2013年
7月
18日
木
“歴史”と言うのは、常に勝者・権力者の記録であり、敗者の記録はほとんど語られることはないよね。
でも、そんな敗者の艱難辛苦を一身に受けた歴史の生き証人の記録があるんです。
それが、同書です。
今年の5月頃、新聞広告で知り即購入。
初版の発行日を見たら・・・・、何と1971年5月!
エッ、エッ! 僕が大学時代に出版されていたの?
こんな良い本を40年以上知らなかったんですね・・・。
同書は、会津人 柴五郎が晩年石光真人氏に話聞かせたものをまとめた本で、出生・少年時代から始まり、明治時代の士官学校までとなっています。
柴五郎は、会津藩士の5人の男子と6人の姉妹の5男坊として万延元年5月3日(1860年6月21日)に生まれ、10歳の時に戊辰戦争の一環となった会津戦争に巻き込まれます。
幕末の会津藩の悲劇は知っているよね。
中でも白虎隊の話しが有名だよね(このお話・・・、泣けます!!)
会津戦争では、会津藩は薩長に対して下記の体制で迎え撃ちました。
白虎隊:16歳~17歳(予備隊)
朱雀隊:18歳~35歳(実践隊)
青竜隊:36歳~49歳(国境守護隊)
玄武隊:50歳以上
当時、柴五郎はまだ10歳だったので白虎隊にも入れなかったけど、子どもながらに悲惨な戦争を味わった。
現在、NHKで放映されている八重さんが孤軍奮闘している時だよね。
会津戦争で柴家ではチョット情けないというか悲しいと言うか・・・・、柴家の女性陣~祖母、母、姉、兄嫁、妹の五人が戦の足手まといになることを恐れて全員自決してしまう。
でも男性陣は・・・・・、全員生き延びてしまった・・・・・・。チョット・・・・・、悲しい!!
生き延びた会津藩の人達は、戊辰戦争後に「賊軍」となり、男連中は下北半島に追放されて、流刑地のような津軽の地で餓死線上の日々を過ごすなど、塗炭の苦しみを味わったそうです。
そんな中、柴五郎は、紹介者により藩校・日新館、青森県庁給仕を経て、明治6年(1873年)3月に陸軍幼年学校に入校。
明治10年(1877年)5月、陸軍士官学校に進み、同12年(1879年)12月、陸軍砲兵少尉に任官され、翌年12月に士官学校を卒業。
彼は、陸軍部内きっての中国通としても知られ、事ある毎に中国へ派遣されたそうです。
1900年の「義和団の乱」では、柴五郎は配下の日本兵と共に勇猛果敢に戦い、欧米各国から称賛と勲章をもらう。
米国の新聞「タイムズ」の記者ジョージ・アーネスト・モリソンの報道により、欧米で広く知られる最初の日本人となったそうです。
余談ですが、この「義和団の乱」は、1963年にチャールトン・ヘストン主演の「北京の55日」と言う映画になりましたね。
この時の日本軍の大将が柴五郎(演じたのが伊丹十三)だったのを初めて知りました。
高校1年の時に八景シネマでみて興奮したのを覚えています。
「ある明治人の記録~会津人柴五郎の遺書」は、北清事変(義和団の乱)で名をあげた元陸軍大将・柴五郎の少年時代の聞き書きですが、薩長中心の維新史を敗者「賊軍」から記録したとても貴重な資料だと思います。
2013年
7月
16日
火
今、友人より連絡あり、ポールの来日が決定したそうです。
11月18日から3~4回の公演。
チケット代が1枚16,500円らしいのですが、抽選になるそうです。
高い!
でも、今度で本当に最後かもしれませんので、友人にお願しました。
情報では、Beatlesの初期のナンバーも演奏するとか・・・?
頑張りましょう!!
