2016年
11月
28日
月
現在の認定セールスでQueenのアルバムとシングルのセールスは3億枚を超え、「世界で最も売れたアーティスト」で世界第5位となっています。
●Queen 「1st/邦題:戦慄の王女」
1973年発表の1stアルバム。
このアルバムからは、「炎のロックンロール」と「ライアー」がシングルカット。
発表当時、イギリスの音楽評論家やメディアからは、「音の加工(エフェクト)が多く曲構成も複雑」、「最後まで全然ハマらなかった」、「オリジナリティに欠ける」と酷評。
そのため、シングル「炎のロックン・ロール」及びアルバムはチャート入りせず。
しかし、2ndアルバム「Queen II」発表後にチャート入りしています。
UK国内の評判に反し、アメリカや日本での評価は比較的高かった。
個人的にはこのアルバムが結構好きで、お店でたまにかけています。
UKアルバムチャートで24位、USAビルボード・アルバムチャートで83位。
世界総売り上げ約400万枚。
●「Queen II」
1974年発表の2ndアルバム。
UKでの評価は相変わらずだったが、シングル曲「輝ける7つの海」がヒット。
アルバムもUKで5位、USAで49位を記録するヒット作となった。
世界総売り上げ約300万枚。
このアルバムがきっかけに、Queenは世界的にブレイクする。
●「Sheer Heart Attack/邦題:シアー・ハート・アタック」
1974年発表の3rdアルバム。
このアルバムから「Killer Queen」、「フリック・オブ・ザ・リスト」、「ナウ・アイム・ヒア」の3枚がシングルカット。
「Killer Queen」は、USAビルボード・シングルチャートで12位を記録。
初めてアメリカで受け入れられたアルバム。
UKアルバムチャートで2位、USAビルボード・アルバムチャートで12位、日本で23位を記録。
世界総売り上げ約800万枚。
このアルバム発表後、1975年2月にKANSA、STYXらの前座としてアメリカツアーを開始。ツアーは各地で大盛況となった。
余談ですが、「Killer Queen」の歌詞に出てくる 「gunpowder gelatine」という言葉が、「がんばれ田淵」と聞こえるとタモリ倶楽部の「空耳アワー」のコーナーで紹介されています。
●「A Night at the Opera/邦題:オペラ座の夜」
1975年発表の4thアルバム。
このアルバムから「「Bohemian Rhapsody/ボヘミアン・ラプソディ」、「You're My Best Friend」、「Love Of My Life」の3枚がシングルカットされています。
「Bohemian Rhapsody」は、UKチャートで9週間連続1位を記録。
USAビルボード・シングルチャートでも最高位第9位を獲得。
ビルボード誌1976年年間ランキングは第18位に。
ローリング・ストーン誌の選ぶ「オールタイム・グレイテスト・ソング500」では163位。
同曲はQueenの代表曲となり、1977年2つのグラミー賞(コーラスのベスト・ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス、声のベスト・アレンジ)を受賞しています。
2枚目シングル「You're My Best Friend/邦題:マイ・ベスト・フレンド」もUSAビルボード・シングルチャートで第16位を記録。
アルバムの世界総売り上げ数は約1000万枚。
「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・ベストアルバム500」に於いて、231位にランクインしています。
因みに、「Bohemian Rhapsody」は、2002年に実施されたギネス・ワールド・レコーズ社が31,000人以上から取った「英国史上最高のシングル曲は?」というアンケートで、「イマジン」や「ヘイ・ジュード」「イエスタディ」を抑えてNo.1位輝き、授賞式にはロジャーとブライアンが出席。
●「A Day at the Races/邦題:華麗なるレース」
1976年発表の5枚目のアルバム。
このアルバムからは、「Somebody To Love/邦題:愛にすべてを」、「タイ・ユア・マザー・ダウン」、「手をとりあって」、「ロング・アウェイ」、「懐かしのラヴァー・ボーイ」の5枚がシングルカット。
「Somebody To Love/邦題:愛にすべてを」は、UKシングルチャートで2位に、USAビルボード・シングルチャートで13位を記録。
「Good Old-Fashioned Lover Boy/邦題:懐かしのラヴァー・ボーイ」は、UKで17位を記録。
アルバムは、UKで1位、 USAで5位を記録。
アルバムの世界総売り上げは、約800万枚。
