2016年
2月
29日
月
18ヶ月に及ぶガンとの闘病の末亡くなったDavid Bowie。
「★」は、彼の25枚目のアルバムで、69回目の誕生日の2日前(1/8)に発表された最後のスタジオアルバム。
プロデューサーのトニー・ヴィスコンティの話では「(David Bowieの)目標は、ありとあらゆる意味で、ロックンロールを避けること」だということで、バック・ミュージシャンに新世代ジャズの旗手達を起用。
ビルボード誌のレビューでは、「死と運命についての曲で満ち溢れている」と称え、その他の音楽評論家達からも高い評価を獲得。
結果、UKアルバムチャートで当然1位にUSAビルボード・アルバムチャートでは、7週連続1位を記録していたアデルの「25」をトップの座から引きずり下ろしNo.1に輝いています。
お客様からアルバムの評価を聞かれることもありますが、僕としてはこのアルバムの良し悪しは問いません。
「★」は、David Bowieの「辞世の歌」なんですからネ・・・・。
David Bowieは癌には勝てませんでしたが、自身の生命を賭し発表した「★」が、初めてUSAでNo.1を獲得。
有終の美を飾ったDavid Bowie。
改めて、心からご冥福をお祈り申し上げます。
余談ですが・・・・、モット・ザ・フープルの「すべての若き野郎ども」を提供したのもDavid Bowieって・・・本当?
2016年
2月
29日
月
長野のOZAWA君に続いて、先週金曜日(26日)に今度は静岡県出身のHAGIKURA君がご来店。
嬉しいですね~!!
彼は静岡県の放送局に勤め、その後子会社の社長になり現在は悠々自適の生活。
彼も子供達が独立し、奥様と二人暮らしなので、農園を借りて野菜作りに励んだり、好きな落語を聴きに寄席に行ったり、美術館めぐり等で過ごしているとか・・・。
また、最近僕らの年代がばたばた亡くなっているので、体が動けるうちに親しい仲間の顔を見ときたいとのこと。
現在は、高尚な趣味人になっているけど・・・・、学生時代は一緒に結構やんちゃしたな~・・・・。
「次回はOZAWA君が川崎に来るときに一緒に来るよ!」と言って静岡に戻っていきました。
OZAWA君が川崎に来ることが分かりましたら、連絡するからね~!!
また、お会いできる日を楽しみにしていますよ!!
ありがとう!!
2016年
2月
25日
木
このところ偉大なアーチストが亡くなり、悲しいことばかり続いてましたので・・・・。
●嬉しかった事
あくまでも個人的にですが・・・・・。
先週の金曜日にご来店のお客様。
突然「マスター、誰だかわかる?」とお聞きになる。
笑顔は何となく頭の片隅に記憶が・・・・・、「ウ~ン、ごめん。分かりません」とお答えすると・・・・、「OZAWAだよ!」。
エッ! 学生時代の仲間で長野県出身在住のOZAWA君!?」
もう~、ビックリ!!
会うのは十数年ぶりです。
何歳のときだったかな~、とりあえず東京近郊にいる仲間で年1回飲むかと言う話になり、一度彼が長野から馳せ参じてくれたんです。
それ以来の再会。
お話を聞いていると、彼のお嬢さんが結婚されて、現在川崎にお住まいとか・・・・・。
今度からお嬢さんのところに来るときは、必ず来店してくれるそうです。
学生時代の仲間って・・・、言葉では言い表せない安心感がありますね。
お互いにもう前期高齢者の域に達しているけど、話しているうちに頭の中は当時の若い頃に戻り、一緒に過ごした事が次から次に思い出されますね。
彼の趣味は家庭菜園で野菜つくり。
趣味が高じて耕運機まで購入し、野菜作りに励んでいるとの事(どれだけ広い庭なんだ!!)。
お嬢さんも結婚され、現在は奥様と二人暮らしなので、できた野菜の半分は破棄してしまうとか。
もったいないので、次回からは僕に送ってくださるとのこと。
僕らは野菜好きなので助かります。
OZAWA君、お嬢さんのところに来たときは、遊びに来てくださいね!
またお会いできる日を楽しみにしていますよ!!
ありがとう!
