2010年
10月
31日
日
ブログ消失事件等で遅れに遅れた「この一冊」。
やっとご紹介できるようになりました。
今回は白土三平先生です。
白土三平といえば、忍者ものが有名だよね。
僕も学生時代、ものすごく熱中しちゃって、片端から読み漁りました。
「忍者武芸帳」「サスケ」「ワタリ」「カムイ伝」「カムイ外伝」「忍法秘話」「狼小僧」「真田剣流」等など・・・ほとんどの白土漫画を持ってます。
今でも疲れた時には本箱から引っ張り出して読むことがあります。
何回読んでも飽きないのが白土ワールド。
でも、本日ご紹介するのは忍法モノではなく、先生のもう一つのライフワークとなっている「自然」を相手にした白土流民俗学といっても過言ではない「野外手帳」と「カムイの食卓」です。
白土三平は漫画家だけど、“アウトドアーの達人”というもう一つの顔を持っています。
でも、先生のアウトドアーは、生半可なモノじゃない。
流行りのオートキャンプ場に行き、好きな飲食物でヴァイキング・宿泊というような甘いもんじゃない。
千葉の房総半島の漁村に住み、農業、漁業というよりも狩猟民族のように、まさに自然の恵みを採取し半自給自足の生活なんですから・・・・。
その半自給自足食生活の記録を小学館発行の「BE-PAL」と同じく小学館「ラピタ」に連載されたエッセイをまとめたのが、「白土三平 野外手帳」であり、白土三平の好奇心1 『カムイの食卓』」です。。
この「白土三平の好奇心」はもう一冊あり「三平の食堂」も発行されているのですが、僕はまだ未読です。
僕は釣りが好きで、釣った魚を三枚におろしたり、いろいろと調理するけど、白土先生のように半自給自足の生活は無理!!
でも、でもこの2冊は本当に面白いよ!!
食べるものが何も無くなり、“いざという時”には非常に役にたつこと間違いなしのサバイバル本として読んでも面白いで~す!!
2010年
10月
30日
土
平素は、大変お世話になりありがとうございます。
誠に申し訳ございませんが、本日10月30日(土)は臨時休業とさせていただきます。
大変ご迷惑をおかけしますが、ご理解の程、宜しくお願い申し上げます。
Tears Drop社員一同
2010年
10月
28日
木
先般、「この一冊」でもご紹介しました水木しげる先生が、2010年度文化功労者に選ばれましたね。
その時、奥様の「ゲゲゲの女房(写真)」にも触れましたが、こんなにブームになるとは思いませんでした。
水木先生は凄い人だけど、陰で先生を支えてきた奥様はもっと素晴らしい方だと思います。
今回の功労者は、先生と奥様の二人に表されたと思います。
水木先生、奥様、おめでとうございます。
話は変わりますが、本日ご紹介するのは、ロギンス&メッシーナ(Loggins & Messina)。
そう、日本でも大ヒットした名曲「ママはダンスを踊らない」の二人組。
ロギンスことケニー・ロギンスとメッシーナことジム・メッシーナは意気投合し、ロギンス&メッシーナとして1972年にデビュー。
通算9枚のアルバムを発表。「プー横丁の家」、「ダニーの歌」、「ママはダンスを踊らない」等の大ヒット曲がありますが、1976年に解散。
ケニー・ロギンスは、作曲家としても有名で、1971年にニッティ・グリッティ・ダートバンドの「プー横丁の家」が大ヒット。
また、カナダの女性歌手アン・マレーの「ダニーの歌」や「愛の歌」が全米No.1を記録。
メッシーナとのコンビ解消後、1977年からソロ活動を開始し、1978年スティーヴィー・ニックス(後のフリート・ウッド・マック)と共演した「二人の誓い」が大ヒットした。
また、ドゥービー・ブラザーズのマイケル・マクドナルドと共作した「What A Fool Believes/邦題:ある愚か者の場合」がグラミー賞を受賞。
1984年には映画「フットルース」の主題歌が全米1位に、1986年には映画「トップガン」の主題歌「デンジャー・ゾーン」が全米第2位を記録。
