2015年
3月
30日
月
「もう、桜が満開だよ!!」と妻が、元気良く実家より帰宅。
「そうか~、もう、桜の季節だね・・・・」と、二人でラゾナー側の桜並木を見学に・・・・。
もう、ほとんど満開状態!
今週か来週ぐらいで花が散ってしまうかもしれないけど・・・・、桜はやはり華やかで良いですね~。
2015年
3月
24日
火
遅ればせながら、やっと観に行けました。
「アメリカン・スナイパー」を観た方は多いとは思いますが、実に面白い映画でしたね。
映画は、米海軍のエリート部隊“ネイビー・シールズ”のメンバーとして、イラク戦線で活躍した伝説の狙撃手クリス・カイルの回顧録『ネイビー・シールズ 最強の狙撃手』を巨匠クリント・イーストウッド監督で映画化した戦争アクション。
「引き金を引いて目の前の敵を殺すことが母国の平和につながる」と信じて敵を狙い続け数多くの仲間の命を救う一方で、「殺される前に殺す」という戦争原理から数多くの敵兵の命を奪い子供や女性にも容赦なく銃口を向けるクリス。
一方で遠く離れた母国にいる妻子に対して、良き夫であり良き父でありたいと願うが、帰国の度に息子や娘のいる家庭や普通の市民生活になじめない己の心に気づくクリス。
そんなジレンマに苦しみながらもクリスは、終わりのない想像を絶する極限状況の戦地に赴くが・・・・、クリスの心は序々に蝕まれていく・・・。
過酷な戦場を生き延び退役したクリスは、妻子のもとへ帰還するが、戦争での拭い去ることができない心の傷に苦しむことになる。
「アメリカン・スナイパー」は、米国内の一部から戦争を美化し狙撃手を英雄化していると批判されたそうです。
しかし、戦争で蝕まれていく兵士の心や愛する人を死地に送り出す家族の精神的負担、イラク軍でクリスと同じように狙撃手として活躍する男の姿等も同時に描くことによりクリント・イーストウッド監督の“反戦”のメッセージが入った作品だと思います。
本当に面白い映画なのでお勧め!!
やはり、人を殺す戦争は・・・・、いけません!!
で、映画の最後は・・・・・・、ショックだな~・・・・・、涙!
2015年
3月
22日
日
本当に訃報ばかりで、すみません。
「カンタベリー・ロック(*)」の最重要バンド GONGやSoft Machineの最重要人物デイヴィッド・アレン(Daevid Allen)が3月13日にお亡くなりになりました。
デイヴィッドは、今年2月に「手術不可能な癌のため、医師より余命6か月を宣告」されたそうです。
癌は当初、首に出現し、それは手術によって除去されたものの、新たに肺にも転移。すでに手術不可能な状態になってしまっているため、アレンは新たな手術を望まず、このまま残りの人生を過ごす考えだったようですが・・・・、予定よりも早く神に召されてしまいました。
享年77歳。
合掌!!
オーストラリア生まれで世界を放浪するヒッピーだったデイヴィッド・アレンが1966年イギリスのカンタベリーで結成したのがSoft Machine。
Soft Machineは、ロンドンのUFOクラブを根城にヨーロッパ各地で精力的に演奏活動を行いつつ独自の音楽を模索していたそうです。
デイヴィッドはこのUFOクラブ当時、ロンドンのサイケデリック・シーンで注目を浴びていたピンク・フロイドやジミ・ヘンドリックスらとも交流を持つようになり、ステージを共にする事もあったそうです。
1967年Soft Machineは、パリ公演からの帰途、麻薬所持などのトラブルによりイギリスへの入国許可が下りず、アレンはそのままパリに留まり、プログレッシブ/サイケデリック・ロック・バンド~英米ではスペース・ロックというジャンルに入る「GONG」を結成。
この「GONG」には、アラン・ホールズワース、スティーヴ・ヒレッジなどが在籍したことでも有名なバンドです。
Soft MachineやGONGのリクエストにお応えするのは、難しいですが、近々所有アルバムはご紹介しますからね!