フレディ・マーキュリー追悼コンサートでジョージ・マイケルが歌った「Somebody To Love/邦題:愛にすべてを」が「見事なカヴァー」と評判になり、ジョージ・マイケルがボーカルとする新生クイーンが生まれるのではないかという噂さが流れました。
●「News of the World/邦題:世界に捧ぐ」
1977年に発表された6枚目のアルバム。
このアルバムからは、スポーツ番組のBGMとして定番になっている「We Will Rock You」と「We Are the Champions/邦題:伝説のチャンピオン」が大ヒット。
「We Will Rock You」は、フランスで12週連続1位となり、13週目には「We Are the Champions」が1位を記録。
また、「Spread Your Wings/邦題:永遠の翼」もUKで34位を記録しています。
アルバムは、UKで4位、USAで3位を記録。
アルバムの世界総売り上げは、約1300万枚。
このアルバム発表後、1978年に開催されたヨーロッパ9カ国でツアーは大成功を収めたそうです。
余談ですが、2011年に行われた英ゴールドスミス大学の研究チームの音楽心理分析学の観点から、「We Are the Champions/伝説のチャンピオン」は「ポップ・ミュージック史上最もキャッチーな曲」という研究結果を発表しています。
同研究チームの実験では、一緒に口ずさみたくなるようなヒット曲は総じて次のような要素を持っているそうです。
(1) 長くて起伏も細やかなフレーズを含んでいること。
(2) 曲のフックとなるところではピッチが高低に急激に変化すること。
(3) ボーカルは男性であること。
(4) 男性ボーカルが高音部で特徴的なボーカルを聴かせること。
この4要素を最もよく兼ね備えた曲の第1位は「We Are the Champions/伝説のチャンピオン」、2位がヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」、3位がヨーロッパの「ファイナル・カウントダウン」、4位がジ・オートマティックの「モンスター」だそうです。
●「Jazz/邦題:ジャズ」
1978年発表の7枚目のアルバム。
このアルバムからは、「バイシクル・レース」、「ファット・ボトムド・ガールズ」、「ドント・ストップ・ミー・ナウ」、「ジェラシー」、「ムスターファ」の5枚シングルカット。
シングル「バイシクル・レース」のポスターとプロモーションヴィデオは、全裸の女性が自転車レースをするというもので、本国では物議をかもしたとか・・・。
その影響でこのアルバムの発売直後にはマスコミは一斉にクイーンを批判しましたが、アルバムはUKで2位の大ヒット。
シングル「Don't Stop Me Now」は、UKで9位、オランダで14位を記録。
アルバムもUSAビルボーで1980年2月23日に、週間ランキング第1位を獲得。
ビルボード誌1980年年間ランキングは第6位。
その他各国でヒットしチャートしています。
世界総売り上げ800万枚
このアルバム発売と同年、クイーンはカナダを皮切りに北米ツアーを開催。マーキュリーはステージに上半身ヌード姿で自転車に乗って登場したそうです。
●「The Game/邦題:ザ・ゲーム」
1980年発表の8枚目のアルバム。
このアルバムからシングルカットされた「Crazy Little Thing Called Love」、「Another One Bites the Dust」の2曲がUKで1位に輝き、USAビルボードでも1位に輝き全世界で大成功を収めました。
ディーコン作の「Another One Bites the Dust」は、アメリカでシングルセールス200万枚を超え、ブラックミュージック・チャートでも3週連続で2位を記録しグループにおける最大のヒット曲となった。
余談ですが、この曲は当時接触のあったマイケル・ジャクソンに提供した楽曲だったそうですが、マイケル自身から「ぜひクイーン自身が歌うべきだ」と強く薦められ、大ヒットしたとの逸話があるそうです。
アルバムは、UKで1位、USAで1位を記録。
世界総売り上げ1000万枚
●「Hot Space/ホット・スペース」
1982年発表の10枚目のアルバム。
このアルバムからシングカットされた「アンダー・プレッシャー」は、イギリスやアルゼンチンで1位を獲得するなど世界的にヒットした。
「ステイング・パワー」は、雑誌「ミュージックライフ」の読者アンケートによって日本だけでA面としてシングルカットされた。
シングル「Back Chat/バック・チャット」は、UKシングルチャートで40位。
アルバムは、UKで4位、USAで22位を記録。
世界総売り上げ500万枚。
このアルバム後、メンバーが不仲となり、1983年にバンドは小休止。
各自ソロ活動に専念。
●「The Works/ザ・ワークス」