●悲しいこと・・・・。
若い頃からお世話になっていた新宿ゴールデン街の主「あるぱか」のAOKIさんがお亡くなりになりました。
昨年9月より入院されていたそうなのですが・・・・。
妻もお世話になっているので、悲報を聞いて二人で涙・涙・・・・・・・
現在の「あるぱか」は知りませんが、昔はお客様の大半が音楽関係者の方。
音楽評論家、レコード会社、マスコミ、芸能プロダクションの方が多く、混雑時には一番若い僕は飲みながらカウンターの中で他のお客様の酒をつくったりしていました。
TVを見たときに、遊びに行けばよかった・・・・。
AOKIさん、妻ともども大変お世話になりありがとうございました。
そしてお疲れさまでした。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
※「あるぱか」関連記事/2015年6月1日「新宿ゴールデン街」のブログをご参照ください。
2016年
2月
23日
火
今年1月28日に多臓器不全と敗血症ショックで他界したポール・カントナー(享年74歳)は、Jefferson Airplaneのギタリスト。
ご存知のようにJefferson Airplaneは、その後Jefferson StarshipにHot Tunaに別れ、Jefferson Starship~StarshipとJefferson Starship再結成と変わっていきます。
■ Jefferson Airplane
1960年代後半のサンフランシスコ サイケデリック文化を代表するバンドJefferson Airplaneは、マーティ・バリン(注1)がサンフランシスコのコーヒーハウスなどで活動していたポール・カントナーを誘い、ポール・カントナーが地元のフォーク・クラブよくプレイしていたヨーマ・カウコネン(注2)を誘い、この3人が中心となってできた。
1996年にロックの殿堂入りを果たしています。
当店所有のアナログレコード紹介。
・「Takes Off」
1966発表の記念すべき1stアルバム。
メンバーは、
Marty Balin(マーティ・バリン/ヴォーカル)
Paul Kantner(ポール・カントナー/ヴォーカル、ギター)Jorma Kaukonen(ヨーマ・コウコネン/ギター)
Alex Spence(アレックス・スペンス/ドラムス クイックシルバーのギタリスト)
Jack Casady(ジャック・キャサディ/ベース・ギター)
igne Anderson(シグネ・アンダーソン/ヴォーカル)
アルバム全体的には、かなり荒っぽいですが、当時のサイケデリック文化を代表するバンドとしてヒッピー等から支持され人気バンドに。
しかし発表後、紅一点のアンダーソンが出産のため離脱。
彼女が在籍した唯一のアルバムでもあります。
余談ですが、あまり報道されませんでしたがシグネ・アンダーソンは、ポール・カントナーが亡くなった同じ日(1/8)に亡くなっています。
何か因縁を感じますね!!
・「Surrealistic Pillow」
1967年発表の2ndアルバム。
このアルバムの制作前にグレイス・スリックが加入。
彼女の迫力あるカリスマ性を体現するかのような強力な歌声でバンドは一気に世界的に有名になる。
シングルカットされた「White Rabbit」は8位に「Somebody To Love」は5位と大ヒット。
アルバム自体もUSAで3位を記録。
このアルバムから、バンドの主導権はしだいにマーティ・バリンからポール・カウントナーへと移っていきます。
・「Volunteers」
1969年発表の6枚目アルバム。
泥沼化するヴェトナム戦争に対する反戦がテーマ。
“ボランティア”は、“反戦運動の志願者(あるいは義勇兵)”の意味を持っています。
サイケ、ヒッピーは、ヴェトナム戦争に対する反戦というキーワードにもなっており、反体制へのメッセージとしての代表作とも言えます。
同アルバムのゲスト・アーチストが凄く、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシア(vo)やクイックシルバーのニッキー・ホプキンス(p)、CSNのデビット・クロスビーとスティーブン・スティルス等が参加しています。
アルバムは、USAで13位を記録し、伝説のロック・フェスティバル“ウッドストック”へも出演したが、これをピークにバンドは分裂し、バンドの中心人物の一人マーティー・バリンが脱退しソロ活動に。
■ Jefferson Starship
Jefferson Airplaneは、音楽の方向性の違いなどで1973年に解散。
