Doobie Brothersが来日しますね。
何と、22年振りとか・・・・。
東京は、4/26(水)に武道館。
残念ながら、今回は平日公演なので行けないな~・・・。
僕が観たDoobie LIVEは、1979年2月の日本武道館LIVE。
今でも思い出します。
と言うことで、Doobie Brothersをご紹介しますね。
Doobie Brothersは、Eaglesと並ぶウエスト・コースト・サウンドの代表格。
1979年の「What A Fool Believes」でグラミー賞を受賞。
2004年にボーカル・グループの殿堂入りを果たしています。
Doobie Brothersは、カントリー・フォーク系のトリオPUDのメンバーだったトム・ジョンストン、ジョン・ハートマンが中心となり結成。
その後、メンバーチェンジを繰り返しながら現在も活動しています。
バンド名の"Doobie Brothers"というのは、元々「マリファナ仲間」を指すスラングだそうで、まだ彼らが倉庫で練習していた頃、よくマリファナの回し飲みをしていたのがバンド名となったそうです。
日本のDoobie Brothers ファンは、2つに分かれます。
初期のギター中心のストレートなアメリカン・ロックのDoobieと後期のあか抜けたジャージーなDoobie。
個人的には、初期の“これぞアメリカン・ロック”というDoobieの方が好きなんですが・・・・。
71年の1stアルバム「The Doobie Brothers」は全く売れなかったが、テッド・テンプルマン(*1)がプロデューサーになった2ndアルバム「Toulouse Street」(1972年発表)からシングルカットされた「Listen to the Music」が大ヒット。
以降、ギター中心のストレートなロックと力強いファンキーなリズムセクションが評判を呼び、名実ともにウェストコーストを代表する人気バンドなります。
1975年バンドの中心人物トム・ジョンストンの健康状態が悪化した際、Steely Danのツアー・メンバーだったマイケル・マクドナルド(Vo/key)が新たに加入。
キーボードを核とした洗練されたAOR路線へと変化し、78年のアルバム「Minute by Minute」とシングル「What A Fool Believes(ある愚か者の場合)」が全米1位に。
同年のグラミー賞を獲得し、高い人気と評価を確立。
80年代に入るとマイケル・マクドナルド色が強くなり、各人のソロ活動が活発化。
遂に82年のツアーを最後に解散。
87年にはベトナム帰還兵救済を目的としたチャリティー・コンサートのため再結成コンサート実施。
このLIVEは、Doobie Brothersに在籍した歴代メンバー12人が一堂に会し、同窓会的なステージだったそうです。
そして、このコンサートが引き金となり自然に再結成の話が持ち上がり、89年には初期メンバーを中心に再結成。
その後もメンバーチェンジを繰り返しながら、現在でも第一線で活動を続けています。
当店所有のDoobie Brothersのアナログレコードをご紹介しますね。
(*1)テッド・テンプルマンは、後にLittle Featの「セイリン・シューズ」、Van Morrisonの「テュペロ・ハニー」、Eric Claptonの「Behind The Sun」、Van Halen、サミー・ヘイガー、デヴィッド・リー・ロスらのアルバムを手がけるなど、70年代から80年代にかけて、ロック界を代表する大物プロデューサー。
◆「Toulouse Street」
1972年発表の2ndアルバム。
テッド・テンプルマンのプロデュースで、以降のDoobieサウンドの音楽スタイルを決定づけた出世作。
シングルカットされた「「Listen To the Music」が全米11位に、「Jesus is Just Alright/邦題:希望の炎」が全米35位と大ヒット。
アルバムは、全米21位を記録。
◆「The Captain And Me」
1973年発表の3rdアルバム。
このアルバムから採用されたツイン・ドラムスの分厚いリズムにアコースティックとエレクトリック・ギターの軽やかなリズムを重ねた初期の傑作アルバム。
シングルカットされた名曲「「Long Train Runnin」が全米8位に、「China Grove」が全米15位を記録し、一躍アメリカを代表するロックバンドへとのしあがる。
アルバムは、全米7位、UK30位を記録。
レコーディング時のゲストとして、Little Featのビル・ペイン、Steely Danのジェフ・バクスターらが参加しています。
「Long Train Runnin」は、アメリカ映画「コードネームはファルコン」(1985年公開)のサウンドトラックで使用されています。
また、日本ではトヨタ・チェイサーとトヨタ・ハリアーのCMソングに使用。
◆「What Were Once Vices Are Now Habits/邦題:ドゥービー天国」
1974年発表の第1次黄金期頂点の4枚目のアルバム。
当初、「Another Park, Another Sunday」(全米32位)がシングルカットされたが、そのB面の「Black Water」がバージニア州のラジオ局で流れたことを機に徐々に全米でブレイク。
B面だった「Black Water」は、ついにDoobie初の全米No,1位に輝く。
その他に「Eyes Of Silver」が52位、「Nobody」が58位を記録。
アルバムは、全米4位、UK19位を記録。
同アルバム制作後、ゲスト参加のジェフ・バクスターは、Steely Danを飛び出しDoobieへ正式加入。
◆「Stampede」
1975年発表の5枚目のアルバム。
予約だけでミリオン・セラーを記録したアルバム。
ジェフ・バクスター(g)加入によってトリプル・ギターになる。
ツイン・ドラムスとトリプル・ギターという、よりパワフルな構成のDoobieサウンドの総決算的作品。
シングルカットされたキム・ウェストンのカヴァー曲「Take Me In Your Arms (君の胸に抱かれたい)」は全米で11位を記録。
「Sweet Maxine」は全米40位、「I Cheat the Hangman」は全米60位を記録。
アルバムは、全米4位、ニュージーランドで5位、オランダで11位、UKで14位を記録。
