山本周五郎は知っていますよね。
そう、江戸時代前期、仙台藩伊達家のお家騒動~所謂「伊達騒動」を題材にした「樅ノ木は残った」や江戸時代中期の小石川養生所を舞台に、長崎で修行した医師保本登と「赤ひげ」こと新出去定を主人公に患者との葛藤を描いた「赤ひげ診療譚」などの歴史小説や昭和18年の直木賞辞退事件で有名だよね。
彼の「小説 日本婦道記」が第17回直木賞に推されるが、その直木賞を辞退した唯一の作家なんです。
今回の「戦中日記」の出版は、とても凄い事なんですって・・・。
後書きによると、「氏の日記は合計11冊有ると言われましたが、長く新潮社の金庫に寝ており、門外不出と伝えられ、その存在は半ば伝説化していた」というんです。
で今回、66年の時を経て、2011年12月に初の書籍化となったそうです。
出版されて直に購入したんですが・・・・・、何故かこの時期になってしまいました。
日記の内容は、具体的には1941年(昭和16年)12月8日真珠湾攻撃の日から45年(昭和20年)2月4日まで。
残念ながら同年3月の東京大空襲、8月の終戦などの記述はありません。
当時、氏は東京大森の馬込文士村に居を構え、連夜の空襲の中を防空壕と行き来しながら代表作となる「日本婦道記」などを雑誌に連載。
ヒロポンを打ち徹夜しながら「鉄兜をかぶって玄関先で小説を書」く日々。
空襲警報が鳴ると組長として隣組を駆けずりまわり避難させ、敵機が去るとまた原稿用紙を広げる。
氏の戦争は、愛する妻子や鬼畜米英と戦う祖国と同胞のために、彼の最善の小説を書くことであった。
“書くこと”が最前線で敵と砲火を交えている兵士の戦闘と完全に等価になっており、空襲で死ぬことも恐れぬ文字通り「決死の文学戦争」が書斎で行われていたことが読み取れます。
正直、最初の昭和16年、17年、18年の日記には、家族の話、歯痛に悩まされていること、魚の骨が喉にひっかかって不快である等といった日常的な事柄が占められているのであまり面白くはありません。
昭和18年の直木賞辞退事件の具体的な記述も(昭和18年8月3日)実に簡単でちょっと淋しい感じでした。
でも、後半は、鬼気迫るものがあります。
「生きある間は、よき仕事を一枚でも多く書き遺さなくてはならぬ、仕事だ」
「たとえ戦に負けたって次代の日本人のためにこれから我々の本当の仕事が始まるんだ」
「己には仕事より他になにものも無し、強くなろう、勉強をしよう。己は独りだ、これを忘れずに仕事をしてゆこう」
「神よ、この寂しさと孤独にどうか耐えてゆかれますように」
昭和20年2月4日を最後に日記は終了しているんですが、3月には東京大空襲で長男が行方不明、5月には愛妻を喪ってしまうんですね・・・・。
それにしても著名人の「戦争日記」は、面白いね。
以前にも書いているかもしれないけど、下記の戦争日記は本当に面白いですよ!
・伊藤 整 「太平洋戦争日記」
・徳川夢声 「徳川夢声戦争日記」
・古川ロッパ 「昭和日記~古川ロッパ」
・山田風太郎「戦中派不戦日記」、「同日同刻」
コメントをお書きください