1974年にPaul KantnerとGrace Slickのユニットでアルバム制作を勧めていましたが、結局Jefferson Starshipというグループで再出発。
1stアルバム「Dragon Fly」では、マーティン・バリンもゲストとして参加。
マーティン・バリンその後レギュラーメンバーに復帰し、Jefferson Airplane の路線を継承しつつ、ポップな方向に向かっていきます。
● 「Dragon Fly」
1974年発表のJefferson Starship 1stアルバム。
シングルカットされた「Ride The Tiger/邦題:吼えろタイガー」は、Byong Yu, Grace Slick, Paul Kantner3人の共作。
1974年Billboard最高位84位でしたが、アルバム自体はBillboard最高位11位を記録しています。
シングル第2弾「Play On Love/邦題:愛を奏でよう」は、1976年Billboard最高位49位。
●「Spitfire」
1976年発表の2ndアルバム。
シングルカットされた「With Your Love」は、Billboard 12位を記録。
アルバムもヒットしBillboardアルバムチャートで3位を記録。
シングルカット第2弾「St. Charles」は、Billboardで69位を記録。
●「Freedom At Point Zero」
1979年発表の5枚目のアルバム。
ボーカリストであるマーティ・バリンとグレイス・スリックが脱退したため、新ボーカルにエルヴィン・ビショップ・グループのミッキー・トーマスが加入。
シングルカットされた「ジェーン」が大ヒット。
Jefferson Starshipを代表する曲です。
「Gold」
1977年発表のBest盤。
Billboardアルバムチャートで20位を記録。
■ Starship
・「Knee Deep In The Hoopla/邦題:フープラ」
1985年に発表されたStarshipの1stアルバム。
シングルカットされたウイ・ビルト・ディス・シティ/邦題:シスコはロックシティ」と「セーラ」は全米No1曲に輝いています。
アルバム自体も7位を記録
●「No Protection」
1987年発表。
シングルカットされた「「愛は止まらない」は、グレーススリックが特にお気に入りの曲では全米1位を獲得。
この曲は、映画「マネキン」の主題歌になっています。
また、同アルバムの最後に収録された「今夜はミュージックナイト(Set the Night to Music)」は、1991年にロバータ・フラックのアルバム『ナイト・トゥ・ミュージック』においてフラックとマキシ・プリーストのデュオでカヴァーされ、全米6位の大ヒットになっています。
■ USA Ultimate Classic Rockが発表した「ポール・カントナーのベスト・ソング TOP10」
1.「We Can Be Together」~「Volunteers」
2.「Let Me In」~「Takes Off’」
3.「The Ballad of You and Me and Pooneil」~「After Bathing at Baxter’s’」
4.「Today」~「Surrealistic Pillow」
5.「Have You Seen the Stars Tonite?」~「Blows Against the Empire」
6.「Crown of Creation」~「Crown of Creation」
7. 「olunteers」~「Volunteers」
8. 「Martha」~「After Bathing at Baxter」
9. 「Run Around」~「Takes Off」
10.「D.C.B.A. 25」~「Surrealistic Pillow」
2016年
2月
10日
水
バンザ~~~~~イ!!!
昨日、スピーカーから全く音が出なかった当店の機器。
それが復活しましたよ~!!
本日(10日)は、ちゃんと定時にオープンします。
遊びに来てくださいね~~!!
お待ちしております。
2016年
2月
09日
火
ウン~モゥ~・・・・。
誠に申し訳ございませんが、本日止む無く臨時休業させていただきました。
理由は、オーディオ機器の不調。
当店は、“レコード命”のお店。
何時ものように、18:30に店をオープン。
最初のレコードをAllman Brothers Bandの「Eat A Peach」と決め針を落としたところ・・・・・、ウン・・・・??
ナンンジャ!・・・どうしたんだ!!