余談だけど「デンジャー・ゾーン」は同年に近藤真彦出演の「日産・マーチスーパーターボ」のCM曲にもなりましたね。
で、1985年のUSAフォー・アフリカ「ウィー・アー・ザ・ワールド」にも参加し、2小節リードボーカルをとっています。
ジム・メッシーナは音楽スタジオでエンジニアの仕事をしていたんだけど、1968年ニール・ヤングに頼まれレコーディングエンジニアとしてバッファロー・スプリングフィールド(後述BSF)の参加。
その後ベースとしてメンバーに入るが、BSFはすぐに解散。
BSFのメンバーだったリッチー・フューレイやランディ・マイズナーらとPOCOを結成。
1970年にロギンス&メッシーナ結成の為に脱退。プロデューサーとして契約したCBSの最初の仕事が、このケニーロギンスの1STアルバムだった。
2005年にロギンス&メッシーナを再結成して、全米コンサートツアーを行ったらしいですね。
ところで、このPOCOもBSF同様に凄いメンバーがたくさんいたんです。
ジム・メッシーナの他に後のフリート・ウッド・マックのリッチー・フューレイ、後のイーグルスのランディー・マイズナーやティモシー・シュミットなど。
このPOCOも後日ご紹介しますね。
写真は、ロギンス&メッシーナのBEST盤です。
当然かもしれないけど、歴史に残るバンドには本当に才能あるアーチストがいますね。
2010年
10月
26日
火
最近、お客様から「自分が生れた時代の曲を聴かせて!」というお声が増えています。
昨日ご来店の男性二人組みのお客様も・・・。
1980年生まれと1985年生れとか・・・・。
そこで、ビルボード誌年間チャートから80年代の全米No.1ヒット曲を選びおかけしました。
まず1980年のヒット曲から・・・、
Blondie 「Call Me」~「母が良く聴いていました」
John Lennon 「(Just Like)Starting Over 」~「ミュージアムに行きましたよ」
Pink Floyd 「Another Brick In The Wall(写真)」~「大好きでCD買いました!(嬉しいネ~!!)
次に1985年のヒット曲から・・・・、
a-ha 「Take On Me」~「いいですね~」
Bryan Adams 「Heaven」~「ドラムの音がいいですネ~」
Huey Lewis And The News 「The Power Of Love」~「映画全部見ましたよ。ジョニー・B.グッドの場面が非常に印象的だった」
USA For Africa 「We Are The World」~「初めてDVDを見た時に何故か涙が・・・(わかります、わかりますよ~、僕も自然と涙が出ましたから・・)」
Whitney Houston 「Saving All My Love For You」~「本当にいい曲ですね~」
と、こんな調子でガンガンかけましたよ。
1981年では・・・、
Daryl Hall & John Oates 「Private Eyes」
REO Speedwagon 「Keep On Loving You」
Rick Springfield「Jessie's Girl1」
1982年では・・・・、
J.Geils Band 「Centerfold」
Men At Work 「Who Can It B eNow?」
1983年では・・・、
David Bowie 「Let's Dance」
Michael Jackson 「Billie Jean」「Beat It」
以上で、タイム・オーヴァー終了。
どの曲も年代を感じさせず、色褪せていないよね~。
続きは、次回のご来店でおかけしますからね~。
従業員一同?(マスター&ママしかいないか!!)お待ちしておりま~す!!
2010年
10月
24日
日
ブログって難しいね。
ちょっと油断するとすぐ2~3日経ってしまう。
ところで、スレイド(SLADE)という1970年代の英国ハードロックバンドを知ってます?
