たまには古本屋さんに寄ってみるもんですね。
本当に久しぶりなんですが、先日お店近くの古本屋さんに立ち寄り、つらつらと歴史モノのコーナーを眺めていたら・・・・・、長年探し求めていた本の一つが有ったんです!!
それが、「海野十三 敗戦日記」。
海野 十三(うんの じゅうぞう)と聞いて、何人の方がご存じだろうか。
明治30年に生まれ、昭和24年に他界。
こんな古い人は知らないよね。
海野 十三は、早稲田大学理工科で電気工学を勉強。
卒業後は逓信省電務局電気試験所に勤務しながら経験を活かしSF小説や科学小説などを発表。
その後も積極的に出筆活動に励み、SF作家、推理作家、漫画家、科学解説家で日本のSF小説の始祖の一人となっています。
「宇宙戦艦ヤマト」の松本零士は、当然知ってるよね。
松本零士は、宇宙戦艦ヤマトの初代艦長に沖田十三という名を付けるぐらい、熱烈な海野十三作品のファンだったんです。
そんな海野先生が戦争中に残したノート2冊の日記が「海野十三 敗戦日記」。
昭和19年の「空襲都日記」と昭和20年の「降伏日記」の二部構成となっています。
昭和19年11月1日に米機による最初の空襲が始まります。
連日の空襲の模様、各地の被害、伝聞情報等や焼夷弾が落ちたときの対処法等が科学者らしい正確さとリアリティをもって記録されています。
沖縄の地上部隊が玉砕した時には、「(沖縄は)天王山だ、関ヶ原だ」と散々煽っていた軍当局に激怒。
広島の原爆投下では、「これまでに書かれた空想小説などに原子爆弾の発明に成功した国が世界を制覇するであろうと書かれているが、まさに今日、そのような夢物語が登場しつつある」と記しています。
海野十三は、戦意高揚の立場にいました。
日本を愛するが故に国が亡びるならと 8月13日、英夫人と相談の上で一家六人で死を決意するが、友人の説得により死を思いとどまる。
8月26日、「海野十三は死んだ。断じて筆をとるまい。口を開くまい。辱かしいことである。申訳なき事である」 と記す。
日記の最後、12月31日には「さりながら、我が途は定まれり。生命ある限りは、科学技術の普及と科学小説の振興に最後の努力を払わん」 と記す。
その後、彼は二年余り海野十三のペンネームを封印し丘丘十郎名義で執筆。
昭和24年5月17日、結核で死去。享年51歳。
科学者、知識人として判断力があっても自国の戦争に対しては愛国心により盲目になってしまうんですね。
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