2012年
5月
28日
月
京浜富岡での夢の子供部屋。
この子供部屋で過ごした数年間という時間は、自我形成の上でとても重要であった感がします。
当時、興味と言えば、釣り、読書、音楽だけ。
ファッションとか女の子には全く興味がなくってね・・・・。
どこに行くにも学生服で、後は母が買ってきた洋服だけ。
女の子に関しては、興味がなかったというよりは・・・・・、モテなかった、というのが本音。
気候が良くなると日曜日には釣りを、平日は本とラジオの生活。
本は昔から好きでネ、小学生時代に読んだ「少年少女世界文学全集」の延長で各社の文庫本を手当たり次第読み漁っていました。
漫画も大好きでね、1959年に創刊された少年サンデーと少年マガジンを毎週購入。
中学生になって初めて月500円のお小遣いをもらうようになった時は、狂気乱舞しましたね。
この金額が多いのか少ないのか判断しかねたけど、これまで自分のお金なんか持ったことはないし、誰にも相談せずにモノが買えるんだから・・・、こんな嬉しいことはなかったね!
岩波文庫の★1つが50円、少年サンデー・マガジンが30円の時代。
漫画2冊計60円×月4回で240円、文庫本月2~3冊で100~200円程度。
本購入だけでお小遣いはほとんど手元に残りませんが、”自分で買える”という行為が嬉しかったね!
小遣いが無くなると、後はラジオ聞きまくりの生活だったけど、毎日が満ちたりていたな~。
学校から帰宅後、すぐに自室に籠り本を読みながら惰眠を貪る。
夕食後も直に自室に戻りラジオを聞きだす。
勉強していたふりをして、夜11時ごろに好い子ブリッコ子で「オヤスミナサイ」と両親に言ってから、再度好きな本を読みながらイヤフォーンでラジオ。
気が付けば、夜が白々と明け始め、慌てて寝る。
こんな毎日じゃ、勉強なんかしてる暇がないよね。
当然、成績の定位置は学年ワースト3。
そのため、母親がよく学校に呼び出されていたらしいけど、「勉強しなさい!」という言葉を聞いたことがない。
改めて、母に心から感謝!
勉強ができず、成績が悪くてもね、人間いつかは真剣になるもんですネ。
「愚息、不肖の子、このタコ!」と言われ続けても、気が付けば定年退職できるくらい社会の中で生き続けられたんだからね。
ダメな子はダメなりに自分で考えて行動をするもんですネ!
1960年にラジオから流れていた代表的なヒット曲です。
・悲しきインディアン/ジョニー・プレストン
・本命はお前だ/エルヴィス・プレスリー
・恋には弱いの/コニー・フランシス
・ビキニスタイルのお嬢さん/ブライアン・ハイランド
・イッツ・ナウ・オア・ネバー/エルヴィス・プレスリー
・ザ・ツイスト/チャビー・チェッカー
・ラストダンスは私に/ドリフターズ
・わが心のジョージア/レイ・チャールズ
・グリーン・フィールズ/ブラザーズ・フォー
・オンリー・ザ・ロンリー/ロイ・オービソン
・ポエトリー・イン/モーション/ジョニー・ティロットソン
・グッド・タイミング/ジミー・ジョーンズ
・急がば回れ/ヴェンチャーズ ‥など
次回は、順次曲の紹介をしていきますからね!
2012年
5月
21日
月
ど~もいけません。
同世代のアーチストが次々に天国に召されてしまう。
モンキーズのデイビー・ジョーンズ(67才)、ドナ・サマー(63才)そして本日ビージーズのロビン・ギブまで(62才)・・・・、青春の1ページを彩ってくれたアーチストたちが・・・。
本当に・・・寂しいよね。
人の命の儚さを痛感したのは、65才で亡くなったピンク・フロイドのキーボード担当だったリチャード・ライト・・・・、それにしても多いよね
●Bee Geesビージーズ
バリー・ギブと双子のロビン・ギブ、モーリス・ギブ兄弟が結成。
第1期:1967年に「The New York Mining Disaster 1941/邦題:ニューヨーク炭坑の悲劇」でデビュー。
その後、To Love Somebody(1967年)、Massachusetts(1967年)、 Holiday (1967年)、 World(1967年)、Words (1968年)、I Started A Joke (1968年)、First Of May/邦題:若葉のころ(1969年)、映画「小さな恋のメロディ」のMelody Fair(1971年)とIn The Morning (1971年)etcビルボードのトップ20に入るヒット曲を連発。
このころの曲調は、心に響く癒し系の曲が休日に聞くと” ホッ!”とします。
1977年から始まる第2期は圧巻!!