日本(僕の周り?)ではあんまり知られてないんだけど、英国内では1960年代のビートルズと並び称させるほどの人気ロックバンドなんです(冗談)。
結成は、1966年。
当時は別のバンド名で演っていたらしいのですが、まったく芽がでず。
でも、あるライブハウスで元アニマルズのチャス・チャンドラーに見出され、1969年Ambrose Slade(アンブローズ・スレイド)の名で1stアルバム「Beginnings」を発表。
バンド名もスレイドと改名し、派手な衣装、ポップなメロディーかつタイトなリズムを合わせたサウンドでグラムロックブームの一翼を担いつつ、1971年に発売したシングル「Coz I Luv You/邦題:だから君が好き」が英国シングルチャートで1位を獲得。
派手な衣装と派手なライブ・パフォーマンスがさらに評判になり、1972年に発表したライブアルバム「Slade Alive!」が英国アルバムチャートで2位を記録。
その勢いで発表したスタジオ盤「Slayed?(写真)」も1位を獲得してしまった。
それ以降「Sladest」、「Old, New, Borrowed and Blue/邦題:大狂乱スレイド一座」の2枚のアルバムも1位を獲得。
シングルも「Coz I Luv You」、「Take Me Bak 'Ome/邦題:恋のバックホーム」、「Mama Weer All Crazee Now/邦題:クレイジー・ママ」が1位に。その後「Cum on Feel the Noize/邦題:カモン!!」、「Skweeze Me, Pleeze Me」、「Merry Xmas Everybody」と1973年までに計6枚が1位を記録。
英国内では<1960年代のビートルズ>と並び称させるほどの人気ロックバンドとなった。
英国での圧倒的な人気に乗じてアメリカ進出を目論んだんだけどね・・・・結果は失敗。
英国内でもその後パンク・ロックが全盛となり、しばらく超低空飛行を続ける。
1980年、パンクブームが終わると同時に、ナッ、ナッ、ナント! スレイド復活!!
どうして復活したかというと、1983年に米国へヴィメタバンドのクワイエット・ライオットが「Cum on Feel the Noize」をカヴァーして全米No.1を獲得したお陰で、オリジナルのスレイドが再度注目を浴びるようになった。
そして「My Oh Myマイ・オー・マイ」「Run Runawayラン・ラン・アウェイ」が英国チャートトップ10に、アメリカでも『Run Runaway』がビルボード20位に入り、全盛期の1970年代を上回る人気を獲得。
でも1991年にメンバーの一人が体力の限界から脱退したことをきっかけに、23年間の活動に終止符を打ったんだけど、この23年間に一度もメンバー交代しなかったんですって!!凄いね!
因みに「Cum on Feel the Noize」は、前述のクワイエット・ライオットの他にも、オアシス、ブラン・ヴァン3000、本城未沙子等がカヴァー・ヴァージョンを発表しているようです。
また、クワイエット・ライオットは『Mama Weer All Crazee Now』もカヴァーしています。
2010年
10月
19日
火
よくお顔を見せてくださるSさんより、Jackson Browneのレコードをいただきました。
Jackson Browneは、独国生まれの米国LA育ちのミュージシャン。
1960年代後半から、リンダ・ロンシュタットやバーズ、イーグルスやニッティ・グリティ・ダート・バンドなどに楽曲を提供しています。
最も身近な曲としては、テレビ東京「田舎に泊まろう」のテーマ曲となっている「Take It Easy」。
この曲はイーグルスの大ヒット曲だけど、ジャクソン・ブラウンとグレン・フライの共作。
一時期ニッティー・グリティー・ダートバンドのメンバーでもあったらしいが、ジャクソン・ブラウンはソロとして1972年にアルバム「ジャクソン・ブラウン・1st」を発表。
同アルバムからシングルカットされた「ドクター・マイ・アイズ」が全米シングル・チャート第8位を記録。
その後、1976年「プリテンダー」が5位、1978年「孤独なランナー」が3位を記録し、1980年の「ホールド・アウト」で初の全米チャート1位を獲得。
作詞家としての評価も高く、ローリングストーン誌から「1970年代で最も完成された作詞家」と評価されています。
ジャクソン・ウラウンは、自作の曲を自分で歌うという“シンガー・ソング・ライター”のスタイルを確立した一人として知られるようになり、1970年代の彼の作品では、日々の生活の中で感じる苦悩や葛藤、心の痛みなどを歌い、同世代の人々から高い支持を得ました。
日本でも浜田省吾や佐野元春、尾崎豊らが多大な影響を受けたか・・・。
いただいたジャクソン・ブラウンの中から本日ご紹介するのは2枚。
まず、1973年発表の2ndセカンドアルバム「FOR EVERYMAN/フォー・エヴリマン(写真)」。
曲作りやレコーディングにイーグルスのドン・ヘンリーやJ.D.サウザー、またジョニー・ミッチェルやエルトン・ジョンも変名で参加したのは有名な話。
A面の1曲目に針を落とすと流れて来るのはあの「「Take It Easy」。
B面も素晴らしく、最高のアルバムとなっていますよ!