2013年
7月
15日
月
連日の猛暑・・・。
結構つらいよね。
節電を心がけようと努力はしているんですが・・・・、体が気怠くなるので・・、ついついクーラーを・・・。
6月も色々な方がレコードを持ってきてくださいました。
遅くなりましたが、やっと少しご紹介できます。
● BRUCE HORNSBY 「Scenes From the Southside」
MATUMOTOさんより。
BRUCE HORNSBYが1988年に発表した2ndアルバム。
USAビルボード・アルバムチャート5位を記録。
ここからシングルカットされた「The Valley Road」が5位、「LookOut Any Window」が35位に・・・。
また、収録の「The Show Goes On」が、映画「バックドラフト」に使われたりと話題の多いアルバムです。
BRUCE HORNSBYのピアノは、何故か“ホッ”としますね!
● MontRose 「1st」
ブルース・ギタリストJohnny Winterの実の弟が結成したEdgar Winter Group.
そのギタリストRonnie Montroseを中心として結成されたのがMontRose。
同アルバムは、1973年に発表された1stアルバム。
70年代アメリカン・ハード・ロックの名盤です。
このグループから後にVAN HALENでも活躍するSAMMY HAGARがいたことでも有名。
● ROLLIMG STONES 「12×5」
ストーンズがマディ・ウォーターズやチャック・ベリータチらを尊敬しているのは、知ってるよね。
彼らが所属していたのが、先日ご紹介した映画「キャデラック・レコード」ことチェス・レコード。
「12×5」は、そのチェスのスタジオでレコーディングし1964年に発表したUSA 2ndアルバム。
ロックンロールやリズム・アンド・ブルースのカバーがメインですが、ストーンズの彼らに対する憧れや尊敬が感じられる素晴らしいアルバム。
USAビルボード・アルバムチャートで3位を記録。
2013年
7月
07日
日
この映画、2009年8月に公開されたようなので観ている方も多いかと思いますが、小生は先日録画で・・・・。
感激!!
実に面白い映画!
まだ見ていない洋楽好きには、必見の映画だとおもいます。
1950年代から60年代に活動し、のちの音楽シーンに多大な影響を与えたシカゴの伝説的ブルース・レーベル“チェス・レコード”の盛衰を描いたアメリカ音楽史ドラマ。
“チェス・レコード”は、デビュー前のビートルズやローリング・ストーンズたちが憧れていたマディ・ウォーターズやチャック・ベリーが所属していたレコード会社なんですから・・・・。
1947年のシカゴ。
若くて野心家のポーランド系移民 レナード・チェス。
彼は、サウスサイドでバーを経営。
そこで、物静かなギタリスト マディ・ウォーターズと凄いテクで派手好きなハーモニカ奏者 リトル・ウォルターに出会う。
チェスは彼らのブルースサウンドに魅了され、急激に発展しつつあるレコードビジネスに目をつけレコード会社を設立。
発売された彼等のアルバムは、徐々にR&Bチャートを上昇し、ラジオでも繰り返し流され、ヒット曲となっていく。
1955年には、“ダック・ウォーク”でロックンロールの創始者となったチャック・ベリーや、才能豊かな若い女性アーティストのエタ・ジェイムズなどの所属アーティストが続々とアメリカの音楽業界の中心に躍り出ていく。
彼らの音楽はロックンロール誕生の礎となっていくんだけどネ・・・。
チェスは、彼ら所属アーティストを家族同様に扱い、ヒットのご褒美として車を買い与えていました。
その車が“キャデラック”。
この“キャデラック”は歴代のアメリカ大統領や各国の王侯貴族、ベーブ・ルースやジョー・ルイスなどのスポーツ選手等が愛用している高級車の代名詞的存在。
だから、ステータスの象徴としてこの車をご褒美にしていたんだね。
この映画は、50年~60年代にかけてブルースからロックへと変貌していくアメリカ音楽に大きく貢献したレーベル「チェス・レコード」をジックリと描いているんだけど・・・・・・、チョット残念なところもあります。
と言うのは、当時黒人音楽はレイス・ミュージックと呼ばれ差別されていた時代。
それなのに、何故レナード・チェスは人種差別をせずに黒人音楽に目を付けたんだろうか・・・。
レナード・チェスの価値観や背景がもう少しわかると、もっと面白くなっていたかも・・・・ね!!