ディスコブームに乗って、ジョン・トラボルタ主演の映画「Saturday Night Fever」が大ヒット!
サントラ盤はビルボードで24週1位を続け、全世界で4000万枚以上を売り上げ、グラミー賞最優秀アルバム賞を獲得しています。
シングルカットされた「How Deep Is Your Love/邦題:愛はきらめきの中に」、「 Stayin' Alive」、「Night Fever」が全米1位を獲得。
1979年に発売されたアルバム「Spirits Having Flown」から「Too Much Heaven/邦題:失われた愛の世界」、「Tragedy/邦題:哀愁のトラジディ」、「Love You Inside Out」が全米で1位を獲得。
その後も活躍し、全世界で2億3,000万枚以上レコードを売り上げ、現在に至るまでビートルズ、エルヴィス・プレスリー、マイケル・ジャクソン、ポール・マッカートニーと並び歴史上最も成功した上位5ユニットのアーチストとなっています。
●Donna Summer
「ディスコの女王」として君臨したのが1970年代後半としてから1980年代にかけて・・。
この年代に青春を過ごした人は、絶対忘れることはできないよね。
どこのディスコに行っても、必ずかかっていたもんね。
当店でも「I Feel Love (1977年)」、「Hot Stuff (1979年)」。「Bad Girls (1979年)」のリクエストは多く、皆さんノリノリです!
グラミー賞は、5回受賞のディスコ・クィーン。
●Davy Jones
僕らの年代で絶対に忘れられないバンドの一つがモンキーズ。
今の若い人も知ってるよね!?
そう!
現在でもTV-CMで流れているけど、忌野 清志郎がカバーしている「Daydream Believer」。
このリードヴォーカルがDavy Jonesなんです。
1966年デビュー曲「Last Train to Clarksville/邦題:恋の終列車」でデビュー。
日本でも「ザ・モンキーズ・ショー」という30分番組があって、毎週見ていましたね。
お客様の大半が見ていたそうです。
このTVのお蔭で、その後もヒット連発。
「Last Train to Clarksville/邦題:恋の終列車」USA 1位、「I'm A Believer 」USA1位/UK1位、「A Little Bit Me,A Little Bit You/邦題:恋はちょっぴり」USA2位/UK 3位、「Daydream Believer」USA1位/UK5位、「Valleri/:邦題すてきなバレリ」USA3位/UK 12位、・・・・。
皆に心から合掌!!
2012年
5月
15日
火
●14日付朝日新聞「天声人語」によると、130年前の明治15年5月14日に歌人であり精神科医の斎藤茂吉先生が誕生した日という。
こんな凄い人と当店の誕生日が同じと言うのは、何となく嬉しいよね。
茂吉さんの誕生から約120年後に曾孫・由香さんとお仕事ご一緒できたのも何かの縁かもしれないね。
明治15年といえば、大好きな西郷隆盛の西南戦争から5年後だよね。
そんな時代に当然ロックなんかは無いけど、斎藤茂吉さんはハードロック・ヘビメタを聞いたら、どんな反応を示すんだろうか?
日本版「Back to the Future」・・・・、妄想は、限りなく広がります!!
●紋谷コレクションの紋谷さんがお友達の山田さんと久しぶりに笑顔でご来店。
ご自分の好きな音楽を聴いている時のお顔は、とても素敵です。
現在は、「頑張れ!」と言う言葉はタブーらしいけど、僕らの世代で紋谷さんにかける言葉は・・・・、やっぱり「頑張れ!」です。
心から応援していますよ!
●当店は、地味なロックバーなので何のイベントもやりませんでしたが、いろいろなお客様から嬉しいお言葉を多数いただきました。
本当に本当に、心から感謝申し上げます。
ロックのリズムに体がついていける限りお店をやっていきたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願い申し上げますネ!!
2012年
5月
14日
月
本日5月14日でPops & Rock Bar “Tears Drop”は、3周年を迎えることができました。
これも偏にお客様の暖かいご支援とご協力があったからこそと心から感謝いたしております。
まだまだ至らない事ばかりで恐縮ですが、3周年を契機に”音楽の街川崎”に少しでも貢献できるよう頑張りますので、今後ともご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。
今年も大変な年になっていますね。
震災の復興もままならないのに、消費税、電気料金など・・・、頭の痛いことがイッパイ!