1984年発表の11枚目のアルバム。
このアルバムから4枚シングルカットされています。
まず、ロジャー作曲の「RADIO GA GA」は、UKで2位、USAで16位を記録。
その他19カ国で第1位を獲得する世界的大ヒットとなり、ロジャー初のシングルヒット作。
日本でもお馴染みのレディー・ガガの芸名の由来は、「RADIO GA GA」からです。
「I Want to Break Free/自由への旅立ち」は、UKで最高3位を記録、南米など当時圧政下に置かれ苦しんでいた人々の間では自由への賛歌として人気が高かったそうです。
4枚目のシングル「Hammer To Fall/ハマー・トゥ・フォール」は、UKで12位を獲得するなど、ヨーロッパを中心にヒット。
アルバムは、UKで2位、USAで23位を記録。
世界総売り上げ900万枚。
●「A Kind of Magic/カインド・オブ・マジック」
1986年発表の第12作目のアルバム。
シングルカットされた「One Vision/ひとつだけの世界」は、映画『アイアン・イーグル』の主題歌としても使用され、本国イギリスをはじめ、スイスやドイツなどの国でもチャートイン。
2枚目のシングルカットされた「Pain Is So Close to Pleasure/喜びへの道」は、オランダのチャートで43位を獲得。
「A Kind of Magic」は、UKで3位に。
その他欧米諸国でも軒並み10位以内の好成績を収めた。
「Friends Will Be Friends/心の絆」は、UKで14位を記録。
「Princes of the Universe」は、映画「ハイランダー 悪魔の戦士」(見てないけど・・・)のサウンドトラックとして書かれたそうです。
アルバム自体は、UKで1位に輝きましたが、USAでは46位。
世界総売り上げ1300万枚。
このアルバム発表後の「マジック・ツアー」では、ヨーロッパ諸国の全26公演で100万人以上の観客を動員。
中でもウェンブリー・スタジアムで行われたコンサートは2日間で15万人の観客動員を記録するなど、Queenのツアー史上最大の成功を収めています。
しかし、Queenの4人が揃ってツアーを行ったのはこれが最後となり、その後個々のソロ活動に入ります。
●「Innuendo/イニュエンドウ」
1991年発表の14作目のアルバムでフレディ最後のスタジオアルバム。
本国イギリスでは、「イニュエンドウ」、「狂気への序曲」、「ヘッドロング」、「輝ける日々」、「ショウ・マスト・ゴー・オン」の5曲がこのアルバムからシングルカットされ、すべてチャートの上位に。
「Innuendo」は、全英1位、オランダで4位、ドイツで5位を獲得するなど、ヨーロッパを中心に大ヒット。
「The Show Must Go On」は、UKチャートで16位、フランスチャートで2位に入るなどヒット。
ブライアン・メイは、この曲をフレディ生涯最高のうちの一つだったと評価しています。
アルバム自体もUKチャートにおいて初登場1位を記録、USAで30位。
世界総売り上げ1100万枚
この頃すでにフレディ・マーキュリーの体は病魔に犯されており、全曲鬼気迫る迫力あるアルバムとなっています。
しかし、このアルバム発表の10か月後にフレディは帰らぬ人となります。
●「Live Killers/ライヴ・キラーズ」
1979年発表の初LIVE盤。
1979年の欧州ツアーライブの音源をまとめたLIVE盤。
2枚組のカラー盤(緑と赤)。
絶頂期のQueenらしく、全曲全疾走・・・、凄いです!
アルバムは、UKで3位、USAで16位を記録。
世界総売り上げ700万枚。
●「GREATEST HITS」
1981年発表のQueen初Best盤。
収録曲は、1stアルバム「戦慄の王女」から「フラッシュ・ゴードン」までですが、このベスト・アルバムに先立って発売された先行シングル「アンダー・プレッシャー」まで収録されています。
このアルバムは、UKアルバムチャートで1位、USAビルボード・アルバムチャートで11位、日本で9位を記録。
世界総売り上げ枚数は全世界で約2,500万枚。
英国で600万枚超え、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」やオアシスの「モーニング・グローリー」などを抑えて英国史上最も売れたアルバムとなっています。
●「Mr. Bad Guy」
1985年に発表したフレディ・ソロアルバム。
シングル「I Was Born to Love You」が、UKで11位のヒット。
アルバムは、UKで6位、ドイツで11位、ノルウェーで13位、スイスで14位、オランダで17位、スウェーデンで20位、オーストリアで23位を記録したが、USAでは159位に終わった。
