2015年
10月
26日
月
実に面白い本でした。
今の岐阜県にあたる西美濃から江戸城まで、12泊の参勤交代をつぶさに描いた時代小説なんです。
参勤交代は、時代劇映画の中でしか見たことがないのですが、何時も百姓・町民の土下座しか記憶に無くってね・・・・。
この本を読んで当時の参勤交代や道中の日々がどのようなものであったか、初めて分かりました。
「一路」とは、蒔坂 左京大夫(まいさか さきょうのだいぶ)西美濃田名部郡を領分とする7500石の旗本である小野寺 一路(おのでら いちろ)の名前。
とは言え、小野寺 一路は、江戸育ちの19歳。
彼は、父の不慮の死(屋敷の失火)により家督を相続し、蒔坂家の御供頭として江戸への参勤を差配することになる。
しかし、父親からお役について何も伝授を受けていない。
参勤交代に関して残っているのは、二百年以上前の家伝「行軍録」~現代風にいえば参勤交代マニュアル本~のみ。
この「行軍録」のみで、西美濃から江戸城までの参勤交代となるわけですが・・・・、江戸に着くまで失敗は許されない。
お役目を果たせなければ家禄召し上げという身で、江戸育ちで参勤交代の知識も経験もない若者がまさに命がけで本分を全うしようと突き進む姿から「人が守るべき訓えとはなにか?」、「貫くべき義とはなにか?」、はたまた「組織に生きる人間の心理、人を動かす力とは何か?」をも考えさせられます。
コメディ色も強いですが、ちゃんと感動させてくれる実に面白い本でした。
余談だけど、この本を読みながら「一路」と一緒に中山道を歩いている気分になっちゃってネ・・・、
学生時代に中仙道の妻籠・馬籠などを旅したのを思い出しちゃいました。
第3回「本屋が選ぶ時代小説大賞」受賞作
中公文庫:上下巻2冊 691円×2冊=1,382円
2015年
10月
23日
金
“スモーク&ハニー”と評されている「ハイランド パーク」。
そのお仲間で今年日本上陸したのが「ハイランドパーク ダーク・オリジンズ/Highland Park Dark Origins」。
ウイスキー専門家やシェリーカスク愛好家が「シェリーカスク熟成の甘く複雑な芳香が最高!」と、大絶賛されたシングルモルトです。
ノン・エイジ表記なのにファーストフィルのシェリーカスク熟成原酒が、スタンダード「ハイランド パーク12年」より2倍も使用。
因みに、熟成樽の構成比は、ファーストフィルのヨーロピアン・オークシェリー樽が60%、アメリカン・オークシェリー樽が20%、リフィルシェリー樽が20%となっています。
贅沢にファーストフィルのシェリー樽を使っている為、酒色は濃い豊かなマホガニーカラー。
グラスに注ぐとシェリーカスク由来の甘く複雑なスパイスの香りが最高のアロマを生み出しており、全モルトの中でも「出色の食後酒」と非常に評価が高いシングルモルト。
甘みのあるスモークの香りが長く続く究極シングルモルト「ハイランドパーク ダーク・オリジンズ」をぜひ一度ご賞味下さい!!
Highland Park Dark Origins (ハイランドパーク ダーク・オリジンズ)
シングル : 1,150 円
● 「Highland Park Dark Origins」 ネーミングの由来
オークニー島の闇の中で1700年代の終わりにハイランドパークの礎を築いた創業者マグナス・ユンソンにインスピレーションを受けて命名されたそうです。
ユンソンは、密造時代に“闇のヒーロー”といわれ、昼間は人々のために教会であくせくと働きながら、夜は密造酒作りに励んだとか・・・。
そこで、“ Dark ”なんですね!
