先般、「この一冊」でもご紹介しました水木しげる先生が、2010年度文化功労者に選ばれましたね。
その時、奥様の「ゲゲゲの女房(写真)」にも触れましたが、こんなにブームになるとは思いませんでした。
水木先生は凄い人だけど、陰で先生を支えてきた奥様はもっと素晴らしい方だと思います。
今回の功労者は、先生と奥様の二人に表されたと思います。
水木先生、奥様、おめでとうございます。
話は変わりますが、本日ご紹介するのは、ロギンス&メッシーナ(Loggins & Messina)。
そう、日本でも大ヒットした名曲「ママはダンスを踊らない」の二人組。
ロギンスことケニー・ロギンスとメッシーナことジム・メッシーナは意気投合し、ロギンス&メッシーナとして1972年にデビュー。
通算9枚のアルバムを発表。「プー横丁の家」、「ダニーの歌」、「ママはダンスを踊らない」等の大ヒット曲がありますが、1976年に解散。
ケニー・ロギンスは、作曲家としても有名で、1971年にニッティ・グリッティ・ダートバンドの「プー横丁の家」が大ヒット。
また、カナダの女性歌手アン・マレーの「ダニーの歌」や「愛の歌」が全米No.1を記録。
メッシーナとのコンビ解消後、1977年からソロ活動を開始し、1978年スティーヴィー・ニックス(後のフリート・ウッド・マック)と共演した「二人の誓い」が大ヒットした。
また、ドゥービー・ブラザーズのマイケル・マクドナルドと共作した「What A Fool Believes/邦題:ある愚か者の場合」がグラミー賞を受賞。
1984年には映画「フットルース」の主題歌が全米1位に、1986年には映画「トップガン」の主題歌「デンジャー・ゾーン」が全米第2位を記録。
余談だけど「デンジャー・ゾーン」は同年に近藤真彦出演の「日産・マーチスーパーターボ」のCM曲にもなりましたね。
で、1985年のUSAフォー・アフリカ「ウィー・アー・ザ・ワールド」にも参加し、2小節リードボーカルをとっています。
ジム・メッシーナは音楽スタジオでエンジニアの仕事をしていたんだけど、1968年ニール・ヤングに頼まれレコーディングエンジニアとしてバッファロー・スプリングフィールド(後述BSF)の参加。
その後ベースとしてメンバーに入るが、BSFはすぐに解散。
BSFのメンバーだったリッチー・フューレイやランディ・マイズナーらとPOCOを結成。
1970年にロギンス&メッシーナ結成の為に脱退。プロデューサーとして契約したCBSの最初の仕事が、このケニーロギンスの1STアルバムだった。
2005年にロギンス&メッシーナを再結成して、全米コンサートツアーを行ったらしいですね。
ところで、このPOCOもBSF同様に凄いメンバーがたくさんいたんです。
ジム・メッシーナの他に後のフリート・ウッド・マックのリッチー・フューレイ、後のイーグルスのランディー・マイズナーやティモシー・シュミットなど。
このPOCOも後日ご紹介しますね。
写真は、ロギンス&メッシーナのBEST盤です。
当然かもしれないけど、歴史に残るバンドには本当に才能あるアーチストがいますね。
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