2016年
1月
31日
日
また、また・・・・・、涙・涙・・・・です。
Jefferson Airplaneの創設メンバーでギタリスト/ヴォーカリストのPaul Kantner(ポール・カントナー)が1月28日、多臓器不全と敗血症ショックのため亡くなりました。
享年74歳。
Paul Kantnerの“雄姿”を最後に観たのが、2012年11月23日(金)川崎CLUB CITTA’!!
だから。余計にショックで・・・・・。(2012年11が25日ブログをご参照ください)。
70歳過ぎても・・・・、あんなにお元気にサイケデリックなギターを聞かせてくれてたのにな~・・・・。
彼が亡くなったのを知ったのが先週の土曜日(29日)。
で、お客様のリクエストの間に追悼として1967年発表の2ndアルバム「Surrealistic Pillow」から「White Rabbit」「Somebody To Love」をかけました。
30代の男性二人組みのお客様が「(Somebody To Love)オ~ッ、かっこいい曲ですね!何というバンドなんですか?」と・・・・。
そこでPaul Kantnerが亡くなった話をしたところ、若者達はご存知ありませんでした。
当然ですが・・・・。
ア~もう~・・・・・、本当に寂しいね~・・・。
Paul Kantnerさん、お疲れ様でした。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
※Jefferson Airplane → Jefferson Starship → Starship → KBCバンド → 再結成Jefferson Airplaneと変遷しています。
各時代の所有レコードもご紹介しなくてはね・・・・、近々?
2016年
2月
23日
火
今年1月28日に多臓器不全と敗血症ショックで他界したポール・カントナー(享年74歳)は、Jefferson Airplaneのギタリスト。
ご存知のようにJefferson Airplaneは、その後Jefferson StarshipにHot Tunaに別れ、Jefferson Starship~StarshipとJefferson Starship再結成と変わっていきます。
■ Jefferson Airplane
1960年代後半のサンフランシスコ サイケデリック文化を代表するバンドJefferson Airplaneは、マーティ・バリン(注1)がサンフランシスコのコーヒーハウスなどで活動していたポール・カントナーを誘い、ポール・カントナーが地元のフォーク・クラブよくプレイしていたヨーマ・カウコネン(注2)を誘い、この3人が中心となってできた。
1996年にロックの殿堂入りを果たしています。
当店所有のアナログレコード紹介。
・「Takes Off」
1966発表の記念すべき1stアルバム。
メンバーは、
Marty Balin(マーティ・バリン/ヴォーカル)
Paul Kantner(ポール・カントナー/ヴォーカル、ギター)Jorma Kaukonen(ヨーマ・コウコネン/ギター)
Alex Spence(アレックス・スペンス/ドラムス クイックシルバーのギタリスト)
Jack Casady(ジャック・キャサディ/ベース・ギター)
igne Anderson(シグネ・アンダーソン/ヴォーカル)
アルバム全体的には、かなり荒っぽいですが、当時のサイケデリック文化を代表するバンドとしてヒッピー等から支持され人気バンドに。
しかし発表後、紅一点のアンダーソンが出産のため離脱。
彼女が在籍した唯一のアルバムでもあります。
余談ですが、あまり報道されませんでしたがシグネ・アンダーソンは、ポール・カントナーが亡くなった同じ日(1/8)に亡くなっています。
何か因縁を感じますね!!