● ハイランドパーク蒸留所
蒸留所は、「アザラシの島」の意味をもつオークニー諸島最北のメイランド島の丘にあります。
1798年創業。
200年以上もその伝統と職人の技を守り続け、世界中のウイスキー専門家や愛好家を魅了し続けている蒸留所。
シングルモルトを熟知したロンドンのプロバーテンダー達は「ハイランド パーク」を“スモーク&ハニー”と評しています。
“スモーク”とは、メインランド島の大地から採れる8,000年から16,000年余りの歳月を経た貴重なピート(泥炭)で原料の大麦を乾燥する際に焚くため、麦に付着した独特なスモーキーフレーバーを言います。
また、“ハニー”とは、十分な熟成が生む上質なコニャックのような甘さを言います。
この両者が一体となったのが「ハイランド パーク」の最大の魅力!!
2015年
10月
19日
月
「お店の掲示板ガラスが、割られているよ!」と、お隣の立ち喰いそば「越後や」さんのお嬢さんから妻にメール・・・・・。
ショック!
「又しても・・・・、もうこれで2度目だよ!!」と、泣きつつ慌ててお店に・・・。
前回同様向かって左側のガラス・・・・・。
警察の方にご足労願い、事情・状況説明。
また、修繕の為に不動産屋に連絡したりし、ガラスの破片を片付け危険が無いように片付け、帰宅。
このようなことは、とても疲れますよね~!!
「越後や」さんのお嬢さんの話によると・・・・
割られたのは、本日19日月曜の午前4時ごろ。
「越後や」さんのお母様が仕込みでお店に入ったとき、当店の前で喧嘩があったそうです。
結構な喧嘩らしく、警察の方も来ていたとか・・・・。
喧嘩していた人は、その後タクシーで帰ったそうですが・・・、このような場合は調書を取ったりするんだろうか・・・・。
もし取っていれば、犯人は簡単に捕まると思いますが・・・・。
立ち喰いそば「越後や」さんのお嬢さん、ありがとうございます。
今後とも宜しくお願いしますね!!
それにしても疲れました。
2015年
10月
11日
日
本日昼、TVを付けたらNHK「アーカイブス」でファーブルの特集をやっていました。
本日11日は、ファーブル(1823年12月21日~915年10月11日)が逝去して100年目なんですって!
皆さんもご幼少の頃、読んだことがあると思いますが、ファーブルといえば「昆虫記」ですよね。
「ファーブル昆虫記」は、ファーブルが若い頃から手がけてきたいろいろな種類の昆虫の習性を研究し記した書物。
でも、堅苦しい科学書・研究論文のような体裁ではなく、読み物的な語り口と擬人化した表現が多いため、一般的な読み物として評価されています。
何故読み物的にしたかというと、ファーブルは若い頃学校の先生をしていたので、生徒達や読者に昆虫の謎や世界を楽しく学べるようにしたかったようです。
それが「昆虫記」の大きな魅力になっているんですね。
ロマン・ロランやメーテルリンクなども愛読者だったそうですよ!
アンリ・ファーブルの墓碑銘には、「死は終わりではない、より高貴な生への入り口である」と記されています。
自然界は過酷だが、どんなに小さな生き物もそれぞれが大切な役割を担い、全てが繋がりあい循環しあう一つの大きな「命」なのだ。
自分の一番大好きな事を突き詰めた結果、「人間も同様」なのだという一つの世界観、人生観にまでたどり着いたファーブルをもう一度読み直したいと思います。
ところで、この「ファーブル昆虫記」を日本語に初翻訳し紹介したのは誰だと思います?
以外や以外・・・、明治・大正時代のアナキスト大杉栄なんです。
ファーブルの原題『昆虫学的回想録』に『昆虫記』と表題を付けたのも大杉栄。
しかし、1922年に第1巻を訳し終えたのですが、この「昆虫記」は未完に終わってしました。
というのも、翌年憲兵隊の甘粕正彦と甘粕の部下に虐殺されてしまったからです。
その甘粕大尉は、終戦直後満州で服毒自殺してしまいますが・・・・・・。
この辺の時代背景もとても面白いんですけどね・・・・、余談ですが・・・・。
読書の秋。
秋の夜長に「スカラベ(和名:糞ころがし)」や他の昆虫の世界を逍遥するのも面白いかもしれませんね!
