中学1年の1学期に金沢文庫から京浜富岡に引っ越したのですが、金沢文庫当時が懐かしいので若干思い出話を・・・、お付き合いください。
京浜急行金沢文庫駅の改札口を出ると、右手に「すずらん通り」があります。
このすずらん通りのほぼ中央にキリン座という邦画専門の映画館がありました。
ここで観た黒沢明監督の「七人の侍」が、吾が人生最初の映画鑑賞だと記憶しています。
この「七人の侍」の封切は、1954年(昭和29年)なので、小生6歳。
当時、ほとんど娯楽らしきものはなかったので、映画館は非常に混んでてね、舞台上で見ていた記憶があります。
そのキリン座の左右どちらかは失念しましたが、金沢文庫では有名な資産家「小田薬局」があります。
そう、オフ・コースで活躍した小田和正先生の御実家。
小生の3つ上の兄と小田和正先生の兄弟と一緒に「ボウズ山」で遊んだ記憶がありますが、先生は覚えていないだろうね・・・。
なんせ50年以上前のお話ですからね・・・。
金沢文庫改札口の正面に日本蕎麦屋さんがあり、数か月に1回、買い物帰りに母親と一緒に「かけうどん」を食べるのがとても楽しみだったね。
でも、その当時の「かけうどん」の値段はいくらぐらいだったんだろうか?
…30円ぐらいかな~?
駅前から15号線を右折すると小学校時代の同級生だった「長嶋製パン」がありました。
パン工場がお休みの日曜日に工場内でよくかくれんぼをしたもんです。
当時、まだ甘いものがそんなに普及してなくってね、かくれんぼしながら菓子パンの失敗作などを盗み食いしてましたよ。
そのパン屋さんを出、15号線を渡ると坂があり、登り切った左手に「天使幼稚園」があります。
教会には、大きなマリヤ像がありましたね。
通常、学校の先輩後輩というと、中学・高校・大学をイメージするよね。
幼稚園の後輩と言うのは何となくピンとこないけど、会社勤めしていた時、僕のチームに配属されてきたかわいい女の子が、なんとこの天使幼稚園の後輩。
この時はビックリしましたね。
このかわいい女の子も今年ご結婚されたようです。
いや~、思い出すときりがないね。
まだまだ金沢文庫の思い出を書きたいけど、この辺で終了。
近々、本格的に60年代Popsに入りますからね・・・・!!
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のんちゃん (木曜日, 03 11月 2022 22:46)
わが懐かしの故郷、釜利谷の最寄り駅だった"金沢文庫駅"を検索していたら、この書き込みにめぐり逢い、懐かしくなってコメントしました。もう10年以上前の書き込みのようなのでご迷惑かも知れませんが、ご勘弁ください。
釜利谷には小一の終わり(昭和44年3月)までいて、その後は父親の会社の都合で、釜利谷→川崎市中原区→川崎市高津区→宮城県(45年前)と渡り歩き、現在に至っています。
すずらん通りの思い出は、たくさんあります。生まれて初めて…というか、今のところ生涯で一度きりの迷子になったのもここ。商店街の人か、訪れていた人か分かりませんが、金沢文庫駅バスターミナルからの出口(すずらん通りの反対側)近くの派出所に連れていってもらいました。母が来るまで、おまわりさんに優しく面倒見てもらいました。
キリン座は、お婆ちゃんにおもりがてら連れられて、幼い頃からかなり行っていたようです。不思議と映画館の大画面を観ていると、静かにしていたようで…私のキリン座の一番古い記憶は、そのお婆ちゃんに連れられて行った忍者映画で、黒装束の忍者が1人、武家屋敷の庭にかしこまって座っている映像です。「ゴジラの息子」「大怪獣ガメラ」「ガメラ対ギャオス」「ガメラ対バイラス」「妖怪百物語」なども、みんなキリン座で観ました�小一の分際で、近所の友達と2人だけで、釜利谷の停留所から文庫駅までバスに乗り、キリン座にコント55号の映画を観に行ったこともありました。親も「気を付けて行ってきなさいね」程度で、今では考えられませんよね。おおらかな時代でした。大人になってから、3、4度程、この地を訪れましたが、もうキリン座が無くなってからだったので、映画館前にあった公園が僅かに面影を留めるだけで、淋しかったなぁ。映画館の前の道は、確か、ドーム状の屋根がかかっていて、映画館を出ると、映画の大きなポスターが、はるか高いところ(小一の身にはそう感じたのでしょう�)に貼ってありました。いやぁ、たまらなく懐かしい。
すずらん通りでは、他に、おもちゃ屋さんや、クリームソーダを飲んだ喫茶店?…が思い出に残っています。すずらん通りを抜けて駅前に出て、右の方に行くと大きな本屋さん(書き込みにあったそば屋さんの近くでしょうか?)、もっと行って、角を右に曲がるとすぐレコード屋さん。ここで、ウルトラセブンや怪奇大作戦のレコードを、父に買ってもらいました。レコード屋さんの前は、タクシー乗り場だったような…。
小田和正さんのご実家が、キリン座のすぐ近くにあった(今もある)ということは、ずっと後で知るのですが、その驚きより、うちの妻の親戚の女性が、小田さんのお兄さんと一時的に、お付き合いをしていたと聞いたことが驚きでした�どこまで信憑性があるかは疑問ですが。
駅前から、アーケード(だったと思います)をくぐっていくと、大通りに出て、右に曲がると、踏切でした。それも、棒ではなく、舞台の上から降りてくる緞帳(どんちょう)のような遮断機でした。今は、京浜急行が高架橋になってしまったので、この踏切も幻です。
金沢文庫駅前すずらん通り…幼少期の想い出の欠片が散りばめられている場所。ノスタルジーを深めるきっかけを与えていただき、感謝します�
Tears Drop (金曜日, 04 11月 2022 17:50)
コメント、ありがとうございました。当時の金沢文庫を知っている人がほとんどいない中、懐かしいコメントでとても嬉しく思います。僕がまだ幼稚園か小学低学年の頃、釜利谷の貸自転車屋に行った記憶があります。本当に懐かしいですね。機会ありましたら、お店に遊びに来てくださいね。今後も宜しくお願いします。ありがとうございます。