。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第21位。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第31位。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第14位。
●フランキー・レイン
Frankie Laine
(1913年- 2007年)
フランキー・レインは、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の歌手・俳優。
イタリアのシシリー島の移民で若い頃ナイトクラブなどで活動。
1952年、ゲイリー・クーパー主演の映画「真昼の決闘」のテーマ曲「ハイ・ヌーン」が大ヒット。
この映画は、保安官1人で殺し屋4人と立ち向かわざるを得ないという内容で、主演のゲイリー・クーパーは歳を重ねて渋味のある中年男の孤独と苦悩を演じてアカデミー賞の主演男優賞を獲得。
因みに妻を演じたのが後にモナコ公妃となったグレイス・ケリーです。
1955年から1966年まで11年間続いたCBSテレビで放送された西部劇「ローハイド」のテーマ曲「Rawhide」が大ヒット。
2007年2月6日カリフォルニア州サンディエゴで心血管疾患のため亡くなります。
フランキー・レインは、子供の頃に西部劇映画で知った歌手で正式にはC&Wの歌手ではありませんが、西部劇=フランキー・レインの歌はいつも片隅に生きています。
●「カントリー&ウエスタン」とは?
お若い方達はご存じないかもしれませんが、「カントリー&ウエスタン」の起源は簡単に言うとヨーロッパの伝統的な民謡やケルト音楽などがスピリチュアルやゴスペルなど霊歌・賛美歌の影響を受けて1930年代に成立した白人労働者階級のフォーク・ミュージックで、類似したルーツを持つウエスタン・ミュージックを包括し1940年代、「カントリー・ミュージック」という言葉で定着。
1950年代には、ビル・モンロー、チェット・アトキンス、ポール・コウエン、オウエン・ブラッドリーなどが活躍。
1960年代後期は、ブリティッシュ・インヴェイジョン(Beatles等)の影響によりナッシュビルで生産されるカントリーへの熱狂も薄れたが、新たにカントリー・ロックというジャンルが生まれます。
1970年代にはBirsのジーン・クラーク、C.C.R.ニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セイジ、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド等が活躍。
その後、カントリーとロックが融合しポコ、バッファロー・スプリングフィールド、グレイトフル・デッド、イーグルス等が誕生。
また、カントリーとハード・ロックが融合し、オールマン・ブラザーズ・バンド、レイナード・スキナード、マーシャル・タッカー・バンド等のサザン・ロック全盛期となります。
ローリング・ストーンズも「カントリー・ホンク」や「ホンキー・トンク・ウィメン」等でカントリー・ロックを取り上げていますよね。
日本でブームになったのは、第二次世界大戦終戦後にアメリカ兵が持ち込んだカントリー・ミュージックが最初。
1940年代から1950年代に全盛期となり、ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ、小坂一也とワゴン・マスターズ、ウイリー沖山が在籍したカントリーボーイズなどが活躍。
僕が「カントリー&ウエスタン」を知ったのが、兄が持ち込んだ1950年代後半。
かなり大雑把に書いてしまいましたが、本当に面白いな~。
この辺の音楽史、近い内にもう一度まとめてみたいです。
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