こんな時代だからこそ音楽は重要ですよ。
音楽は心を癒してくれますからね!!
これからも笑顔と音楽を忘れず、明るく前を向いて歩いていきましょうね!!
今後とも宜しくお願いもうしあげます!
2012年
5月
07日
月
本日は、誠に申し訳ございませんでした。
人生3度目の救急車でした。
4日ほど前から胃が重痛く、何となくしっくりしない状態が続いていましたが、連休中だったので本日午前中に病院へ。
薬をいただき昼食後お店に入り、オンザロック用のロック氷を作り始めたところ、急激に胃と左側の腹・腰・背中が痛みだし、あっという間に七転八倒・のた打ち回る程の激痛・・・。
どのような体勢をとっても、大の男が涙を流すくらいの激痛!
七転八倒とはよくぞ言ったもんです!
激痛で冷汗流しながら救急車で病院に。
診断結果は、・・・尿管結石。
この激痛、経験してみないとわからないだろう~ね!!
簡単に言うと、腎臓から出ている細い管(尿管)を管よりも少し大きめの金平糖のようなもっとギザギザにした”石”が無理やり通るようなもの。
金平糖が好きな方、誠に不適切な表現でした・・・、陳謝!!
で、その石が通過中非常な激痛に見舞われるんだけど、これが通過してしまうとね、今までの激痛は何だったんだろうか・・?と思うぐらい何の痛みも無くケロッとしちゃう。
経験者から良く聞くんだけど、この結石の結末は「石が出た時にチャリンと音がするからわかるよ」です。
でも、音は・・・・、聞こえませんでした。
痛みは取れましたが、何となく不安でしたので、急遽お休みにさせていただきました。
本当に申し訳ございません。
明日は元気よくお店をオープンしますので、宜しくお願いしますね!!
2012年
5月
06日
日
生まれて初めて” 東京”に行ったのが1960年、小学6年生・・・かな?
この時の衝撃は、生涯忘れないだろうね!
まだ、横浜市では伊勢佐木町が文化の中心で、横浜駅だって高島屋と相鉄ビルぐらいしかなく、ススキ野原が見えていたくらいの時代。
有楽町駅で驚き、銀座で驚き、歌舞伎座で驚き・・・、上映館の東劇に、さらにその時観た映画に・・・・、もう驚きの連続!!
当時の「東劇」は、当然ビルではなく、写真のような洋館。
正面入口から真直ぐに赤ジュータンが敷きつめられており、思わず靴を脱いじゃいそうなほど・・・、もう日本ではなかったですよ。
その時に見たのが、今でも大好きな映画の一つ「アラモ」。
テキサス独立戦争中、サンタ・アナ将軍率いる数千人のメキシコ軍と200名足らずのテキサスの民衆とが繰り広げた13日間の戦闘で有名な「アラモの戦い」。
登場人物は、当時の少年たち憧れの♪わずか三つで熊退治♪のデヴィー・クロケットやナイフの名人ジェイムズ・ボーイ‥等
画面も当時信じられないほどデカイ70㎜大画面・大迫力!!
主題歌がブラザース・フォー「遥かなるアラモ」で、エンディングの曲は前年(1959年)封切の「リオ・ブラボー」の主題曲「皆殺しのテーマ」。
いまでもこの「皆殺しのテーマ」を聴くと涙が出てきます。
このアラモ以来、血涌き肉躍るハリウッド映画が大好きになってしまい・・・・、現在に至ります、ハイ!
60年代は、映画主題歌のヒット曲が結構あるので、この流れの中で一度ご紹介するつもりでいます。
乞うご期待!
●ブラザース・フォー/ THE BROTHERS FOUR
ワシントン大学の学生4人が1958年に結成したフォーク・グループ。
翌年1959年コロムビア・レコードからのデビュー・シングル「グリーンフィールズ」が大ヒット。
その後も「遙かなるアラモ」、「7つの水仙」等が連続ヒットし、アメリカンフォークの代名詞として世界的なトップグループに。
キングストン・トリオやPP&Mとともに、アメリカンフォーク・ブームを確立。
この流れは、その後のジョーン・バエズやボブ・ディラン等へ続くムーブメントを導いた。
日本へは1962年の初来日以来ほぼ毎年ツアーを行い、日本のキャンパス・フォークからカレッジ・ポップスの創生に大きな影響をあたえました。
若い方にも是非一度は聞いて欲しいグループですよ!!