ご紹介の2枚目は、1976年発表の4thアルバム「プリテンダー(The Pretender/写真)」。
同アルバムは、愛妻フィリスの自殺を乗り越え完成させた一作。
デヴィッド・リンドレーやリトル・フィートのメンバーであるローウェル・ジョージとビル・ペイン等、素晴らしいバックミュージシャンを総動員してサウンド面を強化。
その結果、同アルバムでは全米で5位を記録しました。。
でも彼が脚光を浴びたのは70年代まで。
80年代は政治色が強くなり、徐々にファンが離れていってしまったようです。
酒の席でも同じだよね・・・・。
政治や宗教の話は、絶対タブー。
ほとんどが喧嘩になる。
好きなお酒を飲んで好きな曲を聴いて、気持ち良く帰ろうね!!
ジャクソン・ブラウンが大好きなSさん、レコードありがとうございました。
心から感謝です!!
2010年
10月
18日
月
1968年に発表されたメリー・ポプキンの「悲しき天使(写真)」。
そう、ビートルズのアップル・レーベルから発売され、全英1位を獲得した曲だよね。
この曲の原曲がロシアの歌謡曲だということを知ってました?
小生、恥ずかしながら先日の朝日新聞「be on Saturday」「うたの旅人」で始めて知りました。
原題は「長い道を」といい、旧ソ連のボリス・フォンミンの作詞・作曲で1920年代に発表されたようです。
ロシアの大衆歌謡に「ロマンス」と呼ばれるジャンルがあり、恋愛にまつわる喜びや悲しみを流れるような旋律に乗せた叙情歌で、日本の演歌に近く年配者に人気が有るそうです。
この「ロマンス」はスターリン時代、共産党の芸術を統括する委員会が「ロマンス」を反革命的とみなし、全面的に禁止。
そのため「ロマンス」の作曲家たちは転向するか亡命するしかなかったそうです。
その一人であるベルチンスキーが、この「長い道」を国外で歌い少しずつ世界中に知られるようになってきた。
日本にも同じ旋律で「花の季節」が学校の音楽授業にあったし、フランスでもダリダやビッキーが録音しています。
この曲を作ったフォンミンさんは、亡命することなく国内で名前を変えたりして約400曲の歌を作ったそうで、現在では故フォンミンの作品が再評価され、新聞では「ソ連にもモーツアルトがいた」「最大のロマンス作曲家」となっているようです。
メリー・ポプキンの「悲しき天使」が大ヒットした1968年といえば、小生は受験中。
「受験」といってもこれまで一貫教育だったため、“受験勉強”なんかしたことがなかったんですよ。
自然に小~中~高とエスカレーター式に昇り、大学も過去と同様に自然に入れるだろうと、脳天気に毎晩深夜までラジオを聴いてたんですから驚き!
親の手前、「勉強してるぞ!」という姿勢をみせてはいたんですが、参考書購入のお金でレコードや自分の好きな本ばかり買っていましたね~。
母は知っていたようですが・・・?
こんな“受験勉強”じゃ、失敗するのは当然だよね。
今じゃ、勉強のことはほとんど覚えていないけど、
曲と当時の事は鮮明に記憶していますね。
両親には悪いけど、当時が一番自分らしい生活をしていたのでは・・・!?
2010年
10月
15日
金
嬉しいね~!