スピーカーから何の音も出てこない。
いろいろとオーディオ機器を調べている時に(機器に弱い僕が分かるわけじゃないのに・・・ネ)、よくお店に遊びに来てくださるF電機のお二人がご来店。
「マスター、どうしたの?」
理由を申し上げ、機器を見て頂くと・・・・、最後に「どうもアンプが原因のようだね!」。
F電気のお客様、お疲れのところ誠に申訳ございませんでした。
ありがとうございます。
言うことで、お客様が好きな洋酒を飲みながら、お客様の好きな曲をアナログレコードで当時の音を聴くのが命のお店。
何の音も無いお店ではお客様に申し訳ないので、止む無く臨時休業とさせていただきました。
本当にすみません。
早くアナログレコードが楽しめるようにしますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。
2016年
2月
01日
月
2016年1月18日、リウマチ性関節炎や肺炎による合併症により死去したグレン・フライ(享年67歳)について説明するのは、今更のようで恥ずかしいのですが・・・・、若い方を対象に説明させていただきます。
グレン・フライの説明には、イーグルスを外すことができませんよね。
当店でももっともリクエストの多いバンド。
Glenn Freyは、1970年代のウェストコースト・ロックを代表するバンドで、イーグルスの創設メンバーでありリーダー。
1970年にドン・ヘンリーと出会い、一緒にリンダ・ロンシュタットのバックアップ・ミュージシャンを務めたことがきっかけで1971年にイーグルスを結成。
「テイク・イット・イージー」「テキーラ・サンライズ」「過ぎた事」「いつわりの瞳」「ニュー・キッド・イン・タウン」「ハートエイク・トゥナイト」etcのリードボーカル。
1980年イーグルス解散後もソロ・アーティストとして「The Heat Is On」等が大ヒット。
イーグルスのメンバーとしてグラミー賞を6回、アメリカン・ミュージック・アワードを5回受賞し、イーグルス名義、ソロ名義合わせて24曲をトップ40に送り込んでいます。
1998年にはイーグルスとしてロックの殿堂入りも果たした。
1994年にイーグルスを再結成し、「Long Road Out Of Eden」がNo1を獲得しています。
全米レコード協会によると、イーグルスのアルバム、シングルの総売上枚数は1億枚を超え、アメリカ音楽界最高の栄誉とされるグラミー賞を6回受賞しています。
レコードが全く売れない若きグレン・フライが住んでいたアパートの階下からは、何時も
ギターの音と歌声が聞こえていたとか・・・・。
その階下の人間が、これまた全く売れていない頃のジャクソン・ブラウン。
ある日グレン・フライは、仲良くなったジャクソン・ブラウンを訪ねた時、とても気持ちの良い曲を演奏していたとか・・・。
グレン・フライがその曲に即興で詞を付け歌いだすと、ジャクソン・ブラウンが「この曲、君に任せる」と言ったのでイーグルスの1stアルバムに入れシングルカットされたら大ヒットとなった。
● 「Eagles」
1972年発表の1stアルバム。
ジャクソン・ブラウンから任された曲が、「Take It Easy」。
日本のTV番組「田舎に泊まろう!」ので使用されているので、若い方もご存知ですよね!
グレン・フライが亡くなった翌日、ジャクソン・ブラウンは自身のコンサートで「テイク・イット・イージー」を捧げたそうです。
1stアルバムは、USA・Billboard・アルバムチャートで22位を記録。
「ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500」で368位。
● 「Desperado」
1973年発表の2ndアルバム
USA・Billboard・アルバムチャートで41位を記録。
シングルカットされた「テキーラ・サンライズ」もヒット。
西部開拓時代のならず者/イーグルス扮するドゥーリン=ドルトン・ギャングの盛衰をテーマにしたコンセプト・アルバム。
このアルバムからグレン・フライとドン・ヘンリーのソング・ライティングチームが誕生。
「ならず者」は、シングルカットされていませんが、リンダ・ロンシュタットやカーペンターズ(邦題は「愛は虹の色」)等にカバーされたり、日本のTBSテレビ『ホテルコンシェルジュ』テーマソング、2007年1月クールの木村拓哉主演ドラマTBS日曜劇場「華麗なる一族」の挿入歌、2010年公開の映画「十三人の刺客」の主題歌に使用されています。
● 「On The Border」
1974年発表の3rdアルバム。
USA・Billboard・アルバムチャートで17位を記録。
このアルバムのレコーディング中にギタリストのドン・フェルダーが招かれバンドに加入。
シングルカットされた「The Best Of My Love /邦題:我が愛の至上」が大ヒットとなりUSA・Billboard・シングルチャートでNo1ヒットを獲得。
● 「One Of These Nights」
1975年発表の4thアルバム。
イーグルスのアルバムとして初めてUSA・Billboard・アルバムチャートで1位を記録。
このアルバムからシングルカットされた3枚が大ヒット。
「呪われた夜」が1位、「いつわりの瞳」が2位、「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」が8位を記録。
ギターのバーニー・レドンは、アルバムリリース後1975年12月20日に脱退。
この時に加入したのがジェイムス・ギャング(※)のギタリスト・ボーカリストで「ウォーク・アウェイ」などの全米大ヒット曲を飛ばし、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第54位ランクインしているジョー・ウォルシュ(※)なんですよ!!