「I Was Born to Love You」は、1980年代にノエビアのTV/CMでフレディのソロ音源が使用。1996年以後、キリン一番搾り生ビール、アサヒスーパードライ、カップヌードルのTV/CM、さらには2004年のTVドラマ「プライド」のテーマ曲としてクイーンのバージョンが使用されています。
2016年
11月
21日
月
久々に映画館での鑑賞。
やっぱり、アメリカのアクション映画は面白いですね~。
日本のアクション映画とは・・・・もう、スケールが違う。
ド派手な見せ場の数々や痛快なアクション・・・、もう、やることなすこと半端じゃないですね。
だから面白いんだけどネ。
元アメリカ軍の優秀な秘密捜査官だが、今は放浪生活を送っているジャック・リーチャー。
元同僚ターナー少佐にかけられたスパイの嫌疑を晴らそうと、リーチャーは巨大な陰謀に挑む。
リーチャーは軍で培った能力で次々と敵を倒していき、ターナー少佐を牢獄から脱出させる。何かの陰謀があると感じた二人は、真相を探り始める。
とま~、ストリーは極めて単純なのですが、ド派手で痛快なアクションで観客を魅了してくれます。
もうこの年になると、人生がどうの、愛がどうのと難しい哲学はいらない。
映画は面白くなくちゃ映画じゃありません。
もちろん、個々人の価値観の相違は理解していますが・・・・。
話は変わりますが、トム・クルーズは、生まれつき文字の意味を脳内で認識・理解することに時間を要する「失読症」という一種の学習障害を抱えているんですってね。
「失読症」というのは、知的能力に何か問題があったり、会話をすることができないというものではなく、文字からの情報を得ることに困難を要するそうです。
それなのに台本をよく覚えられるな~、と感心してしまいます。
聞くところによると、彼は第三者に毎回台本を音読してもらい「音声」で物語を理解し、セリフを覚えるそうです。
ハンディキャップを克服し、54歳とは思えぬシャープなアクションを披露しているトム・クルーズ。
アクティブかつポジティブなオーラを放ち続け世界のトップスターとして輝き続けるトム・クルーズに頭が下がります。
陰で人一倍努力しているんだろうね。
これからも、年相応の面白い映画を作ってくださいね。
映画「ジャック・リーチャー NEVER Go Back」、とても面白い映画です。
観ていない方は、是非観てください。
お勧めです。
2016年
11月
21日
月
朝日新聞11/17「文化・文芸」欄で、「11月」に亡くなったQueenのフレディ・マーキュリーとアメリカの小説家、SF作家、映画監督、脚本家であるマイケル・クライトンを取り上げていました。
●Queenのフレディ・マーキュリー「フレディ 不滅のキラメキ 生誕70周年・没後25年」の記事。
早いですね~。
フレディが、1991年11月24日に亡くなって早25年ですか・・・・。
新聞記事では、音楽評論家、1975年以来来日時のボディ・ガードをしている警備会社の社長、音楽エグゼクティブプロデューサーのコメント入りでフレディとのエピソードを紹介。
音楽評論家の今泉氏は、「(フレディ・マーキュリーは)潤んだ艶やかさ、鋭くもガラス細工のようなはかなさ、こぼれた刃のようなざらつき、朗々とした雄々しさ。これらが精妙に混交し、劇的なクラシック風のロック、ファルセットを多用する恍惚なバラードを繰り出した。『イニュエンド』では、死期が近づき、命のもろさが声の響きに切実さを加えた」と談。
また氏は今年来日した「クイーン+アダム・ランバート」のLIVEに関し、『(フレディのライブ映像とアダムが掛け合う演出は)アダムも強力な声だが、それを上回る芳醇に奏でられたフレディの声。不思議な「不在の在」が客席に感動を広げた』と評していました。
ウ~ム、やっぱり行けばよかったかも・・・・。
フレディの命日となる11月24日と25日には、東京八重洲のオンキョーのショールームに献花台が置かれ、CD試聴会等が予定されているそうです。
当店では、フレディを偲んで「今日の1曲目~今週はQueen特集」。
●「没後8年 マイケル・クライトン~SF作家の語った真理」の記事
マイケル・クライトン自伝「トラヴェルズ」の中で盟友ショーン・コネリーとの会話を紹介。
「つねに真実を話さなくちゃならない。なぜなら真実を話せば、あとは相手の問題になる」、「あらゆることに成功し、同時にあらゆる反作用を受けたであろうクライトンの矜持がここにある気がした」と結んでいます。
アメリカの小説家、SF作家、映画監督、脚本家のマイケル・クライトンは、2008年初めにリンパ腫が見つかり化学療法を受けていたが、2008年11月4日にロサンゼルスで急死。
享年66歳。
僕がマイケル・クライトンの名前を知ったのは、スティーヴン・スピルバーグ監督の「ジュラシック・パーク」を観てから。
映画がとても面白かったので、原作を読みたくって文庫本を購入。
この本で少し嵌ってしまいました。