嬉しくって、小鼻がこ~んなに開いちゃったので、大アップにしてみました!!
グフッ!!
ブログが直ったんですよ。
否、直してもらったんです!!
オープン時に当店のHPを開設してくれたS君が、本来のお仕事の合間に孤軍奮闘してくれ、ブログを元通りの正常な姿に戻してくれたんです。
S君、心から感謝!!
もう、大丈夫!
安心してブログが更新できますからね~。
過去のブログ消失事件の方は、やっぱりダメでしたが、過去を振り返らず、未来に向かって頑張りますので、応援してくださいね~。
未来といっても、そう~時間が残っているわけではないけどね・・・・。
生ある限り頑張ります!!
2010年
10月
13日
水
先日の朝日新聞に「生活家電 白より黒」という記事が掲載されていましたね。
僕達が小さい頃、家電は「白物」といわれ、高価でステイタスの象徴だったんです。
日本は、終戦後のどん底の世界を抜け出し、1955年頃から急速に成長していくんだけど、その頃『三種の神器』と言われていたのが、テレビ(白黒)・洗濯機・冷蔵庫。
テレビ以外は外装・外側の見た目の色が白かったのと、白は清潔感があったから「白物」と言われた。
当時これら3品目の家電は、夢の商品でね、新しい生活の象徴だったんだけど、庶民にはなかなか手に入らない高嶺の花だったね。
特にテレビ!
街頭テレビで力道山の試合に群がっている古い映像を良く見るよね。
僕が育ったのは金沢文庫の社宅なんだけど、何故か我家にテレビ(当然白黒)があってね、近所の人達がよく見に来ていた。
プロレス、私の秘密、ジェスチャー、私だけが知っている、事件記者・・・、僕はまだ小さかったので、「子供は早く寝なさい」ということでほとんど見せてもらえなかったな~。
1960年代半ばの「いざなぎ景気」時代には、カラーテレビ(Color television)・クーラー(Cooler)・自動車(Car)の3Cが新・三種の神器となった。
で、新聞記事に戻るけど、現在「白物」より「黒物」が若者に受けているとか。
黒は、見た目よりも重く感じさせるので高級感漂う品物が多く、「格式」「公式」のイメージがありますね。
高級感でいえば、オーディオ機器やビデオレコーダー、薄型TV、PCなどは黒のデザインが多いよね。
また、帳簿上の「黒字」も儲かっている証だし、クレジットカードの最高級カードを「ブラックカード」と言うらしいし、日本の官公庁の公用車の車の色は普通黒だよね。
でも、「黒」は別に「無の存在」や「悪」のイメージも強いよね。
歌舞伎世界の黒子(無・存在しないを意味する)、ブラックボックス、犯罪者や有罪の「黒」、黒魔術、ブラックリスト、「黒社会(闇社会)」、ブラックユーモア、ブラックマンデー、黒星、黒白・・・・。
今思い出したけど、数年前に「黒が流行っている」ようなニュースレターを作成したことがあったな~、懐かしいネ~!
現在の日本は最悪の経済状況。
「黒」ばっかりになって、これ以上暗い世相にならなければいいけどね・・・。
「黒物流行」に因んで、本日オープニングの曲は、ローリング・ストーンズの「ペイント・イット・ブラック」にしよう~と・・・・関係ないか!!
写真は、八角形のジャケットで~す。
ストーンズのベストだけど、珍しいでしょ!!
アッ!当店の内装も「黒・茶色」が中心だった・・・!!
2010年
10月
08日
金
ロック大好きな母様とお嬢様がご来店。
飲物のご注文より先にお母様よりアニマルズ「朝日のあたる家」のリクエスト。
それからは矢継ぎ早にお母様より60年代のポップス・ロックのりクエスト。
お母様はとても上品でお若い感じなのですが、リクエスト内容からみて僕とあまり変わらないような気が・・・・?