(*)カンタベリー・ロック(Canterbury rock):
イギリスのカンタベリー出身者を中心とするプログレッシブ・ロック系のバンド、ミュージシャンの一群による音楽を指す用語。
1960年代後半から1970年代にかけて活動。
当初はサイケデリック・ロックの影響が強く、後に即興演奏を中心としたジャズ・ロック色が濃くなっていきます。
2015年
3月
22日
日
1970年に大ヒットした「All Right Now」の作詞・作曲を手がけたFreeのベーシスト アンディ・フレイザーが、カリフォルニアの自宅でお亡くなりになったそうです。
癌とHIVを患っていたとか・・・・・。
彼も闘病生活を続けていたんですね・・・・。
享年62歳。
本当に残念ですよね。
合掌!!
アンディは、天才少年だったんです。
何故少年かと言うと・・・・、
13歳のときロンドンのクラブでプレイヤーとして活躍し、すぐにJohn Mayall& The Bluesbreakersに参加。
このJohn Mayall& The Bluesbreakersに関し、Rock好きにはいまさら説明は要らないと思うけど、あのエリック・クラプトンやフリートウッド・マックの創設メンバーの一人 ピーター・グリーン、ブライアンの脱退後にストーンズに入ったミック・テイラー、クリームのジャック・ブルース、コロシアムのジョン・ハイズマン等々・・・・・、世界のトップアーチストと言われる方々を輩出しているバンドなんですよね。
そんな凄いバンドにアンディは、13歳で参加しちゃっているんです。
その後、ポール・ロジャース(Vo)、ポール・コゾフ(G)サイモン・カーク(D)と1969年にFreeを結成するんですが、この時のアンディは・・・・、まだ15歳!!
そして1970年に発表された3rdアルバムでシングルカットされたロジャースとの共作「All Right Now」が世界各国でNo.1に輝いてしまいます。
でも、Freeの凄さはアンディだけじゃないんです。
デビューの1stアルバム「Tons Of Sobs」のレコーディングは、実質7日間だけで、その時の年齢は・・・・・・、
ポール・ロジャース :18歳(49年12月17日生まれ)
ポール・コゾフ :18歳(50年9月14日生まれ)
アンディ・フレイザー:16歳(52年7月3日生まれ)
サイモン・カーク :19歳(49年7月28日生まれ)という若さ。
「All Right Now」がチャート入りを果たした時のメンバーの平均年齢20歳だというから驚きですよね!!
Freeというバンドは、本当に天才が集まったバンドだとおもいます。
しかし、全員が若かった・・・・、若すぎたんですね。
Freeは、1973年に解散し短命バンドになってしまいました。
解散後、ポール・ロジャースとサイモン・カークは、あの「Bad Company」を結成。
アンディは、自分のバンドを組んだり作詞・作曲に励んだり、他のアーチストのプロデュースに徹していたようです。
天才少年だった故アンディ・フレイザーを偲びつつ、当店所有のFreeのアルバムをご紹介しますネ!
●「Fire And Water
/邦題:ファイアー・アンド・ウォーター」
1970年発表の3rdアルバム。
シングルカットされた「All Right Now」の大ヒットにより、アルバムはUKで2位、USAで17位を記録。
当店でのリクエストでは、「All Right Now」は然り、「Fire And
Water」、「Mr.Big」等リクエストの多い名曲揃いのアルバムです。
●「Free Live!/邦題:フリー・ライヴ」
彼等の主たるフィールドだったサンダーランド(1970.1)、クロイドン(1970.9)の二つのコンサートから編集された1971年発表のLIVE盤。
UKでは4位を記録、USAでは89位。
針を落とすと最高に盛り上がった「All Right Now」から始まるこのLIVE盤は、ハードでブルージーなブリティッシュ・ロックの真骨頂!!
●「Free At Last/邦題:フリー・アット・ラスト」
1972年に発表されたオリジナルメンバーによる最後の作品。
UKでは9位を記録したがUSAでは69位。
Free各メンバーによる薬中になってしまったポール・コゾフフへの「応援」と「感謝」がこのアルバムの基調ですが、個人的には良くできているアルバムだと思っています。
●「The Free Story/邦題:フリー・ストーリー」
解散後の1974年発表のFree公認Best盤。
UKアルバムチャートで2位を記録する大ヒットアルバムとなりました。
当代きってのブルース・ロックバンドと崇められるFreeの6枚のアルバムから作品が集められていますので、代表曲は全て収録されています。
2015年
3月
21日
土
日本でも大人気のTOTO。
当店でもリクエストの多い「TOTO」のベーシスト マイク・ポーカロが3月15日にお亡くなりになりました。
享年、59歳。
8年におよぶ闘病生活の末だそうです。
合掌!!