※「ジェイムス・ギャング」、ジョー・ウォルシュについては、後日(?)ご紹介。
●「Hotel California」
1976年発表の5枚目のアルバム。
この時のメンバーが最強!!
グレン・フライ(Guitars, Keyboards, Vocals)、ドン・ヘンリー(Drums, Vocals)、ランディ・マイズナー(Bass, Vocals)、ドン・フェルダー(Guitars, Vocals)、ジョー・ウォルシュ(Guitars, Keyboards, Vocals)。
USA・Billboard・アルバムチャートNo.1、UKでNo.2を獲得。
シングル・カットされた「New Kid In Town(※1)」、「Hotel California(※2)」もUSA・Billboard・シングルチャートでNo1ヒットを獲得、「Life in the fast lane/邦題:駆け足の人生」は11位を記録。
同年度グラミー賞最優秀レコード賞受賞。
1976年グラミー賞最優秀レコード賞を受彰、現在までに米国内で1,600万枚以上、全世界で2,000万枚以上を売り上げている。
「ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500」で37位にランクイン。
※1:「New Kid In Town」
イーグルスにとって3作目の全米1位獲得シングル。
ビルボードのアダルト・コンテンポラリー・チャートで2位、カントリー・シングル・チャートでは43位を記録し、グラミー賞最優秀ボーカル・アレンジメント賞を受賞。
※2:「Hotel California」
ジャケット写真の建造物は実在のホテルですが、「ホテル・カリフォルニア」という屋号ではなく、カリフォルニア州ロサンゼルス郡ビバリーヒルズ市所在でサンセット大通りに面している高級ホテル「ビバリーヒルズ・ホテル/愛称:ピンク・パレス」です。
ジャケット内面の写真には、夢と現実の落差を象徴する寂れた雰囲気を表現するために「ビバリーヒルズ・ホテル」よりも数段格落ちの「リド・ホテル」の内装を撮影したそうです。
で、「リド・ホテル」は、アルバム・ジャケットに用いられて以降、観光スポットになりましたが、現在は廃業し、賃貸アパートとなっているそうですよ!!
● 「The Long Run」
1979年発表の6枚目で最後のスタジオアルバム。
このアルバムからベースで元POCOのティモシー・シュミットが参加。
シングルカットされた「ハートエイク・トゥナイト」「ロング・ラン」「言いだせなくて」の3枚が大ヒット。
アルバム自体もUSA・Billboard・アルバムチャートNo.1を獲得。
日本のオリコンチャートで1位を獲得。
● 「Eagles Live」
1980年発表のLIVE盤。
1976年の「Hotel California」発表後のワールド・ツアーと「The Long Run」発表後に行ったワールド・ツアーのライブの模様を収録。
USA・Billboard・アルバムチャートで6位を記録。
そして、イーグルスは1982年に解散。
● 「Long Road Out Of Eden」
1994年に、第1期最終メンバーによって再結成。
2007に発表された同アルバムは、1979年の「The Long Run」。以来、28年振りのオリジナル・アルバム。
USA,UKで初登場1位を獲得。
● 「Their Greatest Hits 1971-1975」
1976年に発表されたBestアルバム。
1971年のデビュー曲「テイク・イット・イージー」から1975年発表の呪われた夜」までの楽曲を収録されており、USAで1位、UKで2位を記録。
世界で最も売れたベストアルバムとして知られる。
当時、全米だけで2900万枚を売り、1982年のマイケル・ジャクソンの「スリラー(3000万枚以上)に次ぐ、全米歴代2位のセールス記録となっています。
● クリスマスソング・シングル盤 「二人だけのクリスマス」
僕らの時代のクリスマスソングの定番と言えば、ビング・クロスビー、パット・ブーン。
40代・50代の方は、ワム、ジョン・レノン、山下達郎。
20代・30代は・・・・・・、分らない・・・・。
イーグルスのこのシングル盤は、1978年のクリスマスシーズンにUSA・Billboard・シングルチャートで18位を記録。
しかし、オリジナル曲は、全米76位のヒットとなったブルースシンガー兼ピアニストのチャールズ・ブラウンと言うアーチスト。
この曲のJohn Bon Joviのバージョンもあるらしい・・・・・・!?