お嬢様もとてもお若くチャーミングな方なのですが、お子様がいらっしゃるとか。
リクエストをおかけしながら色々とお話を伺っていると、もう~素晴らしいロック教育ママ。
お嬢様の子守唄が「サンタナのブラック・マジック・ウーマン」、「ローリングストーンズのペイント・イット・ブラック」が流れると、お出かけの合図・・・・・。
とにかく家で聞こえてくる音楽は、すべて60年以降のPopsとRockのみという。
スゴイ! 凄すぎる!!
まだ、まだある。
お嬢様が学生時代にバトントワリング部に所属していたらしいのですが、担当の先生より「宿題として、バトンに使えるような曲を1曲選んでくるように」と言われたので、 帰宅後お母様とあれやこれや相談した結果「フットルーズ」に決定。
それを部活で発表したのだが、一蹴されてしまいガッカリ。
後で仲間に聞いたところ、「フットルーズ」を誰も知らなかったとの事。
ま~、とにかく学校で洋楽・ロックの話ができないので、ほとんどお友達ができず非常に悩んだとか・・・。
でも「今は母親と一緒にお酒とロックを楽しめるので最高の関係です」と、とても嬉しそうにお話くださいました。
最後は、「もう、本当に素晴らしく気持ちが良い」といいながらCCRの「雨を見たかい」で踊りながらお帰りになりました。
本当に素晴らしい家庭環境であり親子関係。
とても羨ましく思いましたよ。
また、来てくださいね。お待ちしております。
本日おかけしたレコード。
・ アニマルズ「朝日のあたる家」
・ デーブ・クラーク・5「ビコーズ」
・ ピーター&ゴードン「愛なき世界」
・ ローリング・ストーンズ「ペイント・イット・ブラック」「ルビー・チューズディ」「ダンディライオン」 他
・ ジェファーソン・エアプレイン「あなただけを」
・ ホリーズ「バス・ストップ」
・ ドアーズ「タッチ・ミー・ベイビー」
・ 1910・フルーツガム・カンパニー「サイモン・セッツ」
・ CCR「雨を見たかい」
・ バーズ「Mr・タンブリンマン」
・ スコット・マッケンジー「花のサンフランシスコ」
・ サラ・ボーン「ラヴァース・コンチェルト」
・ カウシルズ「雨に消えた初恋」
・ カスケーズ「悲しき雨音」
・ モンキーズ「モンキーズのテーマ」
・ ロネッツ「ビー・マイ・ベビー(写真)」
他 60~70年代初頭のポップス、ロック
2010年
10月
07日
木
皆さん、当然リンゴ・スターを知ってますよね。
そ~、ビートルズのメンバーでドラム担当。
だけどビートルズの中ではどうしても4番目に位置してしまうよね。
ビートルズ時代の曲も「イエロー・サブマリン(ポールの作品)」や「ドント・パス・ミー・バイ」、「オクトパス・ガーデン」ぐらいしか思いつかないよね。
しかし、どうしてどうして・・・、リンゴはソロになってからの活躍が素晴らしいんですよ。
1970年3月に、スタンダード・ナンバーを集めた初の単独作品『センチメンタル・ジャーニー』を発売。
同年12月には2枚目のアルバム『カントリー・アルバム』を発表。
その中からシングルカットされた彼自信の作品「明日への願い」や「ボークー・オブ・ブルース」が大ヒット。
そして、本日紹介する1973年に発表されたリンゴ・スターのソロ3作目の「RINGO(写真)」。
このアルバムには、ジョン、ポール、ジョージもそれぞれのセッションに加わっており、明るく楽しい華やいだ雰囲気が感じられる豪華なポップ・アルバムに仕上がっており、リンゴの最高傑作と言われています。
このアルバムからシングルカットされたジョージとの共作「PHOTOGRAPH/邦題:想い出のフォトグラフ」や「YOU'RE SIXTEEN」が全米チャートで№1を記録。
アルバム自体も全米1位・全英7位を記録。
ビートルズ解散後、メンバー四人全員がソロで№.1ヒット曲を生み出したんですから、つくづくビートルズというは凄いグループですよね。
リンゴは、2005年にアルバム『チューズ・ラヴ』を発表し、現在でも現役で元気に活動しているんだって・・・、凄いよね~!!