「TOTO」は、ご存知のようにロサンゼルスでスタジオミュージシャンをしていたデヴィッド・ペイチとジェフ・ポーカロ が中心に腕利きのスタジオミュージシャンが集まって1977年に結成されスーパー・バンド。
12枚のオリジナルアルバムの他にBEST盤やLIVE盤を発表しています。
マイクは1982年に2代目ベーシストとして「TOTO」に正式加入。
グラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞した「TOTO Ⅳ/邦題・聖なる剣」の世界ツアーに参加して以来、兄ジェフ(1992年に死亡)、弟スティーヴと合わせ、“ポーカロ3兄弟”として活躍。
「TOTO」として一時代を築き上げてきました。
しかし、2007年に全身の運動神経が衰える難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い、07~08年ごろにバンドの活動から身を引いていたそうです。
「TOTO」は、2008年3月のボズ・スキャッグスとの来日公演を最後に解散しましたが、ALSを患ったマイク・ポーカロの救済を目的としたLIVEツアーを実施したそうです。
しかし、救済LIVE活動の甲斐なく、残念ながらお亡くなりになってしまいました。
マイク・ポーカロさん、8年間の闘病生活お疲れ様でした。
ゆっくりお休みください。
故マイク・ポーカロを偲びつつ、当店所有の「TOTO」のアルバムをご紹介します。
● 「TOTO/邦題:宇宙の騎士」
1978年発表の1stアルバム。
当店でもリクエストの多い「ホールド・ザ・ライン」、「愛する君に」、「ジョージ・ポージー」、「ロックメイカー」、「ふりだしの恋」(B面)、「ユー・アー・ザ・フラワー」(B面)、「子供の凱歌」(B面)がシングルカットされました。
中でも「ホールド・ザ・ライン」は、USAビルボード・シングル・チャートで5位を記録。
アルバム自体も9位を記録。」
「子供の凱歌」は、SUZUKI ワゴンRのCMに使用されましたね!!
● 「HYDRA/邦題:ハイドラ」
1979年に発表された2ndアルバム。
リクエストの多い「99」、「St.ジョージ&ザ・ドラゴン」、「ハイドラ」、「ホワイト・シスター」(B面)がシングルカットされました。
アルバム自体は、USAビルボード・アルバムチャートで37位を記録しています。
● 「TURN BACK/邦題:ターン・バック」
1981年発表の3rdアルバム。
スティーヴ・ルカサーが新たなギター・ヒーローとして注目を集めたアルバム。
収録曲のうち「グッドバイ・エリノア」、「ラスト・ナイト」、「ターン・バック」 (B面)がシングルカット。
アルバムは、USAビルボード・アルバムチャートで 41位を記録しています。
聴きどころ満載のアルバム。
● 「TOTO IV/邦題:TOTO IV〜聖なる剣」
このアルバムは、1982年に発表された4枚目のアルバムでTOTOにとって最大のヒットアルバムになりました。
シングルカットされた「アフリカ」がUSAビルボード・シングル・チャートで1位に、「ロザーナ」が同2位に、「ホールド・ユー・バック」が同10位を記録する大ヒットに!!
アルバムもUSAアルバム・チャートで4位を記録し、この年のグラミー賞で、レコード・オブ・ザ・イヤーやアルバム・オブ・ザ・イヤーといった主要部門も含む6部門を受賞するという驚異的なアルバムとなりました。
この作品の発表直後にデヴィッド・ハンゲイトが脱退し、その後任として故マイク・ポーカロが加入。
本作のプロモーション・ヴィデオではマイクが出演しています。
● 「ISOLATION/邦題:アイソレーション」
記念すべき故マイク・ポーカロが新メンバーとして参加した1984年発表の5枚目アルバム。
収録曲からシングルカットされた「カルメン」、「ストレンジャー・イン・タウン」がヒット。
アルバムは42位を記録。
● 「FAHRENHEIT/邦題:ファーレンハイト」
1986年発表の6枚目アルバム。
このアルバムのゲストが凄いんですよ。
コーラスにイーグルスのドン・ヘンリーやドゥービーのマイケル・マクドナルドが参加。
さらにトランペットでマイルス・デイヴィスが、サックスでデイヴィッド・サンボーンが参加しています。
シングルカットされた「アイル・ビー・オーヴァー・ユー」がUSAで11位を記録したのを始め、「ウィズアウト・ユア・ラヴ」などのロマンティックなバラードが次々とACチャートを上昇。
アルバム・チャートでは、USAで40位に、日本のオリコンLPチャートでは3位を記録する大ヒットアルバム。
TOTO中期の名盤として高い人気を誇っています。
2015年
3月
15日
日
レコードの「ジャケ買い(*)」と同様にタイトルだけで買ってしまった本。
このようなタイトル、好きです。
本のタイトルから・・・、「どぜう=ドジョウ=駒形=幕末」の図が頭に浮かび、目次の書き方も面白く、即購入。
想像した通り、なかなか面白い本でしたよ!