その後、「ディスクロージャー」(年下の女性上司が男性部下に対するセクシャルハラスメントをテーマにした小説。この言葉は日本でも流行りましたよね!)、「ジュラシック・パーク」の続編「ロスト・ワールド」(1997年スピルバーグ監督で映画化)、「スフィア ―球体―」(深海に潜み未知の力を発する宇宙船をテーマにした小説)など、とても面白い小説でした。
原作が映画になった「ジュラシック・パーク」、「ロスト・ワールド」、「ツイスター」、「スフィア ―球体―」なども観ています。
映画監督としての作品では、1973年の「ウエストワールド」。
この映画を観たのは、主演のユル・ブリンナーが好きで行ったので、監督がマイケル・クライトンと知ったのは後日。
この映画、結構怖いです。
砂漠に建設されたテーマパーク「ウェストワールド」で憧れの西部劇ヒーローになりきり、ロボットを相手にした銃撃戦や女たちとのロマンスを大いに楽しむのですが、ロボットのガラガラヘビに襲われてから次々にロボット(ユル・ブリンナー)が人間に対して反乱するという映画。
面白いけど、ある種怖い映画です。
と言うことで、フレディ・マーキュリーを偲びながら、マイケル・クライトンの本を読みますか・・・・。
2016年
11月
15日
火
青春がまた一つ・・・・・・。
Leon Russellの2日前、11月11日に「0011 ナポレオン・ソロ」のロバート・ヴォーンが急性白血病で死去。
1並びの日に亡くなるなんて、ナポレオン・ソロらしいけどね・・・・。
享年83歳。
合掌!
ロバート・ヴォーンが、一躍有名になったのは、1960年の「荒野の七人」。
この映画は、ロードショウでは観られなかったけど、二流館 金沢八景の八景シネマでみました。
映画「大脱走」もそうだけど、この当時の映画には有名どころが一杯出演しています。
この映画に出演している7人は、とても勇名な俳優ばかり。
ユル・ブリンナー、スティーブ・マックイーン、ホルスト・ブッフホルツ、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、ブラッド・デクスター、ロバート・ヴォーン。
凄いメンツだよね。
でも、僕らが「荒野の七人」以上に燃えたのが、「0011ナポレオン・ソロ」。
このTVドラマは、映画「007」シリーズに触発されて誕生した「スパイ映画」で、1966年から1970年まで日本テレビ系列で放送されていました。
国際機関アンクル(U.N.C.L.E.)のエージェントであるナポレオン・ソロのロバート・ヴォーンとイリヤ・クリヤキンのデヴィッド・マッカラムが活躍するスパイもの。
優秀だが女性には弱いソロと、クールに任務をこなす中性的なイリヤ。
イリヤは脇役だけどかっこよくってね、学校ではソロ派・イリヤ派に分かれたものです。
女の子は、圧倒的にイリヤ派でしたが・・・・。
今の若い方は信じられないだろうけど、当時ナポレオン・ソロの人気は本当に凄く、日本では「ビートルズかナポレオン・ソロか!」と言われるほどの大人気番組だったんですから・・・。
ロバート・ヴォーンは、その他に「特攻野郎Aチーム」や「刑事コロンボ」などのシリーズものや映画「タワーリング・インフェルノ」等に出演。
1978年に『権力と陰謀(Washington: Behind Closed Doors)』の大統領補佐官役でエミー賞助演男優賞を受賞。
ア~アッ! 今年はいくつ青春が無くなったんだろうか・・・・。
これで「荒野の七人」全員鬼籍に・・・・。
本当に年を重ねるごとに“思い出”だけになってしまいますね・・・
ロバート・ヴォーン、お疲れ様でした。
2016年
11月
14日
月
Leon Russellが、11月13日ナッシュビルの自宅にて亡くなりました。
享年74歳。
合掌!
10代の頃からキーボーディストとして音楽活動。
14歳の若さでロニー・ホーキンズのバック等、多くのプロミュージシャンのプロジェクトに参加。
先日ご紹介しましたレッキング・クルーのメンバーとしてジェリー・リー・ルイスの「This Diamond Ring」、フィル・スペクターのプロデュース作品「Wall Of Sound」のレコーディングに参加しています。
また、意外や意外・・・、Venturesの「十番街の殺人」にサックスで、またVenturesがカバーした「朝日のあたる家」にオルガンで参加しています。
1971年、ジョージ・ハリスンの呼びかけに応じてバングラデシュ・コンサートに出演。
ピアノ、ボーカル、ベースを担当し、エリック・クラプトン、リンゴ・スター、ボブ・ディランらと共演。
この時、レオン・ラッセルが披露したゴスペル風バージョン「Jumpin' Jack Flash」からコースターのヒット曲「Yong Blood」、そして「Jumpin' Jack Flash」に戻るエネルギー溢れるバージョンは最高の評価を受けました。(LIVE盤で聴けますよ!)