予約だけでミリオン・セラーとなり、バンドはその後も順調に活動を続けていくように見えたが、このアルバムのツアー中にバンドのリーダー兼ヴォーカリストでもあり、ほとんどの曲の作者でもあったトム・ジョンストンが突然倒れてしまう。
そこで、急遽ヴォーカルのできるジェフ・バクスターと同じSteely Danのメンバーでキーボードと歌を担当していたマイケル・マクドナルドが参加。
この時、コンサート会場でのファン達はトム・ジョンストンが出演しないことにブーイングを浴びせたらしいが、マイケル・マクドナルドが唄い出すとピタリと止み、やがて歓声に変わっていったとか・・・。
唄・キーボード・作曲までできるマイケル・マクドナルドは、その後正式にメンバーに。
このことが良くも悪くもDoobieに大変革をもたらすことになる。
◆ 「Takin' To The Streets/邦題:ドゥービー・ストリート」
1976年発表の6枚目のアルバム。
トム・ジョンストンの体調不良により加入したマイケル・マクドナルド(vo,kb)によって、サウンド変化が起きた分岐点となる作品。
これまでのストレートでパワフルなロック路線から、R&Bやジャズのテイストを取り込んだ都会派のジャージーなロックへと変化。
同アルバムは、トム・ジョンストンが休んでいる間に発表され、マイケル・マクドナルドとジェフ・バクスターの元Steely Danコンビが織りなすジャズ・テイストのサウンドがかなり反映されたアルバム。
マイケル・マクドナルドが作曲した同名タイトル曲「Takin' To The Streets」が全米13位の大ヒットを記録。
その他に「It Keeps You Runnin'」が全米37位に、「Wheels Of Fortune」が87を記録。
アルバムは、全米で8位、ニュージーランドで7位、オランダで11位、UKで42位を記録。
このアルバムが制作された当時、1976年はAOR元年、フュージョン元年とも言われ、Boz Scaggs、Al Swewart、George Benson、Michael Franks、Al Jarrowなど「大人向けのAORロック・アルバム」が次々にヒットした年。
この時代の流れにDoobieも乗って行きます
◆「Best Of Doobies」
1976年発表の初期ベスト盤。
アルバムは、全米5位を記録。
Doobieの1stから「Takin' To The Streets/邦題:ドゥービーストリート」までの一世を風靡したヒット曲を収録。
ジュークボックスに収録曲の入れたジャケットがアメリカぽくって、とても好きです。
発売から売れ続け、セールスが1,000万枚以上とか・・・。
ウエストコーストの軽快なサウンドが堪能できます。
◆「Livin' On The Fault Line/邦題:運命の掟」
1977年発表の7枚目のアルバム。
シングルカットされた「Echoes of Love」が全米66位を記録。
その他にもマーヴィン・ゲイの1966年ヒット曲のカヴァー「Little Darlin' (I Need You)」、カーリー・サイモンとマイケル・マクドナルドの共作「You Belong to Me」も話題に。
アルバムは、全米で10位を記録。
前作以上にマイケル色が強くなり、ロック、ソウル、フュージョンがバランスよく盛り込まれた完成度の高い作品。
この作品を最後にトム・ジョンストンはDoobieを脱退。
◆「Munute By Minute」
1978年発表の8枚目のアルバム。
Doobie第2期黄金期を築いたアルバムで、名実共にアメリカン・ロックを代表するバンドとしての地位を確立した作品。
ケニー・ロギンスとマイケル・マクドナルドの共作「What A Fool Believes」が全米No,1に輝き、グラミー賞4部門を制覇。
シングルカットされた「Dependin' On You」は全米ポップ部門で25位、「Munute By Minute」は、全米R&B部門で74位、ポップ部門で14位、「What A Fool Believes」はR&B部門で72位、ポップ部門で1位を記録。
アルバムも全米No.1に輝きました。
この頃バンドには、一時メンバーをはずれていたトム・ジョンストンが復帰していましたが、新しい方向性に進んだバンドに彼の居場所はなく、トム・ジョンストンはソロ活動に。
また、あまりのマイケル・マクドナルド色の濃さにジョン・ハートマンとジェフ・バクスターも脱退。
◆「One Step Closer」
バンド存続の危機の中、1980年に発表された、解散前最後のオリジナル・アルバム。
同アルバムでは、メンバーに黒人を起用しジャズやラテン色がますます強くなり、マイケル・マクドナルドの個性全開のアルバム。
初期のDoobiesの面影はまったく有りません。
シングルカットされた「Real Love」は全米5位、R&Bチャートで40位を記録。
「One Step Closer」は、全米で24位、「Keep This Train A Rollin'」は、62位を記録。
アルバムは、全米3位、R&Bアルバム・チャートでは31位を記録。
その他にニュージーランド22位、ノルウェー32位、オランダ42位、UK53位を記録。
1980年11月にはRIAAによってプラチナ・ディスクに認定。
マイケル・マクドナルドについていけなくなったメンバー達の脱退が続き、ついには最後のオリジナル・メンバーであったパトリック・シモンズも脱退を決意。
これを機にメンバー達は協議の末、Doobie Brothersを解散させることに合意。
そして、82年最後に“Farewell Tour”と題し全米ツアーを実施。
◆ LIVE盤 「The Doobie Brothers Farewell Tour」
1982年の全米ツアー「Farewell Tour」の模様を収録したアルバム。
1983年に発表。
もう、ヒットパレード的なLIVE盤。
ラストのTom Johnston & Michael McDonaldのコラボによる「Long Train Runnin'」「China Grove」はたまりません。
Doobieの歴史を振り返れる一枚です。
LIVE盤からシングルカットされた「You Belong To Me」が、全米で79位を記録。
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