(*)内容は解らないが、ジャケットの良さだけで買ってしまうこと
小学生の頃、父親と一緒に金沢文庫の通称「坊主山」裏の新田にドジョウをとりにいった事があります。
この新田、現在ではお洒落な住宅街になっていますが・・・・。
終戦後3年目に生まれた小生の小学生時代は、まだまだ食糧事情が悪くってね・・・・。
当然、とったドジョウは、夕食のオカズに・・・・。
そのときの記憶なんだろうか・・・・・、ドジョウは泥くさく骨っぽいとなんとなく思っていたのですが、友人と一緒に始めて浅草の「駒形どぜう」で食べたドジョウ鍋は、美味しかったな~!!
丸鍋にぎっしり並んだドジョウの上に、葱を山のように盛る。
葱がしんなりしてきたら、山椒をお好みでふりかけ、冷酒を飲みつつドジョウを食す。
これが美味しくってね・・・、通いつめた時期がありました。
その後、渋谷にもお店があることを知り、渋谷のお店にもずいぶん通いましたっけね・・・。
「どぜう屋 助七」は、江戸時代から 200余年続いている浅草の老舗「駒形どぜう」が舞台。
動乱の幕末から明治初期を生きた、何事にも前向きな三代目主人「助七」を中心に、店に来る様々なお客との人生模様を描いた時代小説です。
黒船騒ぎあり、大地震・大火事あり、彰義隊の上野戦争あり・・・・・。
江戸庶民の目からみた江戸幕末から明治元年にかけての江戸の世相が色濃く映し出されます。
土佐勤王党の武市 半平太や「人斬り以蔵」こと岡田以蔵も登場するんです。
余談ですが、司馬遼太郎の「人斬り以蔵」も面白いからね!!
小説では、三代目主人「助七」が死んだところで終わります。
しかし、実際の浅草「駒形どぜう」は、関東大震災や第二次世界大戦で店が全焼したそうですが、江戸の味と建物は現在の七代目へと引き継がれていります。
ア~ッ、また浅草「駒形どぜう」の暖簾をくぐりたいな~!!
2015年
3月
09日
月
江戸から明治への移行期、混乱の世を襲った江戸の大火事。
火の手が迫る小伝馬町牢屋敷から「鎮火後、三人共に戻れば無罪。一人でも逃げれば全員死罪」と言い渡され解放された曰くつきの三人の囚人 繁松・お仙・七之丞。
この三人が、千載一遇の自由を得て、命がけの意趣返しに向かった先で目にしたものは・・・・・。
ここから先は・・・・、書いてはいけませんネ!!
本書のラストが・・・・・・、びっくり・・・・です。
本当の主役は・・・・、誰?
数奇な運命に翻弄されつつも、時代の濁流に抗う人間たちが、激変の時をいかに生きるかを問うた作品。
面白いですよ!!
しかし、浅田次郎の「江戸の粋で、いなせな、べらんめぇ口調」は、本当に上手いな~と思います。
僕は、「壬生義士伝」のファンなのですが、もう一つ「天切り松」のファンでもあります。
「天切り松」とは、「天切り」の松蔵。すなわち屋根瓦をはがして屋敷に侵入する大江戸以来の離れ業「天切り」を稼業とした村田松蔵の通り名なんです。
松蔵は、盗られて困らぬ天下のお宝ばかりを狙い、弱いもの・貧しいものの味方になると言う伝説の大泥棒。
大正、昭和、平成と生き抜いて今は白髪頭の老人だが、その身のこなしの垢抜けないいなせな喋りっぷりは、最高です!