2012年
5月
04日
金
金沢文庫から京浜富岡に引越したのが1962年。
社員寮から一戸建ての家になり、次兄と同室とはいえ、あの夢にまで見たアメリカのホームドラマのような子供部屋。
もう、有頂天の大はしゃぎ、頭の中は完璧なアメリカン!
次兄と同室だが、2段ベットの上段は誰にも邪魔をされない自分だけの世界。
学校から帰宅すると直ベットへ・・・・。
そこで本を読んだりイヤフォーンでラジオを聴いたり・・・・で、完璧なラジオっ子が誕生したわけです。
学校から帰宅して直にベットに寝転がり、漫画や本を読みながらラジオを聞きだす。
この当時、洋楽のベスト10番組が週3本ぐらいあってね、ベスト10の曲目をすべて生徒手帳の白紙ページに記入していました。
でもね、この生徒手帳を就職後、転勤時に紛失してしまいましてね・・・・、残っていたら、当時の思い出がいっぱい詰まっていたのにね・・・・、残念、残念です。
ラジオから流れてくる曲の常連さんといえば、プレスリー、リッキー・ネルソン、ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシス‥等。
特に好きだったのが、キングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」(1958年11月ビルボードNo.1記録)、プラターズの「煙が目に染みる」(1959年2月ビルボードNo.1)・・・etc。
まだまだBeatlesは登場しません!!
●エルビス・プレスリー/Elvis Presley
ご存じ、キング・オブ・ロックンロール。
1956年に6枚目のシングル「Heartbreak Hotel」が全米1位を記録してから破竹の勢い。
今更説明するまでもないけど、1977年に死去するまでの21年間で、100位以内に146曲、40位以内に112曲、20位以内に72曲、10位以内に38曲がチャートインしているんです。
そしてNo.1ヒットは全18曲で、ビートルズに次ぐ歴代2位。
やっぱり、キング・オブ・ロックンロール。だよね!!
ロックン・ロール、リズム&ブルース、ゴスペル・ミュージックの3部門で殿堂入りした初のアーティスト。
●ポール・アンカ/Paul Anka
1957年にデビュー曲「Diana/ダイアナ」がビルボードNo.1位を獲得。
この曲、日本ではチャコさんでも有名ですよね!
カラオケで女性に嫌われているNo.1曲 フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」は、彼の作詞・作曲でもあります。
●Neil Sedaka
彼も作詞・作曲家としてとても有名。
1958年にコニー・フランシスのために作った「間抜けなキューピッド」で注目を浴び、「恋の片道切符」、「おお!キャロル」、「カレンダー・ガール」、「すてきな16才」、「悲しき慕情」などが次々に大ヒット。
ポール・アンカと並ぶ全米のトップアイドルでした。
僕らの年代が大好きな曲の一つ「ライオンは寝ている」は、トーケンズというポップ・グループの曲なんだけど、このグループ、実はニール・セダカが高校時代に結成したんですって!!
知ってました?
2012年
5月
02日
水
昨日、国分寺に行ってきました。
学生時代の友人が4月からジャズ喫茶を始めましたので、この連休を利用してお祝いに・・・・。
国分寺駅北口を出て、学生通りを右方向へ3分ほど行ったビルの地下。
お店の名前は、「JAZZ & COFFE KIKI」といいます。
店内は、黒を基調としたとてもお洒落で落ち着ける感じ。
店内を見回すと・・・・、ナン、ナント!!・・・ステージまで在るではありませんか!!
ステージには、ドラムとピアノがセットされており、いつでもLIVEができるようになっています。
店内に流れているJAZZは、もちろんアナログレコード。
アナログレコード特有の暖かな音色を聴きながら、マスター厳選の豆で点てたホット・コーヒーをいただくなんて最高!!
マスターが学生時代から収集したレコード。
JAZZの名盤ばかり2000枚以上!
写真は、その一部。
JAZZを知らなくっても大丈夫!
マスターが優しく教えてくれますよ!!
このステージで、すでに2回ほどLIVEを開催しているとか・・・!!
ステージを借りる料金は、交渉次第!!
マスターに相談してみると良いよ。
ひょっとすると・・・・、ひょっとするかも・・・!!
国分寺方面に行かれた際は、是非一度行ってみてくださいね。
宜しくお願いしますね。
● JAZZ & COFFE 「 KIKI 」
住所:国分寺市本町2-2-11 龍光堂ビルB1
電話:090-1610-3249
マスターのtwitter:twitter@kiki2137