● 「NO FUN ALOUD」
1982年発表のグレン・フライ ソロアルバム。
USA・Billboard・アルバムチャート32位。
このアルバムから「I Found Somebody」、「That Girl」、「The One You Love」の3曲が、USA・クラシック・ロック系サイトUltimate Classic Rockが発表した「グレン・フライのソロ曲 TOP10」で選ばれています。
● 映画挿入歌「The Heat Is On」
1984年のエディ・マーフィー主演の映画「Beverly Hills Cop」の挿入歌。
USA・Billboard・アルバムチャートで2位なる大ヒット曲。
《参考》米ローリングストーンと米Ultimate Classic Rockが発表した「グレン・フライの必聴20曲」「グレン・フライの活躍が光るイーグルス楽曲 TOP10」
"Ramblin' Gamblin' Man" (1969)
"Take It Easy" (1972)
"Peaceful Easy Feeling" (1972)
"Tequila Sunrise" (1973)
"Doolin-Dalton" (1973)
"Desperado" (1973)
"Already Gone" (1974)
"James Dean" (1974)
"Lyin' Eyes" (1975)
"After the Thrill Is Gone" (1975)
"New Kid in Town" (1976)
"Wasted Time" (1976)
"Life in the Fast Lane" (1977)
"Heartache Tonight" (1979)
"I Can't Tell You Why" (1980)
"The One You Love" (1982)
"Smuggler's Blues" (1984)
"The Heat Is On" (1984)
"You Belong to the City" (1985)
"Busy Being Fabulous" (2007)
● Ultimate Classic Rock編 TOP10
“Take it Easy” From: ‘Eagles’ (1972)
“Already Gone” From: ‘On the Border’ (1974)
“Heartache Tonight” From: ‘The Long Run’ (1979)
“Tequila Sunrise” From: ‘Desperado’ (1973)
“James Dean”From: ‘On the Border’ (1974)
“New Kid in Town” From: ‘Hotel California’ (1976)
“Peaceful Easy Feeling” From: ‘Eagles’ (1972)
“After the Thrill is Gone” From: ‘One of These Nights’ (1975)
“Lyin’ Eyes” From: ‘One of These Nights’ (1975)
“Out of Control” From: ‘Desperado’ (1973)
2016年
1月
31日
日
また、また・・・・・、涙・涙・・・・です。
Jefferson Airplaneの創設メンバーでギタリスト/ヴォーカリストのPaul Kantner(ポール・カントナー)が1月28日、多臓器不全と敗血症ショックのため亡くなりました。
享年74歳。
Paul Kantnerの“雄姿”を最後に観たのが、2012年11月23日(金)川崎CLUB CITTA’!!
だから。余計にショックで・・・・・。(2012年11が25日ブログをご参照ください)。
70歳過ぎても・・・・、あんなにお元気にサイケデリックなギターを聞かせてくれてたのにな~・・・・。
彼が亡くなったのを知ったのが先週の土曜日(29日)。
で、お客様のリクエストの間に追悼として1967年発表の2ndアルバム「Surrealistic Pillow」から「White Rabbit」「Somebody To Love」をかけました。
30代の男性二人組みのお客様が「(Somebody To Love)オ~ッ、かっこいい曲ですね!何というバンドなんですか?」と・・・・。
そこでPaul Kantnerが亡くなった話をしたところ、若者達はご存知ありませんでした。
当然ですが・・・・。
ア~もう~・・・・・、本当に寂しいね~・・・。
Paul Kantnerさん、お疲れ様でした。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
※Jefferson Airplane → Jefferson Starship → Starship → KBCバンド → 再結成Jefferson Airplaneと変遷しています。
各時代の所有レコードもご紹介しなくてはね・・・・、近々?