「天切り松 闇がたり」は、義理と人情に命を賭けた、粋でいなせな怪盗たちの胸のすく大活躍を描く作品。
こちらもお薦めです!!
集英社文庫1~5巻?
2015年
3月
08日
日
この企業名は、皆さん知ってますよね?
そう、「レコード針のナガオカ」です。
単に「ナガオカ」ではなく、あくまでも「レコード針のナガオカ」なんです。
レコード育ちには、脳裏に焼きついている超有名企業ですよね。
先日、「レコード針のナガオカ」アナログ部の方が・・・・「あるお方から、こちらのお店のことをお聞きしまして・・・、ご挨拶に伺いました」と、わざわざ山形よりご来店くださいました。
いろいろとお話を伺いしたところ、デジタル機器の影響により相当なダメージを受けたそうですが、現在もレコード針部門は頑張っていらっしゃるとのこと。
3代目現社長 長岡秀樹氏のインタビュー記事(2009年10月27日(火)日本経済新聞朝刊)によると・・・・、
「(レコード針は)ピーク時、月産100万本を誇った。・・・・82年に世に出たCDが86年には販売枚数でLPレコードを抜き、一気に音楽の主役に・・・。
そのため、89年はレコード針販売数が数千本に激減。返品がとまらず、倉庫は在庫の山に・・・。90年に会社を解散。最盛期に千人超いた社員を数十人に削減。
レコード針の生産継続のため山形ナガオカ(現ナガオカ)を残し、ナガオカ精密(山梨県大月市)と販売会社ナガオカトレーディング(東京・渋谷)を新設。
現在では、精密測定機器用の触針や小型マグネット、大規模集積回路の検査用プローブピン(先端部品)と、経営の多角化に成功。
レコード針の割合は、総売り上げの10%程度だが、針の国内の売り上げはこの10年、月産4万~5万本で推移している」そうです。
良かった、良かった!!
「レコード針のナガオカ」は生きているし、企業自体も成功しているようで・・・、良かったな~!!
デジタル機器が普及した1980年代後半、先代社長 長岡栄一氏は相当苦悶したそうです。
「CDはレコードより優れているのか。レコードは無くなってしまうのか。世界に何十億枚とあるレコードも捨てるのか。レコードの溝に刻まれた音源と共に、人々の心に刻まれた懐かしい記憶までも捨て去ってしまうのか」と・・・・。
現社長の「レコードを聴くファンはいなくならないよ」という言葉により、会社は整理統合されたがレコード針の生産を続けたそうです。
レコードを愛する方々からも励ましの手紙をたくさん頂いたそうです。
91年の雲仙・普賢岳の噴火災害で被災された初老の男性から「土石流で家が流されたが、残された倉庫でホコリをかぶったレコードプレーヤーを発見。若いころに聴いた曲をかけてみると、思い出がよみがえり、涙が止まりませんでした。レコードが聴けなくなると、生きる勇気がなくなってしまいます。これからも頑張ってください」と・・・。
「レコード針で飯を食わせてもらったんだから・・・・、オレは絶対にやめないぞ!」
「この先、世代交代が進んでも、デジタルオーディオが技術革新を遂げても、私たちは針を作り続けているだろう。半世紀にわたってレコード文化を守った責任があると思うから・・・・」。
「レコード針のナガオカ」さん、時代を超えてもレコードを・・・、アナログ・レコードを愛し続ける人がいます。
アメリカではレコードの売上がCDを抜いたそうですから、頑張ってくださいね!!
心より応援していますからね!!
2015年
3月
03日
火
先週は、「ブログを読んでくださっている方がいるんだな~」と、実感した週でした。
2/27金曜日の伊東 潤先生に続いて、2/28土曜日は2人組みの女性のお客様が「マスターのブログを読んで、グレンドロナックとオクトモアを飲みにきました」と・・・・。
嬉しいな~!!
HP(ホームページ)の訪問者数は毎月確認できるのですが、何となく一方通行のような気がしててネ・・・・。
でも、先週の2件の出来事でHP訪問者の“お顔” が見え、とても嬉しく思いました。
稚拙な文章ではありますが、これからもブログ等を大事にしていきたいと思っておりますで、今後とも宜しくお願いします。
2015年
3月
01日
日
人間って、想定外の出来事が起きた時、どんな表情になると思いますか?