2015年
10月
05日
月
先週は、20代後半の好青年2名からとても嬉しいお話がありました。
お一人は、「ベンリアック・シェリーウッド12年」と「Van Halen」、「Top Gun」をこよなく愛する28歳の青年。
彼は高校卒業後、航空自衛隊に入団し、ジェット機を操縦していたとか・・・。
その時の写真を見せてくださいましたが、カッコいいんですよ!
で彼は、これまでの自分の生き方、今後の人生を考え、一念発起し猛勉強を・・・。
この度、約10年間の航空自衛隊ジェット機操縦技術を活かし、大手航空企業に入社しました。
「最終的にはジャンボジェットのパイロットになって世界中を飛ぶのが目標!!」と、嬉しそうに話をしていました。
今週はもう大阪に着任していますが、最後に挨拶に来てくれました。
もう一方は。「響」「山崎12年」等のジャパニーズ・ウイスキーと「Carole King」をこよなく愛する28歳の青年。
彼は高校卒業後、ある企業で営業をやっていました。
今年2月後半に「昨年(2014年)はとても良かったです。営業でトップになり表彰されましたよ!」と言って喜んでいました。
その後、まったくお顔を見せませんでしたが、先週ニコニコしながらご来店。
「この度、消防士の試験に合格し、東京に移ります」とのこと。
実家が東日本大震災を経験しているので、「最終的にはレスキュー隊に入団し、少しでも困っている人を助けること」が目標とのことです。
このように、若くてもこれまでの自分の人生を見つめ直し、自分の人生目標を持ってしっかり生きている青年がいることはとても嬉しいことですね。
今後も、いろいろと嫌なことがあり悩んだりすることが少なくないかもしれませんが、自分の目標に向かって頑張ってくださいね。
心から応援していますよ!!
2015年
10月
04日
日
「じゃ~、行って来るね!」と妻が、本日2015年10月4日施設建て替えにより閉館される渋谷公会堂の最後のライブに・・・・。
そう、同会堂の最後を飾ったのは、沢田研二です。
妻は、タイガース時代からの沢田研二ファン。
それも筋金入りのファン!
帰宅してから「公会堂が無くなるのはとても淋しいけど、コンサートは最高!! 懐かしい曲が全て聴けた!」ととても喜んでいました。
渋谷公会堂は、太平洋戦争以前は大日本帝国陸軍の代々木練兵場であり、終戦後には連合国軍占領下で設置された在日米軍施設「ワシントンハイツ」の跡地。
その跡地に建設されたのが、渋谷公会堂や国立代々木競技場、NHK放送センター、渋谷区役所などです。
同公会堂で僕らが一番記憶にあるのは、1964年(昭和39年)東京オリンピックで重量挙げ競技の会場として使用され、三宅義信氏が金メダルを獲得したことです。
海外アーチストのライブでも何回か行った記憶がありますが、やはりドリフターズの「8時だョ!全員集合」や「NTV紅白歌のベストテン」、「ザ・トップテン」、「歌のトップテン」等日本の歌番組で使用されていたこですね。
今叫ばれている地震を思うと、同公会堂の老朽化による立替はしょうがないですよね。
これで一時閉館し、2018年に新装オープンする予定だそうです。
その時の杮落としは、誰なのか楽しみですね。
それにしても、沢田研二は凄い!
同公会堂の幕引きライブをやるなんて・・・・。
2015年
10月
04日
日
ラグビー・ワールドカップ、日本はサモア戦に26-5で勝ち2勝1敗になりましたね。
お客様と一緒にラクビー観戦・・・・、と言っても映像のみ。
LAD ZEPPLIN、Rainbow、Whitesnake等ハードロックのレコードを中心に聞きながら一喜一憂の観戦。
勝利した時はお客様から「Queen!Queen!行こう!」と言うことで、1977年発表の6枚目アルバム「News Of The World/邦題:世界に捧ぐ」から「We Will Rock You」と「We Are the Champions」を・・・・。
もう、お客様全員で大合唱に!!
日本は、よく頑張ったよね。
まだまだ予断を許さないが、この調子で何とかアメリカ戦(11日午後8時/日本時間12日午前4時)にも勝って、初のベスト8入りしてくれるともっと盛り上がるのにね!!
「頑張れニッポン!!」チャッ・チャッ・チャッ!!