2013年
7月
06日
土
「ノーランズを聞かせて!」と、ポップ好きの男性二人組。
お話を伺っていると、ノーランズの5女通称バーニーが乳がんにより7月4日にお亡くなりになったとか・・・・。
お年は、52歳だったそうです。
当店にあるノーランズのレコードは、シングル盤で2枚。
1980年発表の「ダンシング・シスター/I'm in the Mood for Dancing」と「恋のハッピー・デート/GottaPull Myself Together」。
早速、リクエストに応じ、供養させていただきました。
80年代ポップスが好きな方は当然知っていますよね。
ノーランズは、1970年代後半から1980年代前半にかけて人気を得た、イギリス(生まれはアイルランド)の姉妹グループ。
「ダンシング・シスター/I'm in the Mood for Dancing」は、UKシングルで3位、日本でも大ヒットしオリコンで1位獲得。
ノーランズの曲は、日本では1980年に石野真子が「恋のハッピー・デート」を、1990年にWinkが「セクシー・ミュージック」を、2007年にはキグルミが「ダンシング・シスター」をカバーしているそうです。
しかし、乳がんは怖いね・・・。
先日も女優のアンジェリーナ・ジョリーが、乳がん予防のため乳房の切除・再建手術した報道されていましたよね。
ノーランズの5女通称バーニーに合掌!!
2013年
7月
05日
金
昨晩木曜日は、「オールデイズ」ファンのご要望にお応えしての第1回「オールデイズの日」。
当然、木曜日が「オールデイズの日」と知らないお客様もいらっしゃいましたが、ご説明申し上げご理解いただきリクエストを・・・・・。
最初はビートルズの初期のアルバムが中心でしたが、中年のカップルがお見えになってからは、リクエストも50年代後半から60年代初頭の曲になり、文字通り「オールデイズの日」に・・・。
女性のお客様から「ニール・セダカお願い!」と言うことで、「恋の片道切符」を・・・。
ニール・セダカと来たら次は当然ポールアンカだよね。
代表曲「ダイアナ」をおかけすると、ノリのよい妙齢の女性が「踊ろうよ!」と、周りのお客様を誘ってツイスト大会に・・・・。
こうなれば、選曲は比較的楽だよね。
某ケントスで流れているような曲を中心に流せばいいのだから・・・。
ダイアナに続いて、ジーン・ピットニー「ルイジアナ・ママ」、デル・シャノン「悲しき街角」、チャビウー・チェッカー「ザ・ツイスト」、コニー・フランシス「大人になりたい」、「アツト・ザ・ホップ」・・・・・。
中年カップルのお力で「オールデイズの日」は、大いにに盛り上がりました。
感謝です。
来週の木曜日もオールデイズで頑張りますよ!!
ひょっとしたら、ツイスト大会になるかも・・・・?
●ツイストの生みの親Chubby Checker/The Twist
ツイストブームは、このChubby Checkerの「The Twist」から始まったといわれています。
「The Twist」は1960年に発表され、USAビルボード誌で、1960年9月19日に、週間ランキング第1位を獲得。
ビルボード誌の1960年年間ランキングでは第6位となりました。
また、1961年にChubby Checkerが「エド・サリヴァン・ショー」に出演し「The Twist」を歌ってから全米のラジオ局が再び「ザ・ツイスト(ツイスト・No.1)」をかけ始めたので、レコード会社が再発したところ1962年1月13日に、再びビルボード週間ランキング第1位を獲得。
ビルボード誌1962年年間ランキングでも第1位を獲得。
日本でも当時大流行!
現在でもツイストは、確実に受け継がれていますよね!!
2013年
7月
03日
水
●大阪土産「551の豚まん」
お客様のSUYAMAさんが、「大阪出張のお土産!」ということで「豚まん」いただきました。
小生、これまで「豚まん」なるものを食べたことなし・・・。
「肉まんと違うの?」
恥ずかしながら、調べてみたら(調べるほどじゃないけどネ・・・)、大阪は牛肉文化のため、単に「肉」と言うと「牛肉」を指すそうです。
だから、大阪では「豚肉」ということを強調するために、肉まん・中華まんをあえて「豚まん」と呼ぶんだそうです。
閉店後、辛子多めの辛子醤油につけていただきました。
ウッ、美味い!