人それぞれ違うと思うのですが・・・、僕の場合・・・・「エ~ツ!ウソ~ッ!ありえん・・・!」と、思うと同時に思考回路が遮断し、行動が緩慢になり・・・・沈黙の世界に・・・・。
この時の僕の表情は、多分漢字にすると「呆然」ということになるんでしょうかね・・・・。
で、突然のできごとに呆然と立ち尽くすぐらいびっくり仰天なことが27日の金曜日に起こりました。
ナッ、ナント・・・作家の伊東 潤先生がご来店くださったんです!!!
27日金曜日19時過ぎに男性2名・女性1名のお客様がご来店。
その中の男性お一人が席に荷物を置くと名詞を出しながら「私は作家の伊東 潤です。
マスターがブログで書いてくれた『黒南風の海』の作者です」と・・・。
「黒南風の海」に関してのブログは、2014年1月16日をご参照ください。
もう~、これで頭が真っ白に・・・・。
面白く読ませていただいた本の作者が目の前に現れるなんて・・・、誰も思いませんよね。
本を通してしか知らない先生が・・・・、僕のブログを読んで下さったなんて・・・。
作家ですよ、プロの作家ですよ・・・・!
文筆業を生業としているプロの作家 伊東先生が・・・、僕の拙い文章を読んでくださったなんて・・・・、
もう~冷や汗もんですよ。
穴があったら入りたい気持ちになりますよ・・・・。
その後、少し落ち着いてきたので先生といろいろとロックのお話をしました。
先生は、ロックが好きで、とりわけイタリアのプログレが好みだそうです。
そこでリクエストを頂いたのはARTI MESTIERI(アルティ・エ・メスティエリ)の「TILT」。ご同行の出版社の編集者が「そんな訳のわからないのは無いでしょ!」と言うと、先生は「ちゃんとレコードリストも見ているので、この店には有る!!」
もう~、レコードリストまで見てくださっていたなんて・・・・、もう、もう~感激です!!
次のリクエストは、「初めてのLIVEは、日本の頭脳警察が前座だったスージー・クアトロ」と言うことで「キャン・ザ・キャン」を。
ご同伴の編集者の方は、PPMやブラザーズ・フォーなどのフォーク系を中心に聞いてお帰りになりました。
伊東先生、また機会がございましたらお会いしたいですね。
お時間がございましたら、寄ってくださいね!!
余談ですが、僕は山田風太郎が大好きなので、第4回山田風太郎賞受賞した「巨鯨の海」は読まなければいけませんね!!
*このブログは、伊東先生のご許可を頂いております。
●ARTI MESTIERI(アルティ・エ・メスティエリ) / 「TILT」
ARTI MESTIERI(アルティ・エ・メスティエリ)は、イタリアのプログレ・ジャズ・ロックバンド。
1stアルバム「TILT」は1974年発表。
地中海民族の民族音楽とクラシックとジャズを見事に融合させたイタリアン・プログレを代表する作品として高い評価を得ています。
メンバーは6名ですが、特にドラムのフリオ・キリコは有名。
WHOのキース・ムーンも手数が多いことで有名でしたが、フリオ・キリコのドラム・プレイも資料によると驚異的なテクニック、怒涛の如くおかずをぶち込む手数の多さは最高とのこと・・・。
●Suzi Quatro(スージー・クアトロ)
彼女は、USAのロックミュージシャンで1970年代に活躍。
とても可愛い娘なんですが、ベースを弾きながら迫力の有る歌い方がとてもカッコ良く、当時好きだったな~・・・。
1973年発売の2ndシングル「キャン・ザ・キャン」は、ヨーロッパ及びオーストラリアでNo.1になる大ヒット。
その後も「48クラッシュ」はUKチャート3位、「デイトナ・デモン」はUKチャート14位の大ヒット。
1973年のUK-Best Selling Artist/Female/Singleの第1位となりました。
74年にも「悪魔とドライブ」がUKチャート1位、「トゥ・ビッグ」がUKチャート14位、「ワイルド・ワン」がUKチャート7位とUKで大ヒット。
でも、肝心の出身国USAではほとんど売れなかったのは、何故なんだろいうか・・・・?