ア~アッ・・・・、また一つ青春が・・・消えてしまいました。
コニー・フランシスやヘレン・シャピロ等と一緒に60年代のビルボードを賑わした代表的な女性シンガー レスリー・ゴーア。
日本でも人気があったレスリー・ゴーアが、2月16日肺がんのためニューヨーク・マンハッタンの病院で亡くなったそうです。
享年68歳。
68歳か~、僕と2歳しか違わなかったんですね・・・。
レスリー・ゴーアは、1963年に「涙のバースディ・パーティ/原題:It's My Party」でデビュー。
ラジオから流れてきた彼女の声は、ずいぶん大人びていたので、中学生の僕にはもっと年上の女性だと思っていましたが・・・。
で、「涙のバースディ・パーティ/原題:It's My Party」は、USAビルボード・シングルチャートで1位になり、デビュー・アルバム「I’ll Cry If I Want To」もUSAビルボード・アルバムチャートで24位と大ヒット!
ところで、このデビュー・シングルのプロデュースを担当したのは、誰だかわかりますか?
何と若き日のクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)だったんですよ!
彼にとっても、初の全米1位となった記念すべきプロデュース作品になったわけですね。
その後も「Judy's Turn to Cry」が5位に、「恋を夢みる17才/原題:That's The Way Boys Are」が1位、「恋と涙の17才/原題:You Don't Own Me」(個人的に一番好きな曲)は第2位になる等、次から次にヒットを連発。
1969年までシングル29枚を発表し19枚がUSAビルボード・シングルチャート・ベスト100にチャートインしています。
本当に残念ですが、60年代を代表する女性シンガー、レスリー・ゴーア(Lesley Gore)に合掌!
余談①:日本では薗まり、中尾ミエなどが日本語でカバーしていました。
余談②:ビルボード1位に輝いていた「涙のバースデイ・パーティ」を蹴落としたのは・・・・・、ナッ、ナント・・・川崎出身の坂本九の「スキヤキ」だったんですって!!
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