ビートルズも後ポールとリンゴだけになっちゃいましたからね、これからも元気に活躍して欲しいね・・・。
ところで、デビュー前のビートルズのドラム担当だったピート・ベストはどうしているんだろうか・・・・。
2010年
10月
06日
水
川崎市のコミュニティ誌「多摩人」37号秋号(10月1日発行)にて、当店を掲載していただきました。
同誌の特集「秋のアートコレクション~今宵、かわさきが踊りだす」の「アートに食べる~今年の秋は芸術をもっと身近に~音楽や絵画に囲まれたアートなお店紹介」で。
でも、でも・・・、当店を紹介してくださったのはとても嬉しいのですが、反面、すっごく怖いです。
何故かって?
お店紹介で一緒に掲載されているのが、川崎では超有名な老舗ジャズ専門カフェ「JAZZぴあにしも」さんと、これまた本格派バーで超有名な「時代屋Old Oak」さんなんですよ!
こんな大御所と一緒に当店が紹介されるなんて・・・、恐れ多いことです!! 足がすくみます!!
当店といえば、定年後に始めオープンしてまだ1年4ヶ月足らずの素人が、おたおたしながらやっているPops & Rock Barなんですから・・・。
そんな当店が大御所と一緒に紹介されるなんて・・・・、ア~、恥かしいやら嬉しいやら怖いやら・・・・・。
でも、「これを機会にもっと精進しろよ、頑張れよ!」という応援と受止め、体が続く限り頑張っていきますからね。
今後も「自分の好きなお酒と音楽をゆったりとした気持ちで楽しめるお店」でやっていきます!
2010年
10月
05日
火
ポール・マッカートニーは、僕の大好きなアーチストの一人でもあります。
ビートルズ解散後、ポールが1971年に妻リンダと元ムーディー・ブルースのデニー・レインと一緒に結成したのがウイングス(Wings)。
ウイングスは、1981年に解散するんだけど、合計7枚のアルバムと1枚のライブ盤を発表しています。
約10年間のウイングスの記録としては、全米1位を獲得した曲が9曲、トップ20に入ったのが20曲以上にもなります。
本日ご紹介するのは、1973年発表の2枚目の「Red Rose Speedway」。
皆さんもご存知のようにこのアルバムからシングルカットされた「マイ・ラブ」が大ヒット。
米国ビルボード誌アルバム・チャートで、3週間に渡って第1位を記録。
「キャッシュボックス」誌でも、連続3週間第1位を獲得し、1973年度の年間ランキングも33位を記録しています。
イギリスでは、アルバム・チャートで最高位第5位だったそうです。
余談だけど2002年に東京ドームでポールを観たんだけど、「マイ・ラブ」とビートルズ時代の「オール・マイ・ラヴィング」で思わず涙が出てしまいましたよ。
コンサート後、銀座CANDYで妻と大いにポールについて語り合ったのを思い出しました・・・・。
若い頃は、大麻所持法違反などの「オイタ」も結構していたようだけど、そのポールも現在69歳。
現役で今でも積極的に音楽活動をやっているようですね。
ポール、何時までも若々しくお元気に活躍していてくださいね・・・!
2010年
10月
01日
金
参ったな~!!
もう、写真のように頭を抱えている状況が続いています。
本当にトホホ・・・・。
週刊新潮「トホホ・・・」の由香さ~~ん!!
泣くに泣けない・・・・でも、泣いてるんだけど・・・本当に情けない結果を迎えてしまいました。
先日から過去のブログを訪ねて三千里。
遂にHP運営会社大本からもご協力ねがっているS君からも見放されました、グスッ!
「オ~イ、過去のブログよ~、どこにいるんだ~~~~!!」
もう、どんなに足掻いても過去のブログは出てこないみたい。
しょうがないね~、諦めるしかないね。
また、ブログを一から始めますからね。
昔から「アンチャン、頑張る!!」でやってきたじゃないか。
頑張るぞ~!!