ジョー・コッカーとのツアーも有名。
その後、ソロになり数々の名曲を世に出します。
1970年代に米・南部ロックの泥臭さを前面に押し出した音楽性で後世のミュージシャンに多大な影響を及ぼした功績は大きい。
クラプトンも影響を受けたし、エルトン・ジョンは、自分のアイドルとしてレオン・ラッセルの名前を挙げていました。
しかし、日本では彼のあくの強い歌い方・声はあまり受け入れられなかったようで、彼の作品のカバー曲の方が売れてしまいましたね。
2011年に、ロックの殿堂のサイドマン部門に選出。
授賞式では、かねてから親交があるエルトン・ジョンがプレゼンターを務め、ジョン・メイヤーとのセッションも披露しています。
本当にお疲れ様でした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
Leon Russellの作品をカヴァーした名曲の数々。
●「A Song For You」
後悔、自責の念、不滅の愛を歌ったとても美しい曲。
これまでに、多数の日本人アーティストをはじめ、100人以上のアーティストにレコーディングしているそうです。
特に有名なのは、レイ・チャールズ、シェール、ドニー・ハサウェイ、ホイットニー・ヒューストン、シンプリー・レッド、カーペンターズ、シャーリー・ホーン、タック&パティ、カーメン・マクレー、マイケル・バブルによるカバー・バージョン。
日本ではアン・ルイスや鈴木雅之、綾戸智恵、森山良子、小林明子、大黒摩季ら多数。
●「This Masquerade」
1976年、ジャズ・ギタリストでボーカリストのジョージ・ベンソンが、代表作となったアルバム『ブリージン (Breezin')』に収録。
ジョージ・ベンソン版は、USA「Billboard Hot 100」で10位、Hot Soul Singles で3位を記録。
「キャッシュボックス」誌のトップ100では、12位を記録。
カナダでは、RPMのポップ・シングル・チャートとアダルト・コンテンポラリー・チャートで8位を記録。
ジョージ・ベンソンは、1977年の第19回グラミー賞で最優秀レコード賞を受賞。
当店のリクエストでは、Carpentersが圧倒的。
● 「Superstar」
デラニー&ボニーが1969年に発表した楽曲。
オリジナル・ヴァージョンの正式タイトルは"Groupie (Superstar)"だが、1970年に"Superstar"と改名。
1971年にはCarpentersカーペンターズによるカバーが世界的にヒットし、USA「Billboard Hot 100」で2位を記録。
その他、ベット・ミドラー、アレサ・フランクリン、シェール、ヘレン・レディ、シャーリー・バッシー、ソニック・ユース多くのアーティストに歌い継がれています。
当店所有のアナログレコード紹介
●「Carney」
1972年発表。
ソロとして3作目で、レオン・ラッセルの最大のヒット・アルバム。
独特のしわがれ声でピアノを弾きながら、どさ回りのサーカス一座の哀歓を歌っています。
名曲「Tight Rope」、「This Masquerade」を収録。
「Tight Rope」は、USAシングル・チャート「Billboard Hot 100」で最高11位、『キャッシュボックス』誌の「Top 100」で最高10位を記録。
カナダでは、チャートの5位を記録。
麻薬に溺れて死んでしまった元ガールフレンドの葬式に行く様を描いた、胸が張り裂けるようなバラード「ミー・アンド・ベイビー・ジェイン」も個人的に好き。
この曲は、ホセ・フェリシアーノ、ニーナ・シモンらがカバーしています。
●「Leon Live」
1973年発表。
「Jumpin' Jack Flash」~「Yong Blood」~「Jumpin' Jack Flash」は、もう最高!!
圧巻です!
