2021年
8月
23日
月
「ちらん」は、ご存知ですか?
そう・・、鹿児島県薩摩半島にあり、「薩摩の小京都」として有名な知覧町。
そして、もう一つの顔が「特攻の町」。
その知覧町に1941年、陸軍知覧飛行場が完成。
太平洋戦争(大東亜戦争)末期に知覧飛行場は、本土最南端の「神風特別攻撃隊」の出撃地に。
写真左~当時の「富屋食堂」/写真右~現在の富家食堂
女将の手料理を堪能し惜別の唄を残して飛んで行った朝鮮人特攻兵。
愛する妻を残して死ぬ事が出来ず、何度も引き返してきてしまう陸軍少尉。
いつか「ホタル」になっておばちゃんのところに帰ってくるよといって出撃していった特攻兵。
憲兵の検閲があるため、本音で書いた手紙を女将に託した特攻兵・・・等々、涙を誘います。
また、幸福食堂の長女と幼馴染の「保」が特攻兵に志願。
帰還した兵士は「臆病者・卑怯者」と罵られ、次には必ず死ぬと約束させられる。
飛行機の整備不良等にも拘らず、軍は帰還した保を「死ねなかった特攻隊員」として収監された陸軍の施設「振武寮」で、「何故生きて帰ってきたか?どうして死ななかったのか?」と毎晩のように拷問を受け2度目の出撃に・・・。
そして運命の8月15日の終戦を迎える・・。
この物語は、「特攻の母」と慕われた「富屋食堂」の女主人“鳥濱トメ”さんの遺族のインタビューを基に書かれた漫画です。
とにかく「はだしのゲン」「紫電改の鷹」等と同じように、一度は読んでいただきたい「戦争をテーマにした」漫画。
因みに、特攻隊員が飛び立った飛行場は、日本国内に16ヶ所、台湾に6ヶ所あったようですが、もっとも多くの特攻隊が配属され出撃したのが知覧基地だそうです。
特攻隊に選ばれたのは、まだあどけなさの残る若者が、行きだけのガソリンと爆弾を抱え、生還を許されず敵艦に体当たりし散っていきました。
知覧から特攻で散った特攻隊員戦死者数は、約4000人ともいわれています。
因みに、全国の特攻隊員戦死者数は合計約14,010名(海軍/4,156名、陸軍/1,689名、その他/8,164名)だそうです。