高木 彬光作品としては、数十年前に読んだ「白昼の死角」以来2冊目。
この「白昼の死角」は、本当に面白い本でした。
1948年に実際にあった話で、東京大学の学生による闇金融起業が法律違反となり警察に検挙されるという光クラブ事件を題材にした作品。
これは、読む価値のある本ですよ!
ところで、高島易断ってご存知ですか?
年末が近づくと本屋さんに来年の暦が並ぶでしょ。
出版社は色々ですが、どの表紙にも「高島易断」と銘打った暦。
この高島易断の創立者が高嶋嘉右衛門で、易者・霊能者とし有名な方なんです。
で、同本は、幕末から明治を生き、横浜の地に名を残し、易聖と呼ばれるまでになった高島嘉右衛門の生涯を描いた本。
「エッ!何で易者・霊能者が横浜をつくったの?」と思うでしょうが(僕も思いました!)、この本を読んで驚いたのは、高嶋嘉右衛門が財界人でもあったということです。
高島嘉右衛門は開港まもない慶応2年(1866)、横浜で土木建築請負業を始め僅か4、5年で莫大な財産を築く。
しかし、国内外の商人相手に国禁の為替売買に挑み、発覚し投獄。
牢獄で易の本「易経」と出合い、上下二巻を暗誦するほどに熟読し、天来の易占の才能を開花させる。
自由の身となった嘉右衛門は、横浜に新天地を開拓し、更に伊藤博文の相談役として、その類い希なる能力を発揮する。
彼は私財を元手として明治の大国家事業である日本初の鉄道敷設(横浜・新橋間鉄道用地の埋立工事)、ガス会社の設立、水道会社の設立、洋学校の設立などの先駆的な事業を次々と立ち上げ、近代都市横浜の初期の街づくりに貢献しました。
しかし、彼は事業家としての栄達に執着せずあっさり捨てて、四十歳代後半からは易の研究に没頭。
易で伊藤博文の暗殺を予言し、その暗殺者にかかわるキーワードまでをも伊藤博文に通告していたといいます。
凄いですよね。
そんな彼が住んでいた地区が、現在の横浜高島町。
高嶋嘉右衛門にちなんでつけられた地名なんですって!!
でも、「横浜 高島屋」は関係ないそうです。
とても面白い本でしたよ!
川崎にもこのような人物がいたんだろうか・・・・?
きっと、いますよね!
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