・「Surrealistic Pillow」
1967年発表の2ndアルバム。
このアルバムの制作前にグレイス・スリックが加入。
彼女の迫力あるカリスマ性を体現するかのような強力な歌声でバンドは一気に世界的に有名になる。
シングルカットされた「White Rabbit」は8位に「Somebody To Love」は5位と大ヒット。
アルバム自体もUSAで3位を記録。
このアルバムから、バンドの主導権はしだいにマーティ・バリンからポール・カウントナーへと移っていきます。
・「Volunteers」
1969年発表の6枚目アルバム。
泥沼化するヴェトナム戦争に対する反戦がテーマ。
“ボランティア”は、“反戦運動の志願者(あるいは義勇兵)”の意味を持っています。
サイケ、ヒッピーは、ヴェトナム戦争に対する反戦というキーワードにもなっており、反体制へのメッセージとしての代表作とも言えます。
同アルバムのゲスト・アーチストが凄く、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシア(vo)やクイックシルバーのニッキー・ホプキンス(p)、CSNのデビット・クロスビーとスティーブン・スティルス等が参加しています。
アルバムは、USAで13位を記録し、伝説のロック・フェスティバル“ウッドストック”へも出演したが、これをピークにバンドは分裂し、バンドの中心人物の一人マーティー・バリンが脱退しソロ活動に。
■ Jefferson Starship
Jefferson Airplaneは、音楽の方向性の違いなどで1973年に解散。
1974年にPaul KantnerとGrace Slickのユニットでアルバム制作を勧めていましたが、結局Jefferson Starshipというグループで再出発。
1stアルバム「Dragon Fly」では、マーティン・バリンもゲストとして参加。
マーティン・バリンその後レギュラーメンバーに復帰し、Jefferson Airplane の路線を継承しつつ、ポップな方向に向かっていきます。
● 「Dragon Fly」
1974年発表のJefferson Starship 1stアルバム。
シングルカットされた「Ride The Tiger/邦題:吼えろタイガー」は、Byong Yu, Grace Slick, Paul Kantner3人の共作。
1974年Billboard最高位84位でしたが、アルバム自体はBillboard最高位11位を記録しています。
シングル第2弾「Play On Love/邦題:愛を奏でよう」は、1976年Billboard最高位49位。
●「Spitfire」
1976年発表の2ndアルバム。
シングルカットされた「With Your Love」は、Billboard 12位を記録。
アルバムもヒットしBillboardアルバムチャートで3位を記録。
シングルカット第2弾「St. Charles」は、Billboardで69位を記録。
●「Freedom At Point Zero」
1979年発表の5枚目のアルバム。
ボーカリストであるマーティ・バリンとグレイス・スリックが脱退したため、新ボーカルにエルヴィン・ビショップ・グループのミッキー・トーマスが加入。
シングルカットされた「ジェーン」が大ヒット。
Jefferson Starshipを代表する曲です。
「Gold」
1977年発表のBest盤。
Billboardアルバムチャートで20位を記録。
■ Starship
・「Knee Deep In The Hoopla/邦題:フープラ」
1985年に発表されたStarshipの1stアルバム。
シングルカットされたウイ・ビルト・ディス・シティ/邦題:シスコはロックシティ」と「セーラ」は全米No1曲に輝いています。
アルバム自体も7位を記録
●「No Protection」
1987年発表。
シングルカットされた「「愛は止まらない」は、グレーススリックが特にお気に入りの曲では全米1位を獲得。
この曲は、映画「マネキン」の主題歌になっています。
また、同アルバムの最後に収録された「今夜はミュージックナイト(Set the Night to Music)」は、1991年にロバータ・フラックのアルバム『ナイト・トゥ・ミュージック』においてフラックとマキシ・プリーストのデュオでカヴァーされ、全米6位の大ヒットになっています。
■ USA Ultimate Classic Rockが発表した「ポール・カントナーのベスト・ソング TOP10」
1.「We Can Be Together」~「Volunteers」
2.「Let Me In」~「Takes Off’」
3.「The Ballad of You and Me and Pooneil」~「After Bathing at Baxter’s’」
4.「Today」~「Surrealistic Pillow」
5.「Have You Seen the Stars Tonite?」~「Blows Against the Empire」
6.「Crown of Creation」~「Crown of Creation」
7. 「olunteers」~「Volunteers」
8. 「Martha」~「After Bathing at Baxter」
9. 「Run Around」~「Takes Off」
10.「D.C.B.A. 25」~「Surrealistic Pillow」