こんな美味い肉まんを食べてこと無い・・・。
コンビニの肉まんに慣れている妻も「美味しいね!!」と・・・。
「551の豚まん」・・・・侮れません。
ありがとうございます、SUYAMAさん。
また、美味しいものを体験させていただきました。
しかし、食べ物は奥が深いですね~・・・。
心から感謝!!
●52歳ですか・・・残念だったね・・・・。
青森県からHIRAIさんがご来店。
お父様の仕事を継ぐために青森県に帰っていましたので、約1年半ぶりの再会。
彼は船で仕事をしており、2年前ぐらいに当店にお見えになった方。
船が川崎に着くたびに当店に寄ってくれてね・・・。
船に乗っている時の最大の楽しみは音楽とか・・・。
当店で好きな音楽を聴き、他のお客様のリクエストで気に入った曲があるとCDを買うという。
もともとPopsとRockを教えてくれたのがお母様だそうです。
そのお母様を彼が一度お店にお連れしてくれたことがあります。
とても若々しくかわいいお母様で、最初は30後半ぐらいにしか見えないお母様。
そのお母様が癌(悪性リンパ腫)でお亡くなりになったとか・・・。
まだ若干52歳。
辛いよね~、悲しいよね。
彼が母親を看病している時に母親が突然「もう一度、あのお店に行きたかったね!マスターに教えてもらったアランパーソンの曲を聴きたかった・・・」と言ったそうです。
その話を聞いた時には思わず涙が・・・・。
彼と一緒にアランパーソン「ドント・アンサー・ミー」を聴きながら・・・、合掌!!
アラン・パーソンズは、もともとビートルズやピンク・フロイドなどの作品を手掛けてきたアビイ・ロード・スタジオのエンジニア。
そんな彼がプロジェクトを立ち上げたのがアラン・パーソンズ・プロジェクト(The Alan Parsons Project)で、1975年にデビュー。
名前の通り、あくまでもプロジェクト形式の音楽集団なので固定メンバーはアランとエリックの2人だけで、レコーディング毎に参加メンバーは変わってます。
準レギュラーとして、元パイロットのデヴィッド・ペイトンとイアン・ベアンソンの2人。
1stアルバムの「怪奇と幻想の物語〜エドガー・アラン・ポーの世界」は、グラミー賞にもノミネートされ高い評価を得ています。
その他シングル・ヒットとしては、「アイ・イン・ザ・スカイ」(全米3位)、「ドント・アンサー・ミー」(全米15位)、「タイム」(全米15位)など。
HIRAIさんのお母様が好きになってくださった「ドント・アンサー・ミー」は、1984年に発表されたアルバム「Ammonia Avenue」に入っています。
UKで24位、USAで17位にランキングされました。
●木曜日はオールデイズの日
オールデイズに関して、いろいろとお客様からのご質問をいただいてます。
その中で一番多いのは、時代と音楽のジャンル。
「オールデイズ」と言う言葉には、いろいろ諸説紛々あるけど、当店では次のような考えでやっていきたいと思っています。
時代的は、1950年代後半から1960年代中頃(66・67年ぐらい)。
単にビル・ヘイリー、チャック・ベリー、リトル・リチャード等のロックンロールだけではありません。
ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシス、リトル・エヴァ、ビーチ・ボーイズ、モンキーズ、シュプリームス、ヴェンチャーズなどのアメリカンポップス。
クリフ・リチャード、トム・ジョーンズ、シャドーズやビートルズ、ローリングストーンズの初期を含むリバプールサウンド。
更にジリオラ・チンクェッティ、ボビー・ソロ等のサンレモ音楽祭系。
シルビー・バルタン、フランス・ギャル等のフレンチ・ポップス‥等。
簡単に言えば、僕らが中学・高校の時、ラジオから流れてきた“洋楽”です。
「木曜日はオールデイズの日」と言っても、平日でもリクエストもできますからね!
●6月の入手LP
6月もお客様からレコードを頂戴しております。
近々ご紹介していきますからネ!!