1971年のバングラデシュ・コンサートが頭に浮かんできます。
●「Will O' the Wisp Import/邦題:鬼火」1975年発表のソロ第6作。
代表曲の「ブルーバード」「レディ・ブルー」も収録されてますしね。
このアルバムからは、ヘレン・レディによる "Bluebird" のカヴァー・ヒットが生まれている。
●「Best Of Leon Russell - A Song For You」
「A Song For You」、「This Masquerade」、「Superstar」を始め、名曲揃いのBestアルバム。
2016年
11月
07日
月
釣りが好きで、サラリーマン時代は毎週土曜日には釣り船に乗っていました。
東京湾で釣りをしていると、よく潜水艦をみかけます。
潜水艦を見ると、「なだしお事件」を思い出します。
「なだしお事件」の正式名は、「潜水艦なだしお遊漁船第一富士丸衝突事件」。
1988年(昭和63年)7月23日に海上自衛隊潜水艦と遊漁船が衝突した事件で遊漁船が沈没し、30名の釣り人が亡くなりました。
山崎豊子(著)「約束の海」は、この事件から始まります。
また、山崎女史は、以前より真珠湾攻撃時に「米軍の捕虜第一号となった旧帝国海軍少尉となり、捕虜の身ながら一人だけ武器を使わない戦争をしていた人物~酒巻和男」という実在人物に強く興味をひかれたそうです。
そして、構想30年にして遺作となったのが「約束の海」。
海上自衛隊の潜水艦「くにしお」と釣り船が衝突、多数の犠牲者が出る惨事に。
「酒巻和男」を父に持つ若き乗組員・花巻朔太郎は、事件後マスコミの批判、遺族対応、海難審判……世間の猛烈な自衛隊批判に直面。
「海難事故」を通して、自衛隊の存在意義とは何か、戦争とは何か、平和とは何かと問いかける。
「国防の仕事に就いている人たちは、どこの国でも、国民に敬愛されこそすれ、こんなに嫌悪されているのは日本だけ」と悩むが、「国を護る、戦争を起こさない努力をする仕事」が自衛隊であると結論に至る。
捕虜第一号の父と自衛隊の存在意義に悩む主人公の若き乗組員・花巻朔太郎の二人は「ここで日本の海を二度と戦場にしてはならない」と約束。
時代に翻弄されながら、それぞれの時代に抗う父子二代・百年近くにもわたる壮大な物語。
ですが、残念ながら山崎女子は病に倒れ、第一部・第五章までを書き終えたところで逝去され、残念ながら未完となってしまいました。
「約束の海」は未完ですが、とても面白い小説でした。
最後に、山崎女史が「出筆にあたって」で次のような言葉を残しています。
「戦争は絶対に反対ですが、だからといって、守るだけの力を持ってはいけない、と言う考えには同調できません。
いろいろと勉強していくうちに、「戦争をしないための軍隊」、と言う存在を追及してみたくなりました。
・・・・自衛隊は反対だとかイエスかノーかで単純に割り切れなくなった時代です。
そこを読者の皆さんと一緒に考えて生きたいのです。
今はその意義を再び考え直すタイミングなのかもしれません。」
余談ですが、同本で潜水艦乗りの仕事、潜水艦の生活や、任務が結構細かく書いてあったのも面白い。
2016年
11月
07日
月
今回初入荷の「アベラワー アブーナ」は、シェリー樽系モルトが好きな方にお薦めする逸品。
アベラワー蒸留所は、これまで国際ワイン&スピリッツ大会で6回も金賞を受賞している実力派。
その蒸留所で製造されるモルトは、スペイサイドの中でもレーズンのような甘さが特徴で、フランスでは大人気の銘柄です。
しかし、今回の「アベラワー アブーナ」は、従来品とは異なり驚きの個性を持っています。
「アベラワー アブーナ」の特徴。
1.アブーナとは、ゲール語で“起源”を意味し、創業者ジェームス・フレミングをはじ
め、ウイスキー造りの先人たちの功績を称え、19世紀の創業当時と同じ製法で造ら
れています。
2.厳選したスパニッシュオークのオロロソ・シェリー樽で熟成したシングルカスク(単一
の樽からボトリング)です。
3.シングルカスクのため、バッジごとにアルコール度数(度数は大体60度前後)は変
わります。
4.冷却濾過せず、加水等でアルコール度数の調整を行わないので、樽出しそのまま
の味が楽しめます。
グラスに注ぐと、甘くてドライなオロロソ・シェリー樽の香り~クラシックなシェリーカスクに特有なレーズンのアロマが力強く迫ってきます。
口に含むとシェリー香が広がり、アルコール度数を感じさせない柔らかで甘く、ドライでダークチョコを思わせる味わいです。
口のなかで風味が留まり、いつまでも噛み締めていたい気分になりますよ!
ストレート良しロック良しという秀逸な「アベラワー アブーナ」を、是非一度ご賞味ください。
但し、アルコール度数が高いので、飲みすぎにはくれぐれもご注意を!!
