最後の「無頼派」、「「焼跡闇市派」と言われた野坂昭如。
同本は、2003年5月に脳梗塞発症から2015年12月9日に急逝するまでの約12年間の闘病生活を元タカラジェンヌの陽子夫人の口述筆記による公開日記とエッセイです。
急逝の数時間前まで取り組んだ日記「だまし庵日記」を主軸にいくつかのエッセイを加えた文字通りの「絶筆」。
この日記の根底に流れているのは、家族に対する愛情と自身の戦争体験からみた日本の現状が主となっています。
脳梗塞発症後、十年を超えるリハビリの記録だけに、毎日の食事や日常生活描写が多くなっているのは当然ですが、野坂の日常生活を支えている奥様、娘、孫達に対する感謝の気持ちが随所に記述されています。
また、敗戦前後の悲惨な実体験を意識しつつ、昨今の混迷する政治経済社会状況への批判、特に食や農業危機への警鐘が記述されています。
妹や義父の命を奪い取った戦争。
「70年前の今日、ぼくは神戸で焼け出された」という文章で始まっている2015年の6月5日のコラムではこの空襲で養父を失い、その数か月後には妹を栄養失調で失ったことに対する思い出が綴られています。
戦争は野坂自身の人生そのものであり失ったものの大きさを忘れることが出来なかった人生なのだろうと推測されます。
戦争を知っている世代、戦争で多くの物を失った世代であり、被害者ゆえの戦争否定の考えを貫いています。
「少しでも戦争を知る人間は戦争について語り伝える義務を持つ……戦争は醜い。僕の中に戦争の記憶は如何ともしがたく骨身に絡んでいる」と同時に、「かって国民より国家を重んじ、日本国民は戦争に巻き込まれた。……国民は自国のお上の下心を疑い、矛盾を追求した方がいい」と現在の政治状況、特に憲法改正と集団的自衛権については執拗に語り続けています。
新聞報道等から安倍政権の右寄り政策にはかなり危険なものを感じているようです。安保法案、沖縄基地問題、秘密保護法案などで、日本がまた戦争に突き進むのではないかと、安倍政権にはかなり批判的です。
野坂は、12月9日の日記で「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」としたためたのち自宅で倒れ急逝。
享年85才。
改めて、合掌。
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