船戸版満州全史「満州国演義」は、幕末維新の戊辰戦争時に奇兵隊として活躍した長州出身の祖父をもつ東京府霊南坂の敷島四兄弟が主人公。
日本の傀儡国家 満州国日系官吏の太郎、大陸浪人となった次郎、陸軍機動第2連隊第一中隊長少佐となった三郎、満映を辞めさせられ関東軍嘱託となった四郎。
それぞれ異なった立場と生き方を持った4兄弟を時局の中で同時進行にとらえた「戦争と人間」を描き出しています。
八巻の「南冥の雫」では、昭和17年のドーリットル爆撃隊による東京初空襲から19年のインパール作戦までを4兄弟のそれぞれの視点で各地の出来事を語りながら枢軸国と連合国の戦略から日本国内の窮乏状況、政府軍部それぞれの内紛等が記されています。
昭和17年8月 米軍がガダルカナルガ島に上陸し、ソロモン海戦が開始され制空権は終始アメリカ軍の手中にあり補給が途絶。
しかし、早期撤退論は無視され、昭和18年2月の撤退までに日本軍の大半が餓死かマラリアによる病死という悲惨な戦況になった。
昭和18年5月、この時点では全く戦略的意義が無くなったアッツ島で守備隊2600人が全滅。
これを大本営は「玉砕」と呼んだ。
「玉砕」という言葉は、この時に初めて使われたとか・・・。
昭和19年、インド・インパール進攻では、援軍も無く、糧秣、武器弾薬は尽き、撤退の要請も拒否された、勝算なしの攻撃命令が下る。
飢えに苦しみ、蛭に血を吸われるがまま、赤痢、マラリアに罹患し昏倒する日本軍兵士。
生きたまま、眼から鼻から蛆虫がわいて、食い荒らされて、白骨化していく。
日本軍の退却路にはそういう埋葬されない死体が散乱していたという。
一説によれば86,000人の兵士のうち生き残ったのは12,000人だったという。
「南冥の雫」に描かれている日本軍兵士の死は、銃火に倒れたのでない。
インパール作戦に参加した将兵約10万のうち3万が戦死し、2万が病気に倒れたといわれています。
しかし、日本の兵士をこれほどまで残酷な死に追いやった戦争責任者はいったい誰なんだろうね・・・?
次の最終巻(9巻)が楽しみです!
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