●アベラワー蒸留所
スコットランド・スペイサイド地方のほぼ中心にあるアベラワー村で、1879年、ジェームス・フレミングが創業。
アベラワーとは、ゲール語で“せせらぐ小川の川口”を意味し、清らかな水に恵まれた理想的な環境で良質なウイスキーを造り続けています。
本来のアベラワー蒸留所の特徴は、厳選したシェリー樽とバーボン樽の2種類の樽を使って熟成する“ダブルカスクマチュレーション”で、これまでに国際ワイン&スピリッツ大会で6度も金賞受賞に輝く実力派蒸留所。
スペイサイドの王道として、ウイスキー蒸留所名所巡りの旅でも大人気の蒸留所です。
かつての倉庫主任だったフレイザー氏が、熟成庫で眠るウイスキー達に子守唄がわりにバグパイプを演奏して聞かせていたのが、アベラワーの「隠し味」になっているとか・・・・。
2016年
11月
04日
金
当店に足を運んでくださる20代の若い方でも知っているRonnetes「Be My Baby」、Byrds「Mr.Tambourine Man」、Mama’s & Papa’s「California Dreamin’」、Frank Sinatra 「Strangers In The Night」、Monkees「Last Train To Clarksville」、Beach Boys「Good Vibrations」・・・・。
1960年~70年代に流行った代表曲だから、皆さんも良くご存知ですよね。
でも、演奏しているのは誰なんだろうか?
ほとんどの人は、知らないと思います。
ByrdsやMonkees、Beach Boysは、バンドだし・・・・。
実は、この時代のアメリカン・ポップスの全盛期に偉大なアーティスト達のヒット曲を手がけた伝説のセッションミュージシャン集団がいたんですって!
その伝説のセッションミュージシャン集団が「レッキング・クルー」。
この「レッキング・クルー」にスポットを当てたドキュメンタリー映画です。
アーティストたちから絶大な信頼を寄せられ最高のサウンドを生み出しながらも、これまでほとんど知られることのなかった彼らの栄光と苦悩を描いた作品。
レッキング・クルーの伝説的ギタリスト トミー・テデスコの息子デニーが、父の肺癌をきっかけにカメラを取り、数年にわたって父をはじめ関係者にインタビューを敢行。
ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソン、モンキーズのミッキー・ドレンツ、バーズのロジャー・マッギン、ナンシー・シナトラ、シェール、ゲイリー・ルイス等々、そうそうたる顔ぶれのアーティストたちがレッキング・クルーについて語っているインタビュー映像や実際にレッキング・クルーが演奏しているオリジナル楽曲の数々を全編にフィーチャー。
2008年に作品が完成し、アメリカでは2015年に公開。
シンプルなコードで形成された曲の数々が、ミュージシャン達の才能のおかげで、世界に残る名曲になっていくプロセスをユーモアと人情たっぷりのドキュメンタリー映画です。
モンキーズのヒット曲の大半を演奏していたのはレッキングクルーの面々だし、名曲「ビー・マイ・ベイビー」のポップス史上に残る屈指のドラム、サイモンとガーファンクルの名曲「明日に架ける橋」のピアノ・・・・・。
これを観ていると、モンキーズもフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンド(Wall Of Sound)もなかったのではなか・・・・。
1960年代、70年代のアメリカン・ポップスを聴いていた人には、懐かしく涙するかもしれないドキュメンタリー映画。
どんな時代になっても聴いて夢中になっている人がいる古き良き黄金時代のアメリカン・ポップスを陰で支えた凄腕のミュージシャンたち・・・・。
とっても甘く切なく・・・・とにかく素晴らしいドキュメンタリー映画です。
●代表的な曲
1962 シェリー・フェブレイ 「ジョニー・エンジェル」
1962 エルヴィス・プレスリー 「心の届かぬラヴ・レター」
1963 ロネッツ 「ビー・マイ・ベイビー」
1963 クリスタルズ 「ハイ・ロン・ロン」
1964 ヘンリー・マンシーニ 「ピンクパンサーのテーマ」
1965 バーズ 「ミスター・タンブリン・マン」
1965 ライチャス・ブラザーズ 「ふられた気持ち」
1965 ママス&パパス 「夢のカリフォルニア」
1966 フランク・シナトラ 「夜のストレンジャー」
1966 モンキーズ 「恋の終列車」
1966 ビーチ・ボーイズ 「グッド・ヴァイブレーション」
1967 フィフス・ディメンション 「ビートでジャンプ」
1967 ソニー&シェール 「ビート・ゴーズ・オン」
1968 グレン・キャンベル 「ウィチタ・ラインマン」
1970 サイモン&ガーファンクル 「明日に架ける橋」「ボクサー」
1970 パートリッジ・ファミリー 「悲しき初恋」
1972 アルバート・ハモンド 「カリフォルニアの青い空」
1973 カーペンターズ 「イエスタデイ・ワンスモア」
1974 バーブラ・ストライサンド 「追憶」
1975 キャプテン&テニール 「愛ある限り」