12月にクラプトンとスティーブ・ウインウッドが来日しますね。
これにジンジャ・ベイカーが参加すればブラインド・フェイスになり最高なんだけどね。
で、本日は天才スティーブ・ウインウッドをご紹介しますね。
彼は、若干15歳の時に兄マフが一員となっていたスペンサー・ディビス・グループに参加。
1964年発表のシングル第2弾「キープ・オン・ランニング」がUKチャート1位となり、15歳で彼は一躍スターに・・・。
同グループで「サムバディ・ヘルプ・ミー」、「ギミ・サム・ラヴィン」、「アイム・ア・マン」等をたて続けにヒットを飛ばしたが1967年にグループを脱退。
その後、クリス・ウッド、ジム・キャパルディ、ディヴ・メイソン等とトラフィックを結成。
「ミスター・ファンタジー」「トラフィック」等3枚のアルバムを発表。(写真はBest盤)
一時トラフィックの活動を休止し1969年にエリック・クラプトン、ジンジャ・ベイカーらとブラインド・フェイスを結成し、アルバム「スーパー・ジャイアンツ(写真)」を発表。
このアルバムは、UK、USA両国でNo.1になりながらも半年足らずで解散し、彼はトラフィックに戻る。
トラフィックでも成功したにもかかわらず、1970年代後半以降は、ソロ・アーティストとして活動。
1986年には名盤「バック・イン・ザ・ハイ・ライフ(写真)」を発表。
このアルバムからシングル・カットされた「ハイヤー・ラヴ」は全米No.1ヒットとなり、アルバムも全米3位を記録しグラミー賞3部門を受賞。
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第33位になっています。
若くして天才と言われた人は、成人してから「ただの人」に普通はなるんだけどな~。
いるんだね~、天才って!!
ウラヤマシ~!!です。
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後輩k (土曜日, 23 7月 2011 23:32)
「彼は